最近だが一人称を「ぼく」としている。文章をかくときは 自然にでてくるので、無理に「わたし」と云わないことにした。 ぼくは社会から逸脱してしまって、病気のせいもあるかもしれないが 最近つくづく生きてる世界を間違えてしまったんじゃないか。思う。 例えば、植物のように感情が無い生き物ならもっと真面目に咲いただろうし、ゴキブリだったら潔く殺されに行っただろう。 面倒な性格が他人に触れて、不快にさせたり迷惑をかけないか、 いつも考えてしまう。 記憶の仕組みは「 嫌なこと > 良
かなり久しぶりにnoteを書く。文章を暫く書かなくなったことには経緯がある。 文章から逃げた理由。 ここ数年、 病状が悪化していくまでに何度か色んな方面から言われた。 「文章だと冷たく感じる」 「残酷な文面」 「会って話したほうがいい」 文章はわたしにとって「味方」だった。 自惚れかもしれないが、あなたの文章がすきと昔からよく言われ、 素人ではあるが普通の人よりは多く文章をたくさん書いた。 話す練習もしてきたが、それ以上に文章の方が 素直に自分の気持ちが出てくるし
上手く喋れない 下手くそにも喋れない 上手く誤魔化せない 下手くそにも誤魔化せない 誰が悪いとか そういうんじゃなくて 何が悪いとか そういうんじゃなくて 真っ直ぐ向き合えない 真っ直ぐ向き合いたい 多分ね 多少ね 確かね? 本当ね 不安ね 不思議ね 説明できないの ごめんね 早く走れない 遅く歩けない 賢く生きれない 難しく考えれない 何がしたいとか そういうのなくて 誰が好きだからとか そうでもなくて 真っ直ぐ向き合えない 真っ直ぐ向き合いたい 多分ね
確証が無いからこそ でかい声で言うんだ 約束できないから でかい声で言うんだ ぼくがあした息してるかなんて 絶対じゃないし 君が明日、別の人の前で 顔をクシャクシャにして 笑っているかもしれない 最悪のことばかり考えてしまう 妄想の中ですらしあわせになれない 指輪は南京錠のように見えてしまう 契約の愛ならいらないのに そんなもんいらない そんなもんいらない やさしさとかいらない やさしさなんていらない 無表情のきみも愛すから 無表情のぼくは困らすけど 制約あるのなら