L'Arc〜en〜Cielの瞳の住人のテーマは「ジレンマ」 歌詞の意味・解釈・分析
「瞳の住人」概要
「瞳の住人」は2004年にリリースされた23作目のシングルです。
「READY STEADY GO」に続く、活動再開後2枚目のシングルで、前作のような疾走感溢れる曲風ではなく、しっとりとしたバラードになっています。
オーケストラなどのストリングスやピアノなど、ギター・ベース・ドラム以外の楽器がふんだんに使われており、荘厳な雰囲気を纏った曲です。
特に、2回目と最後のコーラスで聞くことができるhydeのhihiAのファルセットを聞きたいがために、「瞳の住人」を聞いている人も少なくないそうな。
作曲は前作に引き続き、tetsu(ya)。作曲者であるtetsu(ya)本人曰く、「瞳の住人」は「あなた」や「Pieces」に似て非なる曲、かつ、それらを超える曲を作曲したかったとのこと。
また、「瞳の住人」のメロディは、tetsu(ya)の夢の中でできたという逸話は、ファンの間ではあまりにも有名ですね。
作詞はhyde。歌詞は夢の中でできたわけではない、という話も有名です。
hydeは「瞳の住人」の歌詞について
と述べています。
このインタビューが「瞳の住人」の歌詞の意味を紐解く鍵になります。
「瞳の住人」歌詞の意味・解釈・分析
「瞳の住人」の歌詞は、当時のhydeの迷いやジレンマ、さらに自分の理想の音楽に対する憧憬が書かれています。
L'Arc〜en〜Cielでやっている音楽は、hydeのやりたかった音楽ではありません。本当はもっとハードでアグレッシヴな音楽をやりたかったのでしょう。
「あの頃憧れた目標に向かって、今、正しく歩めているのか」
そんなhydeの切ない思いを「瞳の住人」から感じることができます。
歌詞分析の前の予備知識
以前、インターネット上で見かけた考察には、「BUCK-TICKは、やりたい音楽をやり通して売れた。対してL'Arc〜en〜Cielは、やりたい音楽ができるまで売れる曲を書き続けた」と述べられていました。
実際、tetsu(ya)もhydeも「L’Arc~en~Ciel 20年の軌跡」という特番にて、セールスは常に意識していて、なぜならやりたい活動をするためには、売れなければいけないから、と語っています。
hydeはL’Arc~en~Cielの活動を割り切っていたとはいえ、「いつになったら自分が尊敬しているアーティストのような、心の底から自分が好きな音楽ができるんだろう」と思っていたに違いありません。『SMILE』や「瞳の住人」制作時、特にその想いが強かった時期だったのではないでしょうか。
「瞳の住人」がリリースされて時間が経過した現在だから分かることですが、hydeのソロやVAMPSの活動を見ていても、当時hydeの抱えていたジレンマがよく分かると思います。
2015年の『音楽ノチカラ』という番組では、hyde自身「音楽はあんまり(好きじゃない)」と語っていますし(当時はVAMPSとして活動していたにもかかわらず!)、「瞳の住人」が収録された『SMILE』の5曲目「Time goes on」は、tetsu(ya)がhydeに「L'Arc〜en〜Cielとしての活動を休みたい(自分が好きな音楽をやりたい)」と言われたことが基になってできた曲とも言われています。
さらに後年、共同プロデューサーの岡野ハジメが『SMILE』制作時のL'Arc〜en〜Cielを見て、「L'Arc〜en〜Cielでできることとできないことを考え出したのではないか」と語っており、hydeはまさしくこういった意味で、L'Arc〜en〜Cielでやる音楽と折り合いをつけ始めました。
これらの前提を踏まえると、「瞳の住人」の新しい側面が見えてくるのではないでしょうか。
歌詞の分析・解説
「瞳の住人」において、「君」とは「hydeが敬愛するミュージシャン」です。
彼らは、自分たちが信じた音楽やかっこいいと思った音楽を(セールスを上げながらも)できているのに、自分はまだ全然できていない。L'Arc〜en〜Cielを始めてから、何年も経っているのに彼らに追いつけない。音楽に対する理解や情熱が足らないからなのか?という自問から始まります。
「気づいているよ 不安そうな顔 隠してるくらい」はhyde自身に向けた言葉。
L'Arc〜en〜Cielの活動が忙しく、L'Arc〜en〜Cielにしか時間を割けないはずなのに、時間を割けば割くほど、自分がやりたい音楽が明確になっていく、という意味ですね。
『SMILE』制作時は、岡野ハジメが言うように「L'Arc〜en〜Cielでできないことを明確にしていた」時期です。hyde自身、L'Arc〜en〜Cielの活動を通して「L'Arc〜en〜Cielでできないこと=自分のやりたい音楽」が浮かび上がるのは当然でしょう。
「太陽」とは、hydeが愛した音楽のこと。
思い返せば、いつだって青春を共にした憧れの音楽は、いつの時代も古びることなく、自分の原動力となっている。
そして自分も、憧れのミュージシャンたちのように、セールスを上げながら好きな音楽ができたら…という意味です。
hydeがソロ活動をしていた時期のことでしょう。
「まだ自分のやりたい音楽をやっていたい」という思いを「君の匂いに抱かれていたい」と表現しています。
そして、悲しいことに、「外の空気に首輪を引かれ」という歌詞は、L'Arc〜en〜Cielの音楽活動を指しています。
生活のために、ファンのために、自分がやりたい音楽を一度放置して、L'Arc〜en〜Cielをやらなきゃいけない。だからこそ、「僕は背を向け」てしまうんですね。
『SMILE』の制作は年を跨いで行なわれました。そのため、白い溜め息を吐き、L'Arc〜en〜Cielの活動をしながらhydeは改めて思うのです。
自分が憧れていた「太陽」に近づけているのか。
「あの太陽」になれているのか。
ここでhydeのインタビューがリンクしてきます。
「なぜ僕はここに居るんだろう?」とは、L'Arc〜en〜Cielが本当に自分のためになっているのか、L'Arc〜en〜Cielの活動は「あの太陽」になるために歩む正しい道なのか、hyde自身が、そう自分に問いかけているのではないでしょうか。
憧れのアーティストたちが、輝いている姿、ステージをずっと見ていたい。ワクワクする気持ちや心が揺れる瞬間を閉じ込めて(=「一つの風景画の中」)欲しい。
「いつの日か鮮やかな季節へと連れ出せたら」には、「誰を」という目的語がありません。ここがポイントで、自由に解釈できるように、あえて目的語は置かなかったのでしょう。
解釈を絞るために、あえて目的語を限定するなら、おそらくファンのこと。そして、「(雪のように)空に咲く花」とは、ライブ終焉後に打ち上げられる花火のことです。
つまり、自分が「太陽(誰かの心を揺さぶることができるアーティスト)」になって、ファンの心に残るようなライブができたら…
と解釈できますね。
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