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シンエヴァンゲリオン考察:プロフェッショナル仕事の流儀『庵野秀明』から考える

 僕はシンエヴァンゲリオンを”父性と母性:そこからの自立”と言うテーマで考察を進めています。それを進める上で、3/22に放送された”プロフェッショナル仕事の流儀”で参考になった点を書き留めておきます。番組内で庵野は”面白い”という言葉をしきりに使います。この”面白い”とは何でしょうか。そして、その面白さの正体はエヴァンゲリオンにどのように作用しているのでしょう。

※本記事はシンエヴァンゲリオンのネタバレを含みます


 番組冒頭は、庵野の出身地である宇部市新川宇部駅で、彼がスマホを構え、駅のホームから階段を駆け上がるシーンで始まります(この駅は映画のラストシーンで使われてますね)。番組を通して、庵野が思う”面白い”作品を作りあげる為に進む、苦行のような制作現場が、彼自身を追い込むだけでなく、周りのスタッフを苦しませている点を映し出します。ただ、彼らスタッフは単に鬼監督の小間使いとして苦しんでいるわけではなく、自らの意思である作品至上主義を貫き、自らの命を削ってでも良い物を作りたいと奮闘する集団でした。

 番組内では度々、庵野が”面白い”作品とは何か、”面白い”シーンかどうかと悩み、決断していきます。果たして、彼の思う”面白い”とは一体何なのでしょうか?それを紐解くとシンエヴァンゲリオンがより一層、魅力的な作品として鑑賞できるのではないでしょうか。以下、二つの軸で庵野の面白いを探ります。


①作品制作における”面白さ”

 いままでのエヴァンゲリオンを踏襲する、所謂セルフオマージュなエヴァンゲリオンではなく、シンエヴァンゲリオンは全く新しい物でなければ面白くないと庵野は語ります。そして、彼自身が面白いと感じ自己から生み出される面白さは、鑑賞者にとっては面白くない物だと語るのです。そこで焦点を当てられたのがアニメ映画の制作方法を新しい試みで行う事です。映画の作り方を今までのアニメ映画の方法で行わないことから始まります。

 いままでのアニメ制作は、脚本から画コンテンを作り、それぞれの画コンテに合わせ原画を描いていくのが主流でした。しかし、シンエヴァンゲリオンでは画コンテを廃するようにします。それは決められたカットをなぞるような原画作成からは新しい何かが生まれない為です。

 そこで、庵野はモーションキャプチャー(実写撮影した俳優の芝居をデータとして取り込む手法)を用い、そこから庵野作品特有の構図、アングルを見出します。これら膨大なモーションキャプチャーのデータを繋げ合わせ、それぞれのシーンを形作っていくのです。

 ここからわかるのは、美しいアングルを繋ぎ合わせ一つの流れにして見せる事が庵野の面白いと感じる点なのです。映画の流れにおいて内容がそれほど重要でない、あるいは場面が進まない内容であっても、アングルが美しければ良いのです。つまり、アングルと編集さえよければ動きがなくてもシーンが成り立つと庵野は語ります。この点は岡田斗司夫さんもYouTube内で「弱い脚本に力を与えるカット割」と評しております。

 シンエヴァンゲリオンが今までのエヴァンゲリオンとは違うと感じた方は、この作られ方の違いから新しさを感じたのではないでしょうか。


②作品内容における”面白さ”

 庵野の人生には常に何かが欠けていると本人は語ります。家族で遠出した記憶が欠けていることを引き合いに出すのです。加えて、庵野の父親が仕事上の事故で左足を失った事実を告白し、父親は自分の責任で起きたわけではない事故を憎み、世間を恨んでいたと振り返ります。そして、その恨み見たいなものを彼にぶつけることもあったようです。

「いつも何かが、欠けていた」

 そんな彼が熱中できたのがアニメであり、”鉄人28号”でした。庵野少年はその姿に興味を抱き見るだけでは飽き足らず、自ら絵を描くようになります。それらの絵には一つの特徴があり、父との関連性を匂わせます。それは、「ロボットを描くと必ず、腕や足がなかった」ようです。それは父親の足が欠けていた為で、そんな父親を肯定する為だったと番組内で振り返っていました。これら父との思い出は、庵野の中に残る記憶として彼の作品に反映されていることは間違いないでしょう。シンジがエヴァに乗ることでしかゲンドウと向き合えないように、庵野は絵などの作品を作ることでしか父親と向き合えなかったのでしょうか。

 話がそれましたが、以上の経験から欠けている物に興味を抱き、面白いと庵野は感じるようです。曰く、「本来は完璧なはずなのに、どこかが壊れているとか僕は面白いと思う。面白さってそう言う物だと思う。」

 エヴァンゲリオンのキャラクターたちは、巧妙に設計されたクローンだったり、指揮官として優秀だったりと完璧なように描かれています。しかし、物語が進んでいくにつれ、その完璧そうな人物の”欠けている何か”が露わになり、本人はそれに苦しんでいるのだとわかります。それら”欠けている何か”との自己闘争の歴史をエヴァンゲリオンという作品を通して見る事ができ、それは現代に生きる私たちの闘争の歴史、自分史なのです。


③まとめ

 今回はプロフェッショナル仕事の流儀で庵野が何度も発する”面白い”とは何かを考え、それがどのようにエヴァンゲリオンに反映されているのか考察してみました。すると面白いには2種類あり、①作品制作の面白さ、②作品内容の面白さが挙げられました。そしてそれぞれ、”アングルの美しさ”や”完璧な物/者の欠如”という面白さが見えてきました。単に”面白い”と表現しても、その意味は複数あり、なかなか読み解きづらかったかと思います。あなたがエヴァンゲリオンをより楽しむための一助となれば幸いです。

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