見出し画像

そんな彼なら捨てちゃえない理由〜人間関係における過剰コミットメントの問題と難しさ〜



清算したくてもできない人間関係や、きっぱりと諦めてしまいたいのにもかかわらず未だ諦めきれない人間関係

誰にでも清算したい人間関係やきっぱりと諦めてしまいたい人間関係はあるだろう。恋愛を例にとってみるとわかりやすい。相手は別の人が好きや、自分のことを明らかに友達とみなしているなど、「明らかに好きになってもらうことができない。」状況下に置かれても、まだ相手のことを追い続けてしまったり、恋が一度は成就していたとしても、たくさん尽くしたのにもかかわらずひどいことをされたりしてきっぱりと別れてしまいたいのに、別れられないなどである。

清算したくてもできない人間関係や、きっぱりと諦めてしまいたいのにもかかわらず未だ切れない人間関係。おそらくそれは、その人間関係において行った努力や費やす時間が大きかった時ほどそうなるのではないか。今回は清算したくてもできない人間関係や、きっぱりと諦めてしまいたいのにもかかわらず未だ切れない人間関係が発生してしまう理由の一つと、それへの対処法を考察したので書きたい。私のように人間関係において、追う立場になることが多かったり、外見的魅力やカリスマ性などがなく、好きになってもらう努力をする必要があることが多い人はぜひ参考にしてもらいたい内容だ。

清算したくてもできない人間関係や、きっぱりと諦めてしまいたいのにもかかわらず未だ諦めきれない人間関係が起こる理由

清算したくてもできない人間関係や、きっぱりと諦めてしまいたいのにもかかわらず未だ切れない人間関係が発生してしまう理由の一つとして考えられるが、その人間関係において過去に費やした努力や時間が大きいことである。

過去に費やした努力、そして時間などの費用が大きいと、そのものがうまくいかなくなった時や将来的に機能しなくなった場合においても、それに対してさらに費用や資源を費やしてしまう過剰コミットメント(the escalation of commitment)(1)が発生しやすくなる。これはサンクコストバイアス、現状維持バイアスや自己正当化など様々な理論から説明されている(2)が、人間はそもそも努力することが苦手であるため、そうでもあるのにもかかわらず努力したものや努力を要したものは「価値のあるもの」であるとみなす傾向があるようである(3)。

この過剰コミットメントの観点から考えると、清算したくてもできない人間関係や、きっぱりと諦めてしまいたいのにもかかわらず未だ切れない人間関係が発生してしまうことは容易に想像可能である。例えば、恋愛関係において、自分が好きな人のためにダイエットやファッション、メイクなどをがんばったり、好きな人に話題をなんとか合わせようと好きな人が好きなものを見たりすると言った、一定の時間と労力を費やした場合、好きな人を諦めてしまった瞬間その努力の価値が揺らぐことになる。であるとすれば、好きな人が自分を好きになることがわかっていなくても、わずかな可能性を信じてその人に努力をした方が良い。清算したい関係も同じで、恋人にひどいことをされていて、将来的な関係も見込めない中で、その人のために尽くした時間が尾を引いて別れられない、またきっぱり別れたとしてもまた何かのきっかけで復縁してしまうと言ったような事態が起きてしまう。

また、この過剰コミットメントの現象は、個人的なプロジェクトのみならず、他人がやっていること(例えば、費用負担や努力は全て他人で、それを第三者目線で見る場合)や組織的な意思決定においても確認されており(4)自分で判断するのが困難で親しい人に相談したとしても、彼らがあなたのそれを手に入れるまでの努力を知っていた場合や見ていた場合、「留まる」というアドバイスをされる可能性が高い。

これに加えて、ビジネスの意思決定と違い、人間関係というものは定量化が難しいし、人の心も行動も予測することはほぼほぼ不可能である(5)。したがって、そもそも過剰コミットメントが起きているかどうかの判断すら難しい場合が多く、最終的には自身の置かれている状況から感覚的に判断することしかできない。

まとめると、清算したくてもできない人間関係や、きっぱりと諦めてしまいたいのにもかかわらず未だ切れない人間関係が発生してしまう理由の一つとして考えられるのは過去に費やした努力、そして時間などの費用が大きいと、そのものがうまくいかなくなった時や将来的に機能しなくなった場合においても、それに対してさらに費用や資源を費やしてしまう過剰コミットメント(the escalation of commitment)の発生であり、それは、他人に相談したとしても解決されない場合が多い。また、定量化と演繹的予測が難しい人間関係において、そもそも過剰コミットメントが起きているかどうかの判断すら難しいことが多い。

そんな彼ならきっぱり捨てちゃうために

では、我々はどのように人間関係におけるこの過剰コミットメントを防ぎ、清算したい人間関係やきっぱりと諦めてしまいたい人間関係を諦めて新たな可能性を開くことができるのだろうか。3つの対処法を考察をしてみた。

1.過剰コミットメントの存在を知る:まずは、この存在があること、起きる可能性があること知り、自分が過去に費やした努力、そして時間などの費用が大きいことによって、そのものがうまくいかなくなった時や将来的に機能しなくなった場合においても、それに対してさらに費用や資源を費やしてしまってないかを意識できるようにする。

2.努力や費用を費やす前に損切りポイントを決めておく:これをされたら、またこういう事象が観察されたら、清算する、諦めるという基準となることを決めておいて、それが観察されたらどのような段階であっても、費やした努力がどうであれ、きっぱりと諦める。

3.分散投資をしておく:一人の人を愛したり、一つのグループに愛を注ぐことは美しいかもしれないが、それが将来的に立ち行かなかくなった場合いつでもスイッチできるように、そして一方でした努力が一方で還元できるように、複数の人間関係(何も浮気や不倫などを推奨しているわけではない)や、いくつかのコミュニティを持っておく。

まとめ

以上、清算したくてもできない人間関係や、きっぱりと諦めてしまいたいのにもかかわらず未だ切れない人間関係が存在する理由の一つを紹介し、いくつかの対処法も考察した。

清算したくてもできない人間関係や、きっぱりと諦めてしまいたいのにもかかわらず未だ切れない人間関係が存在する理由の一つはその人間関係に費やした時間や努力に価値を感じて、それを話せなくなっているという過剰コミットメントの問題であり、それに対処するためには、過剰コミットメントの存在を知る、努力や費用を費やす前に損切りポイントを決めておく、分散投資をしておくなどと言ったことが有効であると考えられる。

僕のように、外見的魅力もなく、人間関係において、「好きなってもらう」ための努力をしなければならない人や追う立場になることが多い人は、特に過剰コミットメントを意識しておくことが重要であると考える。

【参考文献、脚注】

(1)Joel Brockner.1992."The Escalation of Commitment to a Failing Course of Action: Toward Theoretical Progress".The Academy of Management Review
Vol. 17, No. 1 (Jan., 1992), pp. 39-61 (23 pages).

(2)前掲(1)

(3)Michael Inzlicht,et al.2018."The Effort Paradox: Effort Is Both Costly and Valued".Trends in Cognitive Sciences, April 2018, Vol. 22, No. 4, Gielnik, M. M etal.2015."“I put in effort, therefore I am passionate”: Investigating the path from effort to passion in entrepreneurship."

(4)Christopher Y. Olivola.2018."The Interpersonal Sunk-Cost Effect".Psychological Science,2018, Vol. 29(7) 1072–1083.

(5)ニコラスエブリー『人の心は読めるか?』、波多野理彩子訳、早川書房、2015年。

【ダクト飯他記事】



学生でお金がなく、本を買うお金、面白い人と会うためのお金が必要です。ぜひ、サポートよろしくお願いします。