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50連続で書類落ちの40才おっさんが5社からオファーもらった話

序文

エゾジニアのつっかーです。今年 3 月でついに 40 才のおっさんになりました。最近、朝4時に目が覚めるようになりました。大人の階段3段飛びです。人間の成長って線形じゃなくステップファンクションですよね。

さて、2020年1月から2021年9月にかけて転職活動をしました。半年ほど活動休止しつつ延べ1年半強の活動となりました。長かった。結果的には内定3社+内々定2社で計5社からオファーをいただき、自分の就職史上で最大のモテキとなりました。ありがたい話です。

とはいえ、タイトルにあるとおり、ここまでの道のりは決して順風満帆とはいきませんでした。チャンネルとしてリファラル、転職サイト、転職エージェントを利用したのですが、転職サイトでの絨毯爆撃エントリーは書類がまったく通らない。本当に通らない。

本記事ではおっさんの転職体験記として事実と主観を交えて書き綴ります。特に私と同じであろう「バランス型」「なんでもできる=なんにもできないマン」というキャリアに悩む方はぜひ一読いただきたいと思います。長文となりますがお付き合いください。

※途中、ステマかと思うくらいとある転職エージェントさんを絶賛してますが、なんの利害関係もありませんのであしからず。

筆者スペック

・地方在住。妻と息子の3人家族。国立大学院卒(非情報系)。
・SIer→ITコンサルファーム→事業会社の情シスリーダー。
・エンプラや公共の基幹システム基盤開発・運用支援を 10 年ほど経験し、上場企業の情シス組織立上げと社内システム刷新の PMO に従事。昨年から個人事業主として複業開始。
・特技はエンジニアとの通訳。経営者と現場、エンジニアの認識齟齬をなくして物事を円滑に進めるのが得意。
・技術者としてはコードも書けるインフラ屋。AWSが好き。でも3度の飯のほうがもっと好き。
・資格は IPA の情処スペシャリスト資格をいくつか。最初の会社でとってから10年以上ご無沙汰。

転職活動のきっかけ

現職に入社して3年が経ち、会社から任されたミッションをおおむね達成したためです。やること、やらせてもらえることはたくさんあるけれど、私に属人化しないよう世代交代を、というのが表向きの理由。(裏向きの理由が知りたい人は meety でも)

この時点では焦る理由もなかったので、のんびり構えていました。

フェーズ

今回の転職活動は大きく4つのフェーズに分かれています。

 1. 前 期(2020/1~2020/5)
 2. 中断期(2020/6~2020/12)
 3. 停滞期(2021/1~2021/5)
 4. 転換期(2021/6~2021/8)

1. 2. は話が長くなるので詳細は省きます。実はリファラルで2社から内定いただいたものの、現職からの慰留条件が魅力的でお断りしたのが 1. のクロージング。その後、半年ほどは現職+αにまい進してたのですが、体調を崩したりいろいろしんどく感じることがでてきて、やっぱ外でようと 3. に、という流れです。

書類が通らない

3. の停滞期、転職活動をリブートしてからの半年は本当にきつかった。書類選考すら通らないのです。自慢じゃないですが、これまでの転職はリファラルもしくはエージェント経由で、たいてい1か月以内に決まっていたのです。舐めてました。一次面接は余裕で進めるだろうと思ってましたが。。。

いろんなサイトに登録して複数のエージェントさんと面談しました。みなさん「素晴らしいご経験をお持ちですね!すぐ見つかりますよ!」とおっしゃいるのですが、書類落ちの数は 50 を超えました。3. の序盤で40代に乗ったこともあり「これが年齢の壁か…?」と思いました。

もともと私は自分の市場価値について懐疑的です。「守備範囲が広い凡人」「なんでもできる=なんでもできないマン」。これまでは人材不足でなんとか職にありつけたけど、いよいよ年齢フィルターで落ちるのではないか…?悲観的になりました。季節は真冬で気持ちが落ち込みやすい時期でもあったので「筋トレして工事現場でバイトも考えんと…」とか真剣に考えていました。

あきらめかけたその時

状況が好転したのは終盤三か月です。以下の 3 つのイベントが関係します。

1. とある資格を取得したこと
2. その資格に注目して連絡いただいたエージェントとの出会い
3. 自身の仕事に対する価値観の見直し

初めて資格が役に立った

1. の資格は大手クラウドプラットフォーマーの Amazon Web Service の認定技術者資格です。詳しい経緯は以下の記事に記載しています。

記事でも触れていますが、取得のきっかけは期間限定で受験料がお得になるかも、というものでした。「時間もあるしぼちぼちとっておくかな」「ワンチャン副業で案件拾えるかも?」といった程度の淡い期待。まさか転職成功のキーになるとは夢にも思いませんでした。

素敵なエージェントさんとの出会い

AWS 認定資格は 5 つ取得しましたが、二番目に合格した「Solution Architecht - Professional」を転職サイトや自身の SNS 等に掲載したところで、以下のエージェントさんから連絡もらいました。

この頃、やさぐれ気味だった私はエージェントさんからのスカウトメールは無視してきました。一斉送信が透けてみえる画一的な文章、初回面談で「あれ、地方在住なんですか?」と平気な顔で聞いてくる。機械的に処理しているのがだだわかりです。経歴ぐらい確認してきてほしい。

そんな中アールストーンの担当者さんからのメールは違いました。私の経歴書の隅々まで確認し、私の志向や強み弱みについて汲み取ったことが読み取れます。1社、具体的な求人情報が記載されていましたが、これまで私が避けていた受託開発企業。しかし、ジョブディスクリプションをみると興味をそそられました。すぐさま担当者さんに返信し、面談してもらいました。

なぜ私に声をかけたのか聞いたところ、たまたま手持ちの求人に AWS わかる PM という要件があり、前述の AWS 認定資格を保持している人材を検索していたそうです。一般的にその資格を保持している方はいわゆるベンダー所属の方ですが、私の場合のようにユーザー企業の情シスとして保持している人間は珍しかったそうで興味をもったとのこと。経歴書をよく読んでみるといろいろマッチするポジションがあると判断し声かけてもらいました。

AWSの資格がきっかけとなってのご縁でしたが、最終的に内定をいただいたポジションはすべて AWS 経験を問わないものでした。その他のスキルや経験にマッチするもので、短絡的な案件ではなくじっくり腰を据えて取り組めそうなものばかり。

面談は1時間行いましたが、やはり経歴書をしっかり読み込んでくださっていて、密なすり合わせができました。その場で複数社提案いただき、書類を出すことになりました。紹介してもらった企業はいずれも私がエントリーしてこなかったいわゆるベンダー側だったり、Saas企業のプリセールスでしたが、どこも魅力的にみえました。

それからどうなった

流れに身を任せるまま、ほぼ毎日面談する状態となりました。時には事前課題をいただいて数十名の社員の方々の前での実技試験など、なかなかエキサイティングでした。 

8 社エントリーして最終的には 5 社内定という驚きのマッチング率(正確には正内定通知をいただいたのが 3 社、口頭ベースで内定確実と連絡いただいたものの辞退したのが 2 社です)。これまでの活動はなんだったのかと目を疑うレベル。

条件面で妥協したということもありません。年収は2割ダウンを覚悟していたのですが、むしろアップしました。地方在住のままフルリモートで参画することになり、家族にも迷惑かけずにすみました。ちょうど息子が小学生になったばかりなので、転校は申し訳ないなと思っていました。私自身、小学生の頃転校してなかなか新しい学校に馴染めない期間があったので。

逆になんで50社も書類が通らなかったんだろう?

内定もらえると気持ちに余裕ができて「なんで書類まったく通らなかったんだろう?」と考えました。資格を2,3取得したことを除けば職務経歴書は一切更新していません。

思案の結果「地方在住」「エントリーしたポジションのミスマッチ」の2点であるとの結論になりました。

フルリモート前提のポジションはそもそも数が限られていました。地方在住者弱みですね。コロナ禍で数年前に比べれば格段に選択肢は増えているものの、私が狙っていたコーポレート組織の部門長をフルリモートで採用する企業はほぼ見当たりませんでした。単身赴任も覚悟していたのですが、自己都合のため費用も自己負担。その分を年収に上積みすると…役員待遇で迎えてもらわねば割りにあいません。

エントリーしていたポジションはおおむね以下のような属性でした。

・国内大手企業の情シス責任者
・上場済みまたは目前の情シス責任者
・事業会社の社内 IT カンパニー立上げ責任者または SRE

いま振り返ってみると、席が1つしかない、非常に狭い採用枠ばかり。
企業側の期待の高さも踏まえると、なかなか引っかからなくても仕方ない。(そもそも責任者クラスを外部から調達しようとしている時点でいろいろ察する点があるのですが)情シスや責任者ポジションへのこだわりを捨てたところ、選択肢が格段に広がった印象です。

ようやく気付いた自身の適性:コーディネーター

私が得意で好きなこと、それは熱意をもった人たちが協業する際に、それぞれの尖ったスキルや経験をいい感じでかみ合わせて、新たな価値を生み出す手助けをすること、一言でいえばコーディネートであります。

世の中、スペシャリスト志向と叫ばれて久しいですが、得意分野が細分化するほど、チームとして有効に人材を運用するためには横断的な知識・スキルをもったコーディネーターが必要です。ここ数年転職市場でバズっている「DX人材」は経営・事業・技術3つの柱を自在に操るコーディネーターであると言えます。

自分はスペシャリストかコーディネーターかと言われれば間違いなく後者です。といっても前述の「DX人材」のような華やかかつ有能なタイプではありません。長らく中途半端・なんでもできるはなんでもできないと卑下していました。

でも、今回の転職活動で多くのオファーをもらったことで少し認識を改めました。私のようなキャリアを選んだ人は市場にほとんどいない。そして需要がある。

すべてが3流だと居場所がないかもしれません。が、二流、できれば準一流までバランスよく鍛え上げると、見えなかった境地にたどり着きます。ハードSFの名作「星を継ぐもの」で細分化した専門家集団を有機的につなぎ、誰も想像しえなかった謎を解いた物理学者のハント博士が私のロールモデルです。

逃げるは恥だが役に立つ

一連の転職活動を一言でいうならば「逃げるは恥だが役に立つ」ですね。

数年前に「恋ダンス」が話題にあがり、今年、主演二人がガチで結婚するという最高の展開になった「逃げるは恥だが役に立つ」(通称:逃げ恥)。ドタバタラブコメと思われがちですが、原作は、登場人物たちが抱える様々なコンプレックスや社会の多様性を軽やかに描いており、かつ前向きに向き合っている姿を真摯に描いた人間賛歌ものであります。

タイトルの「逃げるは恥だが役に立つ」はハンガリーのことわざで「恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことが大切」だそうな。サバイバル感あふれてますが、原作者である海野氏の解釈は「いま自分がいる場所、置かれている状況にしがみつく必要は無い、自分の得意なことが活かせる場所へ行こう、逃げることも選択肢に入れよう」というもので、大変前向きになれる言葉です。戦略的撤退ってやつですね。

情シスの責任者というこだわりを捨てて「自分が好きで得意なことで食っていこう」と決めてから道が拓けたなと思います。

(と自分が納得しやすい理由をそれっぽく並べましたが、そもそも大量の応募書類のなかで目に留まるほどの魅力がなかったということかと思います。精進しないと。)

まとめ

タイトルどおり書類がまったく通らない状況から好転、無事職がみつかりました。おっさんでも自分にマッチしたポジションが見つかりました。

今回は転職エージェントのアールストーンさんに本当に助けていただきました。資格を取得した直後、検索に引っかかったのは幸運でした。タイミングが少しでもずれていたら、と思うとぞっとします。感謝の言葉しかありません。担当者さんはもちろんのこと、応募した企業担当の営業さんや社長様とも直接コミュニケーションさせていただき、壁打ちをしていただきました。「候補者と企業の双方が納得できるよう全力を尽くす」という言葉は本物でした。畑は違えどプロとして感服しております。(ステマじゃないです)

今後も自身の年齢にとらわれず、自分が好きで得意なことをもって、社会に貢献できるよう意識していきたいと思います。

結局どこにいくの?これからどうするの?

2021/11から企業のデジタル内製化を支援する「ゆめみ」という企業にプロジェクトマネージャー職でジョインする予定です。大枠ではいわゆるベンダー・コンサルの立ち位置で、現職の「情シス」からロールスイッチします。

ゆめみさんに決めたポイントや入社体験については別の記事に起こそうと思います。ビジネスモデルや組織設計が私の性癖にぶっ刺さってて、一目ぼれしちゃいました。こんなにドキドキするのは久しぶりです。

なお「転職」と書きましたが、現職のお仕事も週8時間程度の稼働で継続します。「コーポレートエンジニア」にはこだわりがあるので、相乗効果を期待して引き続きキャリア形成します。また、これまで個人事業主としてお仕事を請けてきましたが、2021/9/1付で合同会社を設立し、法人格に移行しました。サラリーマンではできない仕事をこちらで満たしていきます。

2年前に思い立った「ポートフォリオワーカー」としての働き方をより明確に実行することができるようになりました。このへんの下り(ポートフォリオの内訳、会社設立の背景や具体的な手続き)はまた別の記事にまとめたいと思います。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。みなさまのキャリア形成の参考になれば幸いです。

以上、つっかーでした。


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