私がコーポレートエンジニアである理由
概要
本文書は、私が事業会社の情シスとして働いている経緯について記したものです。ITエンジニアコミュニティで出会った方に、私が何者かざっくり知っていただく目的で記しています。
先日登壇したイベントがきっかけで、コーポレートエンジニアの方々とのつながりが増えたので自己紹介のつもりで書き始めたのですが、ダラダラ書いてたら「私の履歴書」並みに長大になってしまいました(笑)ヒマでしょうがない方のみ読むことをおススメします。
プロフィール
基本的なスペックはこちらを参照ください。
略歴
社会人としてのキャリアは「受託開発SE」→「ITコンサル」→「コーポレートエンジニア(今ここ)」です。ITコンサルといってもエンプラのシステム基盤開発とか PMO なので、要件定義から運用フェーズが主戦場。コーポレートエンジニアとしては 2020/7 時点で 3 年ちょっとです。
キャリア詳細(学生時代)
私はもともと情報系の出自ではありません。大学は理学部で、地球流体力学という、一般人には聞きなれない学問を専攻していました。気象や海流、はたまた氷河や地球内部のマントルまで、地球規模の物理現象を流体力学という視点で説明するというものです。その対象は地球のみならず、火星や金星といった惑星までも対象となります。
実は学部配属時に成績が悪くて、第一希望の専攻から外れてしまった結果であり、学業へのモチベーションは大変低かった。親になった今、学費を捻出してくれた両親には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
授業の大半は寝て過ごしましたが、唯一、現在のキャリアにつながっているのが、学部配属年次に実施された「情報実習」という授業。これは、研究に必要な基本的な ICT リテラシーを身に着けるというもので
という情報系の学科以外では類をみない、当時としては画期的な授業でした。地球流体力学という学術分野が、古くから電子計算機をつかったシミュレーションやデータ解析を行ってきた歴史をもつこと、主催者である教授が ICT に明るく、IT リテラシーの重要性を強く意識していたということが背景にあります。
この頃の私はインターネットを巡回する程度のリテラシーはあるものの、PC自作できるほどの知識や経験はありませんでした。この授業をきっかけにIT技術に興味をもち、のちに主催者である教授の研究室を選択しました。
研究室では本業そっちぬけでITエンジニアとしての修行に打ち込みました。学部のサーバーやネットワーク機器の管理をしつつ、当時、注目を集めはじめた Ruby で気象データを分析したり可視化するためのプログラム開発のお手伝いをするなど、研究そっちのけでのめりこんでいきました。日常的に使うマシンは前述の Debian GNU/Linux で、論文は理系ご用達の Latex。わからないときはググれでなく、man をみろと煽られる日々。厳しくも素敵な修行時代です。
なお、研究室に配属されて知ったことですが、前述の情報実習とは、毎年入れ替わる学生たちに自分たちの研究環境を整備させるためのノウハウ伝承の場という位置づけでもありました。いわば研究室という組織を支える無償奉仕集団。この頃を超える社畜経験は、ありません。(だって会社はお金くれるもん。)
とにもかくにも卒業するまでにはいっぱしのシステム管理者となっていた私が、就職先として IT 業界を選択したのは、自然な流れでした。
キャリア詳細(1社目:メーカー系 SIer)
最初の就職は、誰もが知る日系メーカーの SI 子会社で、地元に本社を構える企業でした。選択の理由は当時付き合っていた彼女の「地元を離れたくないと」言う意向を汲んだがゆえでした。しかし、入社後2か月で東京支社への配属が決定し、以後、退職まで東京勤務となります。(これをきっかけに前述の彼女とは破局し、私の会社へのエンゲージメントは著しく下がります。)
入社後はじめてのプロジェクトは、とある民営化目前企業の物流管理システムの再構築で、私はインフラの構築および保守のチームに参画しました。親会社が元請けで、下請けとして私の所属企業のようなグループ企業がおり、さらに孫請けとしてパートナー企業が名を連ねる、ありがちな多重請負体制でした。まだ労働時間の規制がゆるやかな、古き悪しきSI業界で、新人のくせに残業時間が毎月平均100時間を超えており、振り返るととんでもないプロジェクトだったと思います。
東京湾のベイエリアにある倉庫のようなビルに1か月籠った後、客先のデータセンターに1年ほど常駐しました。まだ仮想サーバが主流でなかったため、全 100 台を超える物理サーバの面倒を見る日々。床からは過剰な冷気が吹き上げお腹を冷やし、計3か所のセキュリティゲートで指紋を当ててはトイレに駆け込む日々。靴下の中にスーツの裾をいれると暖かいというライフハックもここで編み出しました。週3日はタクシー帰り、半年で経費精算の口座にはボーナス手取りくらい溜まってました。午前二時まで錦糸町のタイ人パブで上司とカラオケを熱唱した翌朝、もうろうとした意識の中、障害調査のためログを more したのはいい思い出です。
その後、インフラからアプリケーション開発チームに転属となり、.NET VB のクラサバアプリ開発を経験しました。SIer が大好きな Excel 仕様書をかきつつ、Visual Studio でコーディングもしてました。Linux / Emacs / Ruby 育ちの私にはなかなか馴染めない世界であり、後輩の OJT も任されており、なかなかしんどい体験でした。この頃から私のアンチ Microsoft 心は醸造されていき、今に至ります。思えば、半分、八つ当たりなのかもしれません。
振り返るとめちゃくちゃなプロジェクトでしたが、上司もパートナー企業もお客様もみな個性的で、楽しい職場でした。新人ひとりだけデータセンターに取り残されたことで他企業のエンジニアさんたちが気にかけてくれたこと、学生時代のサバ管経験により「若い割には使えるやつ」と認知してもらえたことで、それなりに仕事のモチベーションを維持することができました。このときの成功体験は今でも支えになっています。
エンジニアとしてのスキルでいうと、いわゆる Unix や Windows Server、Oracle RAC などエンプラで定番の技術要素を習得しました。全銀協や JCB 手順といった TCP/IP 以外のプロトコルについて知ったのもこのときです。世界は広いと心の底から思いました。
キャリア詳細(ターニングポイント)
ここまでのキャリアは、労働時間はさておき、それなりに楽しく無邪気に過ごしてきましたが、次のプロジェクトの経験が、私がコーポレートエンジニアとして働ききっかけとなるものです。
そのプロジェクトは、とある非営利組織の総合事務システムの再構築でした。いわゆる基幹システムで、会員の入退会や会費の収滞納、簡易な CMS までをスコープとしています。地方自治体における住民系システムのようなものです。
このプロジェクトはデスマのあらゆる布石が打たれていました。
開発体制も貧弱でした。
我々ベンダーサイドは、最後までひどい有様でした。特にひどかったのは、ろくに顔を出さない親会社の顔色を窺わなければならないこと。下請けである弊社にとって直接の顧客は、元請けである親会社です。顧客の成功を唯一つのミッションとして、全員が心をともにせねばならないはずなのに、コスト削減のために手を抜けだのなんだの出てくるわけです。若かった私にはそれが耐えられませんでした。
このような条件下においてなんとかシステムをリリースできたのは、顧客の情シスはじめ現場の方々の協力と粘り強さのおかげです。自身が情シスの立場になった今だからこそ、本当に感服します。
とはいえ、最後まで発注者である顧客の情シスがイニシアチブをとれなかったことも事実です。プロジェクトオーナーが不在のまま駆け抜けたことにより、発注者も受注者も、大きな痛みを伴ったのでした。発注側がしっかりしていれば、こんなに互いに傷つかなかったに違いない。
以上の経験を通じて「発注者がしっかりしないと誰も幸せにならない」ことを痛感しました。私がコーポレートエンジニアを志した起点でもあります。
メーカー系 SIer に所属するかぎり、私の理想の世界にはたどり着けません。かといって、いきなりユーザー企業に転職するのは敷居が高すぎる。どうしたものかと悩んでるときに出会ったのがこちらの記事。運命の出会い、このときは本当にそう感じました。
こうして私は、コーポレートエンジニアにジョブチェンジするための修行の場として、「発注者支援」専業の IT コンサルである前職を選んだのでした。
キャリア詳細(2社目:ITコンサルファーム~現在)
二社目の日々は本記事の主旨からずれるので詳細を省きますが、大変素晴らしい修行の場でした。私が足元にも及ばない素晴らしいエンジニア/コンサルタントである同僚たち、尋常じゃない覚悟を背負ったお客様たち、一切軸がブレない社風をリードする創業者。私が前職で感じた不満をすべて拭い去ってくれました。現職と出会っていなければ今も働いていると思います。
6年の修行を経て、次のステージに移行しようとしたときに出会ったのが、現職でした。
私にとってすべての希望条件が揃っていました。応募条件は事業会社の情シス部門長経験者でしたが、ダメ元で応募したところ、ポテンシャルを見込んで採用してもらいました。こうして私が10年前に志したコーポレートエンジニアとしてのキャリアが始まったのです。
私にとっての「コーポレートエンジニア」
私にとってのコーポレートエンジニアとは「ICT を武器に会社の仕組みをハックする存在」です。特に事業会社のひとり情シスは「プレイングCIO / CISO / CTO」だと思っています。管理者としての責務を超えて、経営にコミットする存在であり、そのマインドは経営者とともにあらねばならないと考えています。
私の尊敬する CIO のおひとり、フジテックの友岡氏が自身の note で紹介されていた IBM の グローバル CIO の言葉がすべてを説明してくれます。(勝手ながら引用させていただきます。)
テクノロジートランスフォーメーションでなく、ビジネストランスフォーメーションであるというところがポイント。テクノロジーの変革は手段であり、目的はビジネスの変革です。バズワードとなっているデジタルトランスフォーメーションの本質も、同じであると信じています。
私が志すコーポレートエンジニアとは、ビジネストランスフォーメーションに貢献する存在です。
まとめ
大変長くなりましたが、私がコーポレートエンジニアを志した経緯を記しました。
40手前にしてスタート地点に立ったばかりですが「不惑」という語のとおり、意思を曲げずに邁進していきたいと思います。お知り合いになった皆様、今後も世の中の変革をともに支えて、リードしていきましょう。
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