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2022年1~8月(大学2年休)の振り返り

今日は、休学を決めた2022年度の怒涛の上半期を振り返ろうと思う。

僕としても2022年が始まるときにはこうも荒れ狂うとは思いもしなかったし、かなり充実し、成長した半年間だったと思う。

一方で自分の持病も発覚し、思うように動けない日もあった。

ようやく動けるようになった今、一つの区切りとしてこれまでの半年間を振り返ってみようと思う。

昨年の振り返り↓

2022年上半期の心理状態と成長度

まずは2022年上半期(1~8月)の心理状態と成長度をグラフにして考察してみる。

昨年末の落ち込みから回復し、新しい挑戦を始めた1月は心理状態が上がり始め、ベリロンと出会って休学を決めたあたりでピーク。

その後徐々に鬱傾向が強まっていき、7月と8月はベッドから動けないまでになってしまった。

ここからは各月ごとに起きた出来事、成功談、失敗談を書き連ねていく。

1月 ~クリプト領域参入、Webメディア開設~

世界一わかりやすいWeb3・メタバース入門メディア『イージーバース』

年が明け、2022年はクリプト領域に参入しようと決めた。

きっかけは、昨年某投資家に言われた、「成長市場に飛び込まないと成長しない」というニュアンスの言葉。

当時はサウナを作ることを目的としてアクションしていたが、そこに未来がないと言われてしまったのがきっかけ。(まぁここでそれでも、と押し切れたらそれだけサウナが好きだったってこと。そうじゃなかったってことはそんなに好きじゃなかった。)

次何に取り掛かろうか右往左往しているときに、gumiの創業者の國光さんが何度も語っていた「Web3」に興味がそそられた。

まだ日本では市場がほぼできておらず、これから盛り上がっていくであろう産業。ここに飛び込もうと決めた。

まずは情報収集がてらWebメディアを始めた。

イージーなメタバース、略して「イージーバース」!!
(この頃はWeb3≒メタバースだと思っていた。全然違う、、、w)

昨年学生団体で知り合った友人と始めたメディアで、戦略をしっかり立てて割とちゃんと進めていた。

メディアを作っていて気づいたのは、自分は文章を"わかりやすく"書くのが得意だということ(小学校の頃から言われていたし、塾講師時代にも言われていた)

わからない人の気持ちを想像することができる、と言い換えてもいいのかな。ビジネス風にいうと、toCへの想像力が高いのかなーと思った。

結局イージーバースは、目の前により大きい成長環境が現れたために中断したが、これがきっかけでのちのいろいろなチャンスに繋がったので、なんでもいいけど何かをやっていることはとても大事だなぁと感じた。

大学なんとか巻き返す

昨年末のベッドから起き上がれない現象のために、1ヶ月間大学の授業が受けられなかった。

単位がほんとーにまずく、友達に頼ったり教授にメールして頼んだりしてなんとか留年は避けた。。。けどほんまにやばかった。(あと1単位落としたら留年判定だったw)

ちなみにプログラミングの授業は授業にほとんど出なかったにもかかわらず最終成果物の判定でSがもらえたので、意外とものづくり向いてるかもな、とも思った。

2月 ~今年最大の転機、ベリロンとの出会い~

ベリロンと出会う

2月になり、イージーバースにも記事が溜まってきた頃、Twitterのタイムライン上に衝撃のNFTが流れてきた。

ただ顔の長いだけの動物、だ(笑)。

当時何個かNFTコレクションを買っていたのだが、こんな意味わからないNFT誰も買わんだろ、と正直思っていた。

しかし、そんな僕の感情とは裏腹にベリロンはどんどん売れ続けていった。

そして気づけば、僕もベリロンの一員になっていたw

(僕のベリロンは#26のフクロウ🦉値切ったホォ)

当初はこのNFTをpfp(トプ画)にして動物の鳴き声を真似して遊ぶのがとても楽しかったw

ベリロンの創世記で学んだことはたくさんあるのだが、主に、

① 希少性の力(ベリロンは毎回完売させて盛大に完売御礼スペースを開き、購入したい欲をそそった)
② アジャイル(とりあえず出す)の大切さ

が沁みた。

上半期、これからの活動全てにベリロンが絡んでくるので要注目なのじゃ。

國光DAO入信

順番は前後するが、2月の中頃には僕がクリプトに参入するきっかけとなった國光さんのDAOが誕生した。

その名も、「國光DAO」!!(そのまま…ww)

当時イージーバース以外にやることがなかった僕は、迷わず参加し、リーダーに立候補した。

僕はマガジン担当になり、1ヶ月のDAO内でのニュースをまとめた記事「月刊國光DAOニュース」を執筆し、コミュニティで意見を求め、無事公開まで至った。

一応ここまではやり切ったのだが、國光DAOを立ち上げた國光さんがあまりにも活動に参加せずグダグダな感じで進んでいたので、3月末ごろにやめた。

とはいえ、國光DAO内で知り合い今も仲良くしてくださっている方もできたし、とあるスタートアップの社長さんにコンテンツの作り方についてアドバイスをもらったので参加してよかったなと。

後者に関して、要素を掛け算してアイディアをとにかく出しまくる、その中から仮説検証して上手くいったものを続けていく、これを繰り返す…という内容。今もアイディアを出すときに愛用させてもらっているやり方だ。

3月 ~ベリロンインターン加入、CharityDAO始動~

ベリロンアパレル立ち上げ&インターン加入

ベリロンで1週間くらい遊んだ僕は、とある人のツイートをきっかけにふと思いついた。

「ベリロンに服着せたら面白いんじゃね?」

そして生まれたのが、『VeryLongApparel』、略して「ベリロンアパレル」だ。

https://opensea.io/collection/verylongapparel

これが想像以上の大反響!

ツイートのいいねやコメントもめちゃめちゃつき、初回のセールも速攻完売!

ベリロンアパレルはその後2~3ヶ月くらい続け、結果0.56ETH(当時20万円くらい)の売上を達成した。

またベリロンアパレルを面白いと思ってくれたベリロンファウンダーのAkimにインターンとして誘われ、加入した。

ただの思いつきだったのだがやってみることは大事だなと思った。

CharityDAO始動

ベリロンに出会う前から構想していた「CharityDAO」をついに実行に移した。

やろうと思ったきっかけは、善意ではなく、打算的な考え(笑)。

当時Web3ペーペーだった僕は、何年も業界に巣作っている歴戦の猛者たちに敵うわけがないと思った。

そこで今空いているところでかつ手をつけるべき領域はどこだろうと考えた結果、
・お金にならない領域
・社会的インパクトが大きい領域
の二つが交差するところだろうと思い、非営利活動に行き着いた。

チャリティDAOをきっかけとして、何か他のビジネスにつなげていければいいなーくらいのゆるい思いつきだった。

そう思ったものの、実際やってみるとこれまた反響がよく、Web3界隈の重鎮税理士の方に目をつけてもらい、まさかの神エンジニアさんも加入。スマコンを使って投票→寄付が実行できるようになった。

↓投票サイト

連日連夜、Twitterグループでは即レスの嵐。熱の入り具合が半端なかった。

その後9日間でまさかのスマコン完成。

NFTを売り出し、0.41300001ETH(当時約16万円)もの資金がトレジャリーに送られた!

そこから2週間かけて投票を実施し、最終的に10代の若者を支援するDxPさんの元へ寄付金が送られた!

怒涛の1ヶ月でしたが、自分がやりたいと思ったことを周りの人の助けも借りながらやり切れたことが僕にとっての1番の収穫だった。

またクリプトの寄付金を100%課税なしで寄付できるスキームは日本初らしいので、その点無事成功して本当によかった。

この1ヶ月を経て、「熱は人に伝わる」ことがわかった。
本気でやりたいと思うなら即レスは必須だし、大袈裟に反応する。とにかく盛り上げる。これが大事。

それと、海外への興味が湧いてきた。
協力していただいた税理士の方の影響だ。

とにかく充実したPJだったし、今後も継続できるように少しずつ進めていきたいと思っている。

同年代スーパー起業家Tとの出会い

今年出会った人の中で僕にとって一番影響が大きかったのは、同年代の起業家、Tだ。

彼は中学生の頃にアフィリエイトで1,000万円を稼ぎ、YouTubeで商品紹介をしてまた稼ぎ、今はクリプト業界の会社を立ち上げている。

頭もキレキレだし知識量も多いのだが、それ以上に人間として出来上がっている。

これだけすごいのに低姿勢で謙虚だし、いつも僕の気を使ってくれるし、困るとすぐに助けてくれる。

器の大きさの違いをマジマジと感じさせられた。

イケハヤさんSpace

当時死ぬほど緊張して、何度もspaceの練習をして、いよいよ迎えたのがNFT業界のインフルエンサー、イケハヤさんとのspace対談だ。

結局上に書いてある題目にはほとんど触れず、CharityDAOの話をしていた。(時系列ずれてるけど、CharityDAOの前のコト)

当日もすげー緊張したけど、なんとかいい感じに話せて安心した。やっぱ練習しといてよかった。

4月 ~休学を決意、京都へ渡る~

休学の決意

4月最大の決意といえば、休学だ。

今となってはそんなに大した決断ではないんだけど、当時は多分親と戦争した気がする。(正直あまり記憶がないw)

目的は、ベリロンとCharityDAOをやり切ることで、特にCharityDAOに関してはここまで大物やげき強エンジニアさんが関わってくれることはチャンスだと思った。

だから大学を休んででもしっかりやり遂げたい、そんな思いからの休学だ。

プラス、この後も出てくるのだが、昨年の気持ちの落ち込みがまた起こると今度こそは留年の危機だった。

大学に行かずとも一杯一杯だった当時、休学をするというのは正しい選択だったと思う。

実際今年の7月にぶっ倒れたので、もし大学に行ってたらレポート、テスト類がオワッていた事になる。危ない危ない。。。

NFT新幹線で京都へ

休学を決めると僕は京都に向かった。インターン先の社長の自宅が空き家になっていたので住ませてもらっていた。(社長はシリコンバレーにいた)

おかげで滞在費は0だった。が、交通費をかけたくなかった。

そこで新幹線NFTを発行し、売り切れ、人のお金で京都まで行った(笑)。

今考えてもよくやったなと思うw

そうしてついた先の京都では、社長の家で勝手にベリロンオフ会を開いたり、NFT関係の知り合いと会ったり、たまに観光したりと充実した日々を過ごしながら、Twitter上ではベリロンベリロン言って遊んでいた。

結局3週間くらいいたのかな。楽しい旅だった。

とにかく、河原町が好き。

ベリロンリアルアパレル作成

ベリロンのアパレルNFTを作り、「アパレルの人」になりつつあった僕は、リアルアパレルにも手を出した。

ユニクロのUTme!を使って3,000円くらいで服を作り、0.02ETH(当時8,000円)で売った。

今振り返れば明らかに高いのだが、当時まだリアルアパレルがひとつもなかったことや、イーサで販売したことなどが功を奏し、8枚全て売り切ることができた!

これ以降は同じデザインの服を売ることはしなかったので、「廃盤」的な感じになり、結構気に入ってもらえた。

Web3の最先端、創太さんに出会う

京都からの帰り道、そのまま東京に帰ると思いきや、福岡でWeb3のイベントが開催されるとのことで参加した。

そこでなんと、Web3界のトップランナー、渡辺創太さんとお話しして、ベリロンリアルアパレルを押し付けることに成功した(笑)。

フクロウが印刷されたTシャツを着て行ったら、「あ!ベリロンだ!」と声をかけてもらい、その流れでお話しさせていただいた。

とにかくニコニコしていて話しやすくて懐が広く、自分もこんな人になりたいと思わされた。

ちなみにTシャツは、京都の出発直前にふと「わんちゃんそーたさんにベリロンTシャツ渡せるかも…!!」と思い、速攻作って(集合時刻に大幅遅刻し…mm)現地へ向かった。

身の回りにあるチャンスをどう活かすか、常に考えておくことが大事だなと改めて思った。

5月 ~AstarハッカソンからのVLAstarAnimals~

人生初ハッカソンにチャレンジ

3~4月にかけて実施したCharityDAOのネクストステップとしてAstarチェーンに載せようという話になり、であればとAstarハッカソンに出ることが決まった。

初めてのハッカソンへのチャレンジで何から何まで手探りだったが、なんとか資料提出、発表まで漕ぎ着けることができた。

発表会場はメタバース的な空間で、それぞれ発表スペースが与えられ、お客さんはそのスペースをぶらぶらと回るという文化祭みたいな雰囲気で新鮮だった。

結果としては何も賞を取ることができず残念だったが、今思い返せばもっと詰められる部分がたくさんあったと感じる。

また、もっと資料を作っている途中で助言を求めるべきだった。

当日も積極的にたくさんの人を集めようとすることができなかった。

多分CharityDAOに対して次第に自信がなくなっていってしまったのだと思う。(税理士の方が少しずつ忙しくなってしまい、コメントをなかなか返してもらえなくなったのもある)

自分の信じたものだったらもっと自信を持って、人の目を気にせずにアピールし続けなきゃいけない。変なプライドが邪魔をしていたなーと感じた。

VeryLongAstarAnimalsで総取引額86,000ASTRを達成

Astarハッカソンが終わって少し落ち着き、今度はベリロンの二次創作をガチでやりたいと思うようになった。

その頃謎の自信に震え上がっていて、インターンより外でワイワイやっていた方が楽しいし稼げると思い込んでいた僕は、ベリロン二次創作初チェーンを飛び越えたコレクションを作った。

それが『VeryLongAstarAnimals』だ。

https://tofunft.com/collection/verylongastaranimals/items

確か当時のレートで3.5ETH(60万円)くらい取引高があったと思う。

うまくいった要因は以下にまとめてある。

使ったものはベリロン、ウェビロンといった過去の成功事例と、プラスアルファでベリロンファウンダーのAkimにどう盛り上げてもらうかということだけ。

過去の成功を別のチェーンでもしっかりと再現できた結果だと思う。

とはいえ反省点もあった。

①最初から価格を跳ね上げてしまったために一度止まると売れなくなってしまった
②長期的にコレクションを続けることを考えていなかった

この2つ。

今回の目的は何がなんでも1ETH達成することだったのでその目的に対してはよかったのかもしれないが、長期的な「信用」を少し削ってしまったかなという気がしている。

NFT全体のトレンドも、価格上昇を煽るというより、本質的な価値を考えて提供するという流れに変わってきている。

自分は明らかに前者のやり方だったので、あまりいいやり方ではなかったのかもしれない。

これから少しずつホルダーさんにメリットを感じてもらえるように何か策を考えなくては。と思う。

MSSD×ベリロンアパレル実現

同じインターン生のひろきと下北沢をぶらぶらしているときにふと目に入ったセンスのいいキャラクターTシャツを売っているお店。

その店長さんにベリロンアパレルを作って欲しいと声をかけたらあっという間に作ってくれた。

しかもイケイケ!!

このTシャツはすぐに完売し、次のシリーズもすぐに完売。。。
ベリロンリアルアパレルといえばMSSD、というまでになってしまった(笑)。

そーたさんの時と似た感じだが、目の前のふとしたチャンスを掴むことは大事だなぁと思う。

ベロンベロンパーティー(オフ会)運営

5月末にベリロン初のリアルオフ会が開催されることが決まり、運営を任された。

会場を貸してくれるUniCaskさんとのやりとりから、オフ会までのオンラインイベント設計(ベリロン人気投票など)をほぼ全て僕一人で進めた。

そしてこのイベントをきっかけに何故かスカイダイビングをすることが決まった…あぁ…

オフ会設計に関してはとにかく反省しかなかった。

まず、UniCask側との意思疎通が全然図れていなかった点。
スライドの準備もぎこちなかったし、Unicask側が用意しているものに関して確認もしなかった。

結果的に途中ぐちゃぐちゃになってしまったことが多い。

また当日の僕の動きがオワっていた。

インキャだからなのか、会場のうるささに敏感だったのかわからないが、こういう大勢の集まりが僕はガチで苦手。

全く頭も働かなくなっていたので、臨機応変に動くことが全然できていなかった上、他の人とのお話すらまともにできなかった。

これは反省というか気づき。オフ会企画は自分は向いていない。本当に何も話せなくなる。

そして、オフ会が終わってから3日間くらいはベッドから起き上がれなくなっていた。

得意なことにフォーカスしよう。

6月 ~CharityNounsDAO始動~

CharityNounsDAO始動のお知らせ

上半期、僕の活動の軸となっていたCharityDAOをCharityNounsDAOへリニューアルすることを発表し、仲間募集を行った。

これより少し前から着実とメンバーは増えていて、全部で6人。

あとデザイナーとエンジニアがいればなぁと思ったタイミングで募集をかけた。

同時にCharityDAOの英語アカウントも動かし始め、海外のエンジニアさんから加わりたいと声をいただいた。

メンバー集めはかなりうまくいっていた。

だが、肝心な中身が全然まとまらなかった。

エンジニアさんが集まりいざなんでもできるとなると、どこまでもやりたいことが広がってしまうし、どこまでも気をつけなきゃいけないところが生まれてしまう。

何から手をつけたらいいのか、そもそも僕たちは何がしたいのか、まるでわからなくなってしまった。

・既存のPJ(今回はNouns)から何を改善するのか。
・目的は何か。

この辺りを意識して単純化し、そして、とにかく動いてみる。止まってはいけない。

結果的に僕がダウンする形で止まってしまったのが本当に残念。
今から取り返すしかないと思っている。

さよならフクロウ

6月末には京都でベリロンオフ会が開催され、僕も現地へ向かった。

その頃にはもうだいぶ鬱っぽくなっていて、頭も全然回らず、コミュニケーションを取ることもうまくできなかった。

そんな中、なんと10ETHで出品していたベリロンフクロウが売れてしまったのだ。。。

10ETHとはいえ、OpenSeaの手数料と会場で無理やりシャンパンを買わされたこともあり手元に残ったのは8ETH(当時110万円)。

にしてもいきなり100万円手にしてしまったというわけだ。やばい。

しかも売却先がBAYCホルダーでかつ慶應の先輩。
翌日お寿司に連れていってもらって仲良くなった!

僕がフクロウを出品していた理由は、ベリロンに未来がないと思ったからではない。

おそらく数年後にはうん千万円で取引されているだろうとも思った。

しかしそれよりも今の100万円が貴重だと感じた。

目的は海外!
日本から出たことない僕が海外に行くための資金に充てる。

売れた時はめちゃめちゃ驚きテンションも爆発していたが、アイデンティティを失った僕はぶっ倒れてしばらくベッドから起き上がれなくなってしまうのだった。。。(続く…)

7月 ~ベッドから起き上がれなくなる~

帰宅、そしてダウン

京都から帰宅して1日。急にベッドから起き上がれなくなった。。。

7月の歩数計

7月頭ぶっ倒れて、このままじゃダメだと思い旅に出て、またぶっ倒れて、また旅に出て、みたいなことを繰り返していた。

旅、といっても秩父とか、新宿とか、気分を変えるためのちょい旅って感じ。ずっと寝続けているよりは気分が紛れた。(まぁ、旅先で死にかけてたりもしたけど)

そのせいで7月頭のオフ会2つとIVSに行けなくなり、チャリティDAOは止め、ベリロンでも動けなくなり、、、と全てが終わった。

初めて精神科に行ったところ、「双極性障害の可能性がある」と診断された。

昨年末も完全に同じ状態だったので、謎が解けたみたいでスッキリもしたが、またこれを繰り返す可能性があるのかとも思った。

7月末になると少しマシになって動けるようになり、読書や英語学習をコツコツと始めた。

8月 ~再発、上がったり下がったり~

気分乱高下の日々

7月末~8月頭にかけてはそこそこ調子が良かったものの、8月中旬あたりから再発した。

8月の歩数計

7月頭に比べると落ちている時間は短くまだマシに見えるが、これが結構しんどかった。

1日落ちて、1~3日元気で、また1日落ちて、、、を繰り返している感じ。

落ちている時は自殺念慮まで出てきてしまい、死ぬ気なんてないのに死にたいというワードがどんどん心に浮かんでくるようになった。

精神科の治療プログラムも落ちている日に被ってばかりで全然行けなかった。前に進んでいる感覚は全然ないのに、時間だけがどんどん過ぎ去っていく感覚。。。

あまりにしんどかった。

たまに友達に誘ってもらってご飯に行くことでちょっと回復できるのが唯一の救いだった。本当にありがとう。

無事、9月頭にはだいぶ回復した。

これからのこと

この悪魔の2ヶ月間を経て、やはり自分で対処できるところは対処していかなくてはと思う。

まず双極性障害の原因は、「遺伝」と「環境要因」の二つだと言われている。

遺伝に関してはどうすることもできないので、環境要因、すなわちいかにストレス源を取り除くか、感じないような力をつけるかが大事になってくる。

これまで2回大きなダウンを経験したわけだが、両方に共通するのは「自己肯定感が下がったとき」という点。

1回目はサウナがうまくいかない上に学生団体一筋で頑張っていた人はどんどん上に上がっていくという事実。

2回目はチャリティDAOがうまくいかない上に、ベリロン一筋で頑張っていた人はどんどん上に上がっていくという事実。

すなわちどちらも人と比べて自分は劣っているんだ、自分はだめなんだ、と思うことでストレスが蓄積され、爆発する。

またストレス源としてもう一つあるのはオフ会。
「うるさい+コミュニケーション過多」だと死ぬ。

・人と比べない+自己肯定感が上がるようなトレーニング
・できるだけ大人数が集まるオフ会には参加しない

あたりを気をつけたい。

トレーニングは、瞑想、運動にプラスして何か一つか二つ、続けられるものを見つけようと思う。

同じように自己肯定感が下がったらどうするか、その対処もしっかり考えておきたい。

またこのような状態に至るまでに、両者に共通しているのは、

①現状の環境に文句を言う
②二足の草鞋で他のことを始める
③自分で始めた方が上手くいかなくなる

という傾向があり、環境に文句を言っている。

そのためにより自分の活動がうまくいかなかったときに受けるダメージはより大きいのだと思う。(環境に文句を言っていた自分への怒り、偉そうなこと言っておきながら自分は何もできなかったという自己否定)

文句を言うのはやめよう。自分を偉いと思うのはやめよう。
「ありがとう」と「ごめんなさい」を自然と言えるようにする。それだけは絶対に頭に入れておく。

でも、自分はできる。そういう根拠のない自信は持ち続ける。

2022年上半期大きな学びランキング

1位:「健康(主観)の大切さ」

何事も楽しいかどうか判断するのは自分の“主観”
その主観を司る健康だけは疎かにしてはいけない

2位:「長期的視点を持つこと」

短期的に火をつけてはしゃぎ回るのが好きだが、その火は消える
続けることが大きな成功においては必要

3位:「考えきる体力」

さっきツイートを見つけてドキっとしたこと
クリプトを理解できていないのは理解力よりも理解する体力がない、つまりサボっていると言うこと

4位:「客観的に、冷静に」

「相手がこう思っちゃうかな」と変な思い込みをするとさらに悪い方向へ進む(CharityDAO)
客観的に、かつ冷静に、今何をするのが適切か見極める

5位:「単純思考」

結局本質は「単純」
なんでも単純化して考える(CharityDAO)

2022年上半期を終えて

この上半期は本当に怒涛だった。

NFT領域に参入し、ベリロンと出会えたことは本当に良かったなと今でも感じる。

また後半はベッドから起き上がれない状態になってしまったが、そのおかげもあってか健康への大切さも学ぶことができたし、自分の体質についても理解することができた。

半年間だが、成長度としてはかなりあったし、人脈も広がったので良かった。

下半期は、上半期に巻いた種を育てつつ、海外を回るなど新しいことにチャレンジしたい。

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