ソ連国歌で学ぶロシア語文法・前編
後編はこちら
この記事ではソ連国歌 (1977~) の歌詞を文法的に解説していきます。
「和訳は知っているけど実際のロシア語ではどう表現されているのだろう」「ロシア語でちゃんと理解して歌いたい」「ロシア語は難しいと聞くけどどんな言語なんだろう」などという方におすすめです。初級を終えた方の復習にも役立つかもしれません。
最初は1行ずつゆっくり見ていきます。
またキリル文字に不慣れな方のために、基本的にローマ字で表記することにします(翻字法は Wiktionary 準拠)。
ヘボン式とは発音が異なるローマ字
アクセントについて
強弱アクセント。正書法上は表記されないが本記事では母音字の上に ◌́ を付す。強勢の置かれた音節は強く、やや長めに発音される。なお強勢のない o, e は [a], [i] に近く発音するのが規範。
では始めていきましょう。
1番
1行目:名詞・形容詞の格変化
さて最初は名詞句が出てきました。
ということでロシア語の名詞について簡単に説明しておきます。
ロシア語の名詞には、性という文法カテゴリーがあります(男性・女性・中性)。「男性・女性」という呼び方のせいで勘違いされやすいのですが、これは名詞ごとに振り分けられた単なる属性・パラメータのようなもので、語彙的意味とはほとんど関係ありません。これから実際の歌詞を見ていくと分かりますが、名詞の性はまわりの語の形を変化させる因子のひとつになっています。
また性と関連して、格変化という少々面倒な語形変化があります。日本語では目的語を表すとき、どんな名詞にも「~を」という格助詞をくっつければ大丈夫なところが、ロシア語だと「を」に相当する語尾が名詞ごとに異なってくるのです。この語尾は概ね名詞の性によって決まっています。
ロシア語には全部で6つの格(主格「~が」, 属格「~の」, 与格「~に」, 対格「~を」, 具格「~によって」, 前置格)があり、それぞれに単数形と複数形があります。つまり1つの名詞に12個の変化形があることになります。
さらに言うと名詞を修飾する形容詞も、名詞の性・数・格と一致して変化します。日本語では「かわいい猫を」という風に「猫」にだけ助詞「を」を付ければ良いですが、ロシア語的には「かわいい」という形容詞の方にも「を」に当たる要素を付けなければならず、さらに言うと「かわいい猫を」と「かわいい兎を」ではそれぞれ「かわいい」の語形が異なるのです。恐ろしいですね。
では1行目の歌詞を例に見てみましょう。
語尾の部分はハイフンで区切ってあります。
$$
\def\arraystretch{1.8}
\begin{array}{l}
\begin{array}{llll}
\underset{\text{同盟(男)-単.対}}{\underline{\text{Sojuz-ϕ}}} & \underset{\text{確固たる-男.単.対}}{\underline{\text{nerušim-yj}}} & \underset{\text{共和国(女)-複.属}}{\underline{\text{respublik-ϕ}}}&
\underset{\text{自由な-複.属}}{\underline{\text{svobodn-yx}}}
\end{array}\\
\quad\quad\quad\quad\quad\text{\small ϕ: ゼロ語尾(発音しない) 属: 属格「~の」対: 対格「~を」}
\end{array}
$$
一つ目の語は男性名詞 sojúz の単数対格で、「同盟を」という意味になります。対格は直接目的語でよく使われる形です。ちなみに sojúz は主格と対格が同形ですが、このあと2行目に出てくる他動詞の形によって対格だということが分かります。
二つ目の nerušímyj は sojúz を修飾し、-yj という男性・単数・対格の語尾が前の男性名詞 sojúz の数格(単数・対格)と一致しています。
まとめると sojúz nerušímyj は「確固たる同盟を」という意味になります。なおロシア語の形容詞はふつう名詞の前に置かれますが、文法上は後置修飾も不可能なわけではありません。形容詞がどの名詞を修飾しているかは、語尾によって明らかになるからです。ここでは歌という表現形式のため、韻律的要素が絡んでこのような語順になっているのだと考えられます。
次の respúblik svobódnyx も構造としては sojúz nerušímyj と同じです。形容詞が後ろから名詞に係っています。ただし今回は女性名詞 respúblika「共和国」が複数属格形 respúblik「諸共和国の」になっているため、形容詞もそれに合わせて -yx という語尾になっています(比較:複数主格形 respúbliki svobódnyje「自由な諸共和国が」)。"respúblik svobódnyx" は「自由な諸共和国の」です。
これでようやく1行目が終わりました。
もう一度確認するとこうなります。
$$
\def\arraystretch{1.8}
\begin{array}{l}
\text{Sojuz nerušimyj}\space[\text{respublik svobodnyx}]\\
\text{[自由な諸共和国の]確固たる同盟を}
\end{array}
$$
ロシア語では「AのB」と言うとき属格「Aの」は「B」の後ろに置かれるのが普通です。英語の "B of A" と同じ語順になります。
$$
\text{otec Ivana (отец Ивана)「イヴァンの父」}
$$
2行目:過去形・語順
$$
\def\arraystretch{1.5}
\begin{array}{llll}
\underset{\text{結束させる-過去-女.単}}{\underline{\text{Sploti-l-a}}} &
\underset{\text{永遠に}}{\underline{\text{naveki}}} &
\underset{\text{偉大な-女.単.主}}{\underline{\text{Velik-aja}}} &
\underset{\text{ルーシ(女)-単.主}}{\underline{\text{Rus'-ϕ}}}
\end{array}
$$
今度は動詞が出てきました。
splotíla は動詞 splotít′ (сплоти́ть)「結束させる」の過去・女性単数形です。-l- は過去を表す要素で、-a は女性単数を示す要素です。女性単数形とは一体なんでしょうか? 答えは行末の単語にあります。Rús′「ルーシ」です。これは女性名詞で、単数の主格形になっています。主格は文の主語となる形であり、動詞 splotíla は文の主語である女性名詞 Rús′ と性・数において一致しています。動詞の過去形が主語の性・数に応じて変化するのは、ロシア語をはじめとした多くのスラヴ語に共通の特徴です。
さて、先ほど sojúz「同盟」は主格と対格が同形だと言いましたが、いまこの2行目で sojúz が主格である可能性はなくなりました。というのも、splotíla「結束させた」の主語が Velíkaja Rús′「偉大なるルーシ」であることが動詞の語尾 -la から明らかになったため、これ以上主格の主語が入り込む余地がなくなったからです。このようにして、sojúz が対格の目的語であることが明らかになります。
これでやっと最初の1文の構造がはっきり見えるようになりました。
$$
\def\arraystretch{2}
\begin{array}{l}
\Big[\text{Sojuz nerušimyj [respublik svobodnyx]}\Big]_\text{目的語}
\Big[\text{splotila [naveki]}\Big]_\text{述語}\Big[\text{Velikaja Rus'}\Big]_\text{主語}.\\
\Big[\text{[自由な諸共和国の]確固たる同盟を}\Big]\quad\Big[\text{[永遠に]結束させた}\Big]\quad\Big[\text{偉大なるルーシが}\Big]
\end{array}
$$
こうして見ると、この文は OVS(目的語-述語-主語)の語順になっていたことが分かります。これまで見てきたように、ロシア語は単語の文中での役割が語形によって示されるという性質を持っています。語形が保たれていれば、語順を変えても意味に決定的な違いは生まれません (英語だと意味が完全に変わる. e.g. John saw Mary. — Mary saw John.)。それではこの OVS という語順は SVO と何が違うのでしょうか?
ロシア語の語順は、割と日本語の感覚と似ています。既知の情報を先に述べ、新情報を後ろに置くのです(主題と焦点)。既知の情報は日本語だと「~は」や「~って」などで示され、大抵文頭に置かれます。ロシア語の場合は「は」のような助詞がないですが、日本語と同様に前提となる既知の情報を前に置く傾向にあります。
$$
\def\arraystretch{1.5}
\begin{array}{l}
\text{Prišjol \underline{mal'čik}.}「\underline{男の子}がやってきた」\\
→\underset{\text{S}}{\underline{\text{Mal'čik}}}\space\underset{\text{V}}{\underline{\text{brosil}}}\space\underset{\text{O}}{\underline{\text{butylku}}}. /×\underset{\text{O}}{\underline{\text{Butylku}}}\space\underset{\text{V}}{\underline{\text{brosil}}}\space\underset{\text{S}}{\underline{\text{Mal'čik}}}\\
「\underline{男の子}は瓶を投げた / ×瓶を投げたのは\underline{男の子}だ」
\end{array}
$$
上の例において、男の子の存在は発話の中で前提情報として共有されています。一方、瓶の存在あるいは瓶が投げられたことは未知の情報です。もし会話の中で「(さっき公園で休んでいたら)男の子が来てさ、瓶を投げたのは男の子だったんだよ」と言われたら、「え、瓶の話なんて今してたっけ」となるでしょう。ロシア語も同じように、文法上は問題なくても、文脈上不適当な語順が存在するのです。
それでは最後に、以上のことを念頭に置いて “Sojuz nerušimyj respublik svobodnyx splotila neveki Velikaja Rus′.” という文をロシア語の情報構造に沿って訳してみましょう。恐らく以下のようになるはずです。
自由な諸共和国の確固たる同盟は偉大なるルーシが永遠に結束させた。
自由な諸共和国の確固たる同盟を永遠に結束させたのは偉大なるルーシである。
つまりこの歌詞は、確固たる同盟の存在(あるいはそれが永遠に結束されたこと)を既知の事実として語るような語順になっていることが言えます。結局1991年に儚く崩壊してしまいましたが。
3, 4行目:現在形・受動分詞
$$
\def\arraystretch{1.5}
\begin{array}{cccc}
\underset{\text{(希求の助詞)}}{\underline{\text{Da}}}\space
\underset{\text{健在だ-現在.3単}}{\underline{\text{zdravstvuj-et}}} &
\underset{\text{建設する-受動過去分詞-男.単.主}}{\underline{\text{sozda-nn-yj}}}&
\underset{\text{意志(女)-単.具格}}{\underline{\text{vol-ej}}} &
\underset{\text{民族(男)-複.属}}{\underline{\text{narod-ov}}}\\
\underset{\text{統一された-男.単.主}}{\underline{\text{Jedin-yj}}} &
\underset{\text{強大な-男.単.主}}{\underline{\text{moguč-ij}}} &
\underset{\text{ソビエトの-男.単.主}}{\underline{\text{Sovetsk-ij}}} &
\underset{\text{連邦(男)-単.主}}{\underline{\text{Sojuz-ϕ}}}!
\end{array}
$$
次は動詞の現在形と受動過去分詞が出てきました。現在形から見ていきましょう。
2行目に出てきた動詞の過去形 (splotíla) は主語の性・数と一致して変化していましたが、はたして現在形はどうなのでしょう? 実は現在形は、性による変化はなく、代わりに主語の人称・数に応じて変化します。英語の3人称単数現在 (he plays) と似たような感じで、1~3人称×単複で計6通りの活用形がロシア語には存在します(下表)。歌詞には3人称単数形 zdrávstvujet「それは健康である」が出てきています。
$$
\def\arraystretch{1.5}
\begin{array}{l|l|l}
\text{} & \text{単数} & \text{複数}\\
\hline
\text{1人称} & \text{zdravstvuj-u} & \text{zdravstvuj-em}\\
\text{2人称} & \text{zdravstvuj-eš'} & \text{zdravstvuj-ete}\\
\text{3人称} & \text{zdravstvuj-et} & \text{zdravstvuj-ut}\\
\end{array}
$$
続いて受動過去分詞の sózdannyj「建設された」を見てみましょう。
これは sozdát′ (созда́ть)「建設する」という動詞からつくられています。ロシア語には4つの分詞(能動現在分詞・能動過去分詞・受動現在分詞・受動過去分詞)があり、sózdannyj は受動過去分詞になります。分詞は修飾語として用いられるとき、形容詞と同じように格変化します。
受動分詞のとき、「~によって~された」というときの動作主体(~によって)は具格で表されるのが特徴です。歌詞の中だと vólja「意志」の単数具格 vólej「意志によって」がそれです。
また分詞句の位置に関して、ロシア語では前置修飾も後置修飾も可能であるのが英語と異なります。
$$
\def\arraystretch{1.5}
\begin{array}{c|rll}
\circ & \text{sozdannyj} & \text {volej narodov} & \boxed{\text{Sojuz}}\\
\times & \text{the created}& \text{by the will of the peoples} & \boxed{\text{Union}}\\
\hline
\circ & \boxed{\text{Sojuz}}, & \text{sozdannyj} & \text{volej narodov}\\
\circ & \text{the }\boxed{\text{Union}} & \text{created} & \text{by the will of the peoples}
\end{array}
$$
なお上の例でお分かりになったかと思いますが、ロシア語には冠詞がありません。すばらしいですね。
コーラス
1, 2行目:命令形・再帰動詞
$$
\def\arraystretch{1.5}
\begin{array}{cccc}
\underset{\text{称える-命令.2単-再帰}}{\underline{\text{Slav'-ϕ-sja}}}, &
\underset{\text{祖国(中)-単.主}}{\underline{\text{Otečestv-o}}} &
\underset{\text{我々の-中.単.主}}{\underline{\text{naš-e}}} &
\underset{\text{自由な-中.単.主}}{\underline{\text{svobodn-oje}}}, &\\
\underset{\text{友好(女)-単.属}}{\underline{\text{Družb-y}}} &
\underset{\text{民族(男)-複.属}}{\underline{\text{narod-ov}}} &
\underset{\text{頼もしい-男.単.主}}{\underline{\text{nadjožn-yj}}} &
\underset{\text{砦(男)-単.主}}{\underline{\text{oplot-ϕ}}}.
\end{array}
$$
次に注目するのは冒頭の sláv′sja という語です。
この語はまず命令形であり、さらに言うと再帰動詞と呼ばれる動詞の命令形になっています。
まず命令形について説明しましょう。
ロシア語の命令形には、2人称単数形と2人称複数形があります。文字通りに受け取ればそれぞれ「あなたは~しろ」「あなた方は~しろ」という意味になりそうですが、実際には単数形の方は使える場面が限られます。というのも、単数形は親しい間柄あるいは目下の相手にしか使えないのです。つまり単数形は「君は~しろ」複数形は「あなた・あなた方・君たちは~しろ」という対立になるのです。
この歌詞に出てくる sláv′sja は、2人称単数形です。つまりここでは、祖国ソ連を愛すべき存在として「祖国よ、お前は○○であれ」と2人称単数形で呼びかけていることになります。
実はこの2人称単数の用法は他にも現在形、過去形などの様々な場面で現れるのですが、ここでは命令形を例に取り上げてみました。
次に再帰動詞についてです。
sláv′sja の元の形は slávit′sja (сла́виться)「讃えられる」ですが、この動詞は slávit′ (сла́вить)「讃える」に -sja (-ся)「自分自身を」という再帰代名詞由来の要素を付け加えたものになっています。なぜ「自分自身を讃える」が「讃えられる」という受動の意味になるのかは私には上手く説明できませんが、こういった再帰代名詞を伴った動詞(再帰動詞)が受け身の意味を表すのは、ロシア語に限らず他の印欧語にも見られる現象です。
実のところロシア語には英語のような文法的に体系立った受動態の作り方がなく、受け身を表すのに上述の受動分詞を用いる場合もあれば、再帰動詞を使ったり不定人称構文(3人称複数形を使った "they say that ~" のような構文)を用いたりすることもあります。
3, 4行目:前置詞の格支配
$$
\def\arraystretch{1.5}
\begin{array}{ccccc}
\underset{\text{党(女)-単.主}}{\underline{\text{Partij-a}}} &
\underset{\text{レーニン(男)-単.属}}{\underline{\text{Lenin-a}}} &
—\underset{\text{力(女)-単.主}}{\underline{\text{sil-a}}} &
\underset{\text{人民の-女.単.主}}{\underline{\text{narodn-aja}}}.\\
\underset{\text{1複対}}{\underline{\text{Nas}}} &
\underset{\text{前置詞(+与)}}{\underline{\text{k}}}\space\underset{\text{勝利(中)-単.与}}{\underline{\text{toržestv-u}}} &
\underset{\text{共産主義(男)-単.属}}{\underline{\text{kommunizm-a}}} &
\underset{\text{導く-現在.3単}}{\underline{\text{vedj-ot}}}.
\end{array}
$$
英語やフランス語と同様に、ロシア語にも前置詞があります。前置詞の後にはもちろん、名詞が来ます。ただしこのとき、名詞は必ず主格以外の形になり、どの格(属格・与格・対格・具格・前置格)になるかは前置詞によって決まっています。歌詞に出てきた k (к) は "to, towards"「~へ」という意味で、与格の名詞 toržestvú(主格 toržestvó '勝利')を後ろに取っています(前置詞 k は与格を支配する、という)。
ロシア語を学習する際は、前置詞の格支配も覚えなければなりません。
後編へつづく。