ダメ人間だった少年時代
こんにちは。
『音楽家として生き続けること』を永遠の課題としている、だいぞう(坂本大蔵)と申します。
今回は自己紹介後、初めての記事となりますので『僕がどんな人間なのか?』を、エピソードと共に書いてみたいと思います。
「ポジティブ」
「努力家」
「強靭な精神力の持ち主」
これらは、本格的に音楽に取り組む様になってから、周囲から頻繁に言われる様になった言葉です。
しかし、それまでもそうだったのか?と言うと、決してそんな事はありません。
話は小学生時代にさかのぼります。
・・・
「怠け者で将来が心配です」
学校の行事の一つである、三者面談で言われた言葉です。
当時は夢も目標も無いし、生き甲斐もない。
ピアノは習い続けていたけれど、本気?と問われればそうでもない。
毎日楽しければそれで良い。
大人になったら楽して暮らしたい。
これが当時の僕でした。
そんな性格は容姿にも表れていて、小学生高学年の頃は、中々肥えた体格をしていました。
また『義務教育』の内容に全く興味がなく、当時は勉強をした記憶が殆どありません。
学校はサボるか、授業に出てもほとんど寝ていた記憶があります。
ただ、唯一好きな科目で取り組む事ができ、人から褒めて貰える時間がありました。
図工・美術・音楽の時間です。
当時は絵を描く事や、想像した物を作る事が好きでした。
それは『通知表』の結果にも表れ、他の教科が最低評価だらけの中、図工・美術・音楽は常に最高評価を貰い続けていました。
音楽も好きだったけど、それよりも図工・美術が好きで、家では宿題もせずに漫画や絵を書いて、家族や友達に読んで観て貰う事が楽しい時期もありました。
また、作った作品達はコンクールで様々な賞をいただいたり、絵を描けば通知表の表紙に採用されたり、小学校を卒業する時には『卒業生記念作品』のデザインも任せていただきました。
好きな事に対しては寝る間も惜しんで没頭出来るけど、興味が無い事は一切やらない。
嫌いな事をやる理由が理解できない!
好きな事だけやれば良いじゃん!!
子供ながらに、そんな事を思っていました。
(勿論、今となっては義務教育の大切さは理解しています)
その人生観の背景には、父のこの言葉がありました。
「一度きりの人生、好きな事を見つけて好きな事をやれ」
父は僕が物心ついた頃から、常に好きな事を仕事にし、試行錯誤を繰り返し大成した人でした。
その姿に憧れ、その背中を見て育ったが故の当時の思考、そして今の自分があるのだとつくづく感じています。
ただ、もし音楽に出逢わなかったら、どうしようもない人間になっていたかもしれません(笑)
『これだ!』と思えるものに出逢えるには、もしかしたら運も必要なのかもしれません。
そして、両親が与えてくれた環境はとても大きいと思います。
現在、僕には5歳の息子と4歳の娘がいます。
子供達には選択肢を広げられる様、色々な経験をさせてあげたいし、興味を持った事は率先して提供してあげたいと思っています。
もし皆さんの中に『やりたい事』が見つからないけど、少なからず興味を持っているものがある方は、ぜひ試してみて下さい!
『自分にはできない』と思わず『ちょっと試してみるか~』位の軽い気持ちで良いと思います。
新しい事を試すのに、遅いという事はないですし、もしかしたら運命的な出逢いになるかもしれませんよ。
皆さんの毎日が、心豊かなものになります様に。
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