有り金はたいて買ったiPadの使い道がない

5月初めにiPad Airを購入した。
発売前より「iPad AirはM2チップが搭載され、iPad ProにはM4チップが搭載される」と噂されており、実際その通りであった。


今までのAirの価格を考えると、M2チップが搭載されているにも関わらず600ドルというのは非常に安い。
前世代まで最先端のチップが搭載されたiPadが、たったの600ドル。
なんとお得だろうか。

問題は600ドルが6万円ではなく、約95000円だったことだ。
おかしい、大学生の時にiPad mini2を購入した際は1ドル100円程度だったはず……妙だな……

しかし、それでも僕はiPadAirの購入を決意した。
20代のうちに、お金で得ることができる幸福を一旦精算してしまいたいという妄執に近い目標があった。
細かい動機は自分でも曖昧で非常に言語化しづらいけれど。

30歳になる前に、お金を払ってまで欲しいと思える現実的な"モノ"を、
自分の人生から一旦すべて排除してしまいたかった。
実際に手に取って触れられるタイプの物欲をクリアにしてから、30代になりたかったのかもしれない。

そして、それはさほど難しいことではなかった。
僕はもともとファッションや乗り物、旅行にはあまり興味がないし、
ましてブランド物に対する興味なんて毛ほども持ち合わせていないからだ。

そうして、ここ3年の間にPCモニタ、高級キーボード、ヘッドホン、ワイヤレスイヤホン、電子書籍リーダー、そしてパソコン本体などを一通り購入してしまうと、あとは自腹を切ってまで欲しいものはiPadくらいしか残っていなかった。

大学生の頃に購入したiPad mini2は、もはやジョブズの息吹以外にはわずかな青息吐息しか発しておらず、古いソシャゲすらタイトル画面より先に進むことすらできなくなっていた。

あれ?iPad mini2出た時ってもうジョブズ死んでたな?
じゃあ青息吐息しか出していない。

さておき、現在となってはXiaomiやOppoなどからそこそこ性能の良い中華タブレットが格安で販売されており、加えて円安ドル高により海外製品が割高になっている最中でどうしてわざわざiPadにこだわるのか。

理由は主に2つある。
1つは、丁寧に使えば長持ちしてくれるという信用があるからだ。

昔、Nexus7シリーズやその他の名前も忘れてしまったタブレットなど、いくつかのAndroidタブレットを使っていた時期があった。
それらは1年半も使っていると、目に見えてバッテリーの減りが異常に早くなったり、熱が籠もったり、レスポンスが遅くなったりした。
そして、全ての端末が3年を持たずして物理的に起動しなくなった。

しかし、2015年に購入したiPad mini2は、今となっては青息吐息ながらも、2024年現在まで、動画を見たり書籍を読んだりするくらいならなんとか可能であった。
充電も、無論昔よりは減ったものの、さほど不満がない程度には保ってくれていた。
丁寧に扱えば長持ちしてくれるという面において、僕はApple製品を全面的に信用している。

2つ目の理由は、ブランド的な理由だ。
前述に「ブランド物に対する興味なんて毛ほども持ち合わせていない」と述べているが、iPadに関してはやや例外で、少々事情が異なる。

2012年、当時まだ高校3年生だった僕のそれまでの人生において、嫌いなタイプの先生はもれなくMacBookを使っていたし、嫌いなタイプの女ほどiPodで音楽を聞いていた。

気に食わないタイプの先生は、足を組み、油ギトギトのメガネのテンプルをクイクイしながら、小首をかしげつつ何彼につけては嫌味を言い、いつもMacBookで表計算ソフトを開いていた(何を見ていたのかは知らない)

気に食わないタイプの女は、iPodをドンキホーテで買ったような激安のスピーカーにつなぎ、昼休みの教室の教壇周り大半を占領し、西野カナをジャカジャカと流しながら、ゴリラのような容姿からはまるで想像もつかない可憐な求愛行動のようなハミングを披露していた。

なによりパソコンはWindowsより使い勝手や互換性が悪く、iPodはウォークマンより音質が悪く、iTunesを経由した音楽の同期が非常に手間で、価格は他の音楽プレイヤーと比較して高かった。

よってApple製品と言えば、気に食わないタイプの奴が持っている、リンゴロゴのダサい製品というイメージだったのだ。

コスパを考えず、とりあえずブランドとファッションだけで選ぶような、
毒リンゴを食わされている奴しか買わないとさえ思っていただろう。
なんなら実際に言っていたかもしれない。

しかし、結局のところ、僕も毒リンゴを盛られ、現役のApple製品を1つは所有しておきたいと考える人間になってしまうことになる。

2013年、高校卒業し、大学1年生になった時。

僕は情報系の大学に進学し、新しい自分用のパソコンが必要になった。
予算は12万円以内。
近所の家電量販店に向かうと「春から大学生の貴方へ」的なコーナーが設けられ、様々なパソコンが展示されていた。

当時、DynaBook、富士通、SONY(VAIO)、NECなどから
「Ultrabook」という括りで高性能薄型ノートPCが発売されていた。
それらの持ち運びに便利でスタイリッシュなラップトップがこぞって「新大学生におすすめ!」と銘打って販売されていた。
(あったなUltrabook……すっかり死語だけど。)

そのパソコン販売コーナーの中で、区画分けされている一箇所だけ異質な雰囲気の場所があった。

そう、Apple製品のコーナーだ。

その一角だけ、洒落たオフィスの床のようなシックなカーペットが敷いてあり、シンプルな木目のデスクの上にMacBookが展示されていた。
値札も全然目立たない所に表示されていて、値段より商品に主役を明け渡すようにそっと添えるように記されている。

他のパソコン売り場でド派手なフォントでデカデカと表記されている価格を見た直後だと、本当に同じ機械を売っているコーナーなのか疑ってしまうほどだ。

その広々としたデスクの中央に置かれた最新のMacBookの中では、サカナクションのライブ映像で「目が明く藍色」が大きな音で流されていた。

当時、僕はサカナクションの曲は『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』くらいしか聴いたことがなかった。
面白い曲作るすごいサブカル臭のするバンドだな……程度にしか思っていなかった。名前も変だし。

しかし、MacBookの画面の中で「目が明く藍色」を歌うサカナクションには人心を掌握する"何か"が存在していた。
カリスマ性というよりは、巧みに宗教に勧誘するかのような訴求が。

落ち着いたボーカルとギターから一転、激しく宙を舞う音と光、心臓の鼓動のように刻むドラム、何処か宗教的なコーラスとハモり、そして、それらの楽器と共にまるでクリエイティビティの象徴であるかのように鎮座するMacBook。

おそらくあの瞬間に、僕は毒リンゴを盛られた。
隙を見せた瞬間に「この1台があれば、あなたは無限の創造性を実現可能にできるんです、Appleならね」という、毒を。

そして、スポーツブランドのロゴや、龍の紋章などよりも、
欠けたリンゴが象徴する比喩的なロゴにより心が奪われていくようになったのだと思う。

ただし、大学の授業はWindowsのPCでないと幾分都合が悪く、スマホもAndroid製を使っていたので、Apple製品への憧れを抱きながらも合理的な結論としてVAIOの15型ラップトップを購入した。

そして、大学3年生になった頃、iPad mini2を購入した。
講義の配布pdfや、大学の卒業研究のメモ、プレゼンのスライド等の実用的な事から、ゲームをしたり漫画や小説を読むこと、そして右手のお供まで実に多種多様な活躍を見せた。

そのiPad mini2はつい去年まで現役で活躍していたが、Kindleを開くのにも時間がかかり、勉強等はとうの昔にやめてしまい、最新のゲームは起動できるはずもなく、あらゆるソフトフェアの更新が止まって、もう右手のお供として僕を慰める以外のあらゆる機能が実質的に停止していた。

そして今月、iPad Airを購入しようと思い至った。
お金で買える現実な幸福がもはや新しいiPadの購入以外に残っていない今、iPad Airを購入するしかないと思ったのだ。

5月7日、Appleの新作発表会を見た直後に予約注文をし、
5月半ばには、販売広告の動画が炎上したりしながらも無事に11インチiPad Airが到着した。

手先が不器用なため、小銭を渡して弟に保護フィルムを貼ってもらい、面倒なクラウドやセキュリティやプライバシーの設定を済ませると、早速ブルーアーカイブとKindleをダウンロードした。

これで再び、あの快適でスタイリッシュなタブレット生活に……
あ、ラノベの新作が出ている。KindlePaperWhiteに入れねば。
そういえばブルアカ今日ログインしてなかったな……スマホをポチっと。
そろそろブログが書くか……パソコンを……?

あれ?……
……、さて、この板は何に使うんだろう……?

予約をして、実際に届くまではiPadAirを使ってスマートに情報のビッグウェーブを華麗に乗りこなす自分の面影がたしかに視えたはずなのだ、はずなのだが……
実際にはビート板にすらなっていない。

でもまぁ、とりあえず右手のお供くらいには……
あれ?で、デカい……
其れも其のはず、以前使っていたiPad mini2が7インチであったのに比べて、
今回のiPad Airは11インチもある。
片手で持ちながら片手でブツを持つなどという器用な真似は難しい。

そうだ、前々からやろうとは思っていたがスマホの容量が足りずにプレイしていなかったLimbus Companyと学園アイドルマスターを入れよう。

入れた。入れたが……絶妙にやる気がしない。

やる気がしない理由はおそらく
「どうせもう知っているから」が5割
「知らない事をしたくないから」が5割であるように思う。

ソシャゲ共通の、キャラを手に入れて、強化して、ストーリーを読んで、ガチャを回すという既知の経験の踏襲を繰り返し、やがてフェードアウトするようにログインしなくなることがわかっているのが半分。

もう半分は、ソシャゲという既知の媒体で新しいシステムや新しいキャラクターや新しい物語のインプットに心躍れるほど、生鮮食品的なコンテンツの消費に積極的になれるほど感性がもう若くはないという現実。

まあ、どちらも腰を入れていざ始めてしまえば楽しめることが容易に予想できることがせめてもの救いではあるが。

そんなこんなで、もう、とうの昔に大学生ではなく、創造力を想像する若さを失い、人前でプレゼンすることもなく、現実的に歳を取り、様々な物事に取り組む手段としては他のツールを十分に手に入れてしまった今、10万円近く払って購入した最新のiPad Airの使い道が絶望的に存在しない。

かろうじて"使ってる感”を出すために、ブルアカはiPad Airでプレイしているが、別にiPadでプレイする必要性はまるでない。

という話を、身近な人間にしたところ「iPad腐らせおじさんやんw」という心温まる言葉を頂戴した。

でも、案外「iPad腐らせおじさん」も悪くはない気がしてきた。
牛歩ではあるにしろ、20代最後にちまちまとお金を貯め、欲しいと思えるものを片っ端から購入し、思いつく限りで最後に欲しいと思った物の使い道は、もはやさほど必要なものではなかった。どこかしら童話的ではないだろうか。

そして、買ったこと自体は全然後悔していない。
使い道もなく机の上にすっ転がっているiPad Airを眺め、
世の人が言う「持っているだけで、なんとなく充足した気持ちになれる」
というブランド物に対する感覚を生まれて始めて自分の主観として捉えられた気がしたからだ。
これが、経済の余剰によって創り出された満足感="ブランド"かと。

とはいえ、眺めて満足してこのまま腐らせておくわけには行かない。
腐った毒リンゴのままにしてはおけない。
もうiPad一台で出来ることに夢は見られないし、有用で現実的な使い道もない。
けれど、このブログくらいはiPadで書いて、かつてクリエイティビティの象徴かと幻視したジョブズが創り出したブランド性に敬意を示そうではないか。

せっかくの毒リンゴならば腐らせず、毒性くらいは少しは活かしておこう。
そのために、この文章を書いたのだ。全ての腐った毒リンゴへ継ぐ……

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