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倫理的正しさと実利的正しさ

誰かと「正しいこと」を議論していて噛み合わなかったことがありませんか。例えば日本の軍備について。また夜道を女性が歩くことについて。またビジネスの局面において。物事には大きく分けて倫理的な正しさと実利的正しさというものがあり、これらを混同してしまうと議論は噛みありません。

例えば軍備を一切放棄するということは倫理的には正しいかもしれませんが、攻撃されても反撃できなくなり仮想敵が攻撃する意欲を高めてしまうので、実利的には間違えている可能性が高いです。また女性が夜道を歩いて痴漢に会う場合明らかに問題なのは痴漢の方ですが、それでも私たちは娘に「夜道を一人で歩いちゃいけない」と教えます。なぜなら社会が完全に倫理的になることはあり得ず、身を守るのは「実利的なもの」だからです。つまり倫理的正しさとは「そうあるべき」で語られ、実利的正しさは「具体的に自分はどうすべきか」で語られます。

この二つを混同してしまう人は仕事ができません。仕事は常に倫理と実利が対立し矛盾しているものだからです。世間のためと言いながら自己の利益も追求し、全ての人をと言いながら顧客とそうではない人を分けています。倫理的正しさばかりを主張すると仕事になりません。
ロマンチストは倫理的正しさを優先しますが、リアリストは実利的正しさを優先します。アーティストと政治が相性が悪いのは、ロマンとリアルだからだと思います。表現者は理想を追求できますが、政治は妥協の産物です。ロマンチストは腹黒いと言い、リアリストは綺麗事では何も変わらないと言い返します。だいたいこれらの話は二宮尊徳の「経済なき道徳は寝言であり、道徳なき経済は罪悪である」に向かいます。

倫理的正しさについての議論は、哲学や宗教に行き着きます。というのも正しさは人工物なので本当はそんなものがないからです。人工的に考えて作り出すなら思想哲学、既に決まっていると考えるなら宗教かなと思います。

倫理的正しさは人工物であり積み上げた土台のようなものなので、議論をする際にどの土台のレベルで話しているかを理解することが重要です。相手がどの程度の土台まで外しているのかによって議論の噛み合い方が違うからです。人を殺してはいけないという土台に立っていてそれより下を考えたことがない人と、もし人を殺してもいいとしたらどんな社会になるのかを議論することは難しいです。そんなことあってはならないと怒ってしまうからです。自分が立っている土台自体を疑えなければ、その土台より下のことを考えることはできません。

国家同士になんらかの対立が起きた時、同盟国同士が「共有の価値観」という言葉を頻繁に使いますが、それは実利的正しさを追求すれば全ては国益追求的になる中、それを越えて同盟国を括るものが根源的価値観しかないからだと思います。とはいえ本当は同盟自体が国益追求なのだと思いますが。

いずれにせよどちらの正しさの議論をしているのかをわかりながら議論することが大事だと思います。小泉元首相は小選挙区制に反対をしていたそうですが、一旦小選挙区制が導入されると大変な強さを誇ったそうです。それに反対することと、もしそうなったらどう生き抜くかをを考えておくことは矛盾しません。私はどちらも大切なことだと思います。

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