見出し画像

伊坂幸太郎が書くあの街で

私は東北の出身だが、高校を卒業して進んだ大学は関東だった。

学科の友人のひとりが仙台の出身で、冗談半分で彼女は地元を「東北の東京」と呼んだ。むべなるかな、仙台は東北で一番の都会だ。

しかし南東北、ぶっちゃけ福島県の小さな町出身の私にとっては、郡山が福島県の東京だったし、仙台も東京も想像できないくらいの都会で、つまり違いなんか分からなかった。

だから、進学する時、一定の数は仙台の学校に進むけれど、私は一切候補に入れていなくて、関東の大学に進んだ。

理由は簡単、好きなバンドが関東出身で、アホな女子高生だった私は、そっち方面に行ったら会えるんじゃないかな★と思っていたからだ。


同時に、自分の町と福島県に郷土愛はずっとあったけれど、東北というひとくくりで意識するようになったのは、大学で関東に出たからだと思う。

大学在学中に起きた、東日本大震災もその想いを強くさせた原因のひとつだ。東北六魂祭(現・東北絆まつり)とか、激アツである。

営業として就職した会社は各地方の中心都市に営業所を構えていた。そして、福島県出身の私は、仙台営業所に配属された。

しかし大変楽しい大学を関東で過ごした私には、親しい友だちも仙台にはおらず、土地勘もなく、びみょーに違う方言に違和感を感じて、仙台はとても寂しい場所に感じられた。

イギリスに行くと決めて退職するまでの3年半ほど、仙台に住んだことになる。20代前半、初めての社会人生活を送ったその場所。

彼氏もできなかったし、マッチングアプリで知り合った人はマルチ商法みたいな人だったし、営業車で事故ったし、結局後輩は入ってこなくてずっと下っ端のまま終わったし、冷静に考えて、あんまり良い思い出はない。

豪雪で前が見えなくて泣きそうになったりしたし、三陸の沿岸を走りながらカーナビ上にだけ残る津波にのまれたクリーニング屋さんの表示と、目の前の復興工事の様子のギャップに泣きそうになったりしたし、営業先でお客さんに怒られて、駐車場で田んぼの向こうの夕焼けを見ながら泣いたりした。

けれど、営業車で走り回った東北は美しかった。
いつも同じ時間に通る田舎の高速道路、夕焼けがきれいだった。
田んぼの真ん中で育った私は、山形や宮城の田舎の田んぼ道を通るのも大好きで、しかし雨あがりの道路の照り返しが眩しすぎてあやうく目がつぶれそうになったりもした。
杜の都と呼ばれる仙台は、中心部の車道は混むから避けていたけど、大きく育った街路樹を見るとどの季節でも落ち着いた。
どこのお客さんも近所の美味しいごはん屋さんを教えてくれた。ラーメンは、山形県のが大好きだ。新庄のとりもつラーメン、酒田のワンタン麺、天童の中華そば、あの店この店、お気に入りがたくさん。


そうやって営業しながら一人で、東北はきれいだなぁ、仙台もきれいだけど、少し寂しい。と思いながらやっていたけれど、私が仙台を好きになったのは、伊坂幸太郎の小説を読んだから、というのが大きい。

前述の仙台出身の大学の友人は、「伊坂はね〜」と知り合いのように語った。もちろん伊坂さんと知り合いなわけじゃないと思うが。

仙台で住んでいた家の近くの本屋さんにも、伊坂さんの本コーナーがあった。

大学時代にも読んだことがあったけど、仙台に住んで、あぁこれはあの道のことだな、駅の東口だからあの辺かなぁ、などと思いながら読むと、100倍面白かった。

それはまるで、大学時代、友達と「あの道あるじゃん、なんかちょっと暗いとこ」「やっと工事終わって通りやすくなったよね」「えっあそこから駅に抜けられんの?」と話すほどに、知らない街がどんどん「知ってる街」に変わっていった感覚のようだった。

伊坂さんは私の仙台友達、みたいに思ってる。勝手に。友達がいなかったから、なおさら。

そして伊坂さんが素晴らしい物語を書いて、その舞台が仙台であろうと東京であろうと、それが面白ければ面白いほど、私は勝手に仙台を誇りたくなるんだ。地元じゃない、辛い思いをたくさんして、たくさん泣いて、寂しいなぁと思ってばかりだった街だけれども。

仙台は素敵な街だ。東北にいるという安心感もあったからだろうか。

関西に住んでいる今、無いものねだりかもしれないけれど、あの安心感と、東口から楽天球場までまっすぐ歩けるあの広い道と、大きな大きな街路樹が懐かしい。

#この街がすき

この記事が参加している募集

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?