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娘の遠回りを許せない僕を戒める"リアルみんゴル"の記憶。川村昌弘プロ

 
「なんで遠回りしちゃいけないの?」

5歳の娘が、僕の顔をのぞき込んでくる。

そこにあるのは、とても純粋な疑問だ。
だからかえって、僕は言葉に詰まってしまった。



娘は近くのゴルフスクールに通っている。
家から非常に近いところにあるので、歩いて向かう。子供の足でも10分ほどの場所。娘はキックボードに乗るから、さらに時間はかからない。

家を出て右。道なりに左に曲がっていって、信号を2つこえたら到着。
近いからこそ、特に考えもなしに最短ルートをとる。そんな父に、娘はこう言ってきた。

「左からいっちゃだめなの?左からいって、右にいって、右でつくよ」
「えっ?それだと遠回りじゃん」
「遠回り、だめ?」

シューズ


よくお友達が遊んでいて、誰かにあいさつできる公園。
声をかけてくれるお姉さんがいるハンバーガー屋のキッチンカー。

そっちを回った方が楽しいし、ちゃんとゴルフスクールにもたどり着ける。
娘はそう思ったらしい。道理だ。だが僕はつい、大人の意見で押し切ってしまう。

「とりあえず今日は遠回りせずに行こうよ」

娘は素直に「うん」と言って従う。
すぐに気持ちを切り替えて、スイスイとキックボードで進んでいく。


その小さな背中を見ながら、僕はひとりのプロゴルファーのことを思い出して、ハッとする。

たどり着くべきカップは1つ。
だが、そこまでのルートは1つではない。

かつて彼は僕に、そんなことを教えてくれた。

グリーン


2013年5月5日。国内男子ツアー、中日クラウンズの最終日。
川村昌弘プロは最終18番パー4の第2打を前に、何やら考え込んでいた。

僕は松山英樹プロの取材に向かう道すがらで、この様子をみかけた。
ピンまで残り170ヤード弱。普通なら7番アイアンで狙う距離だが…。

その時、風の通り道である18番ホールには、すさまじく強い向かい風が吹いていた。それで悩んでいるのだろう。

そこで足を止めず、予定していた取材に向かうべきだった。
松山プロは史上初となる「ルーキーの2週連続優勝」へ、1打差の2位につけていた。勝っても負けても、彼の記事が必要なのは明らかだった。

だが僕は足を止めて、川村プロのショットを見届けることにした。

彼はキャディーさんをうながして、バッグから使うクラブを出させた。
3番ウッド。実際の距離の1.5倍にあたる250ヤード以上先を狙うクラブだ。

自分の目を疑った。
それで打ったら、グリーンをはるかにオーバーしてしまう。驚いて見入っていると、彼はその3番ウッドをバッグにしまわせた。

まあ、そうだよな。
冗談で言ったのに、キャディーさんに本気にされちゃったのかな。

よく分からないが、僕はホッとした。だが、それもつかの間のことだった。
川村プロが代わりに受け取ったのはドライバー。3番ウッド以上の飛距離で、300ヤード近く先を狙うクラブだった。


シューズ



僕はあわてて、彼の様子がもっとよく見える距離のところへと急いだ。

だが、川村プロはそれを待ってはくれなかった。
構えたかと思えば、あっさりと打った。

ボールは地上すれすれを滑るように飛んでいく。
そして、ほどなくして着地。芝の上を転がりだした。

初速は完全にグリーンオーバーの勢いだった。
だが、空中を飛ぶわけではないので、地面との摩擦でスピードが落ちていく。これならオーバーしない。グリーンの中に止まるか…。

だが、グリーンの手前には強い上り傾斜があった。
ボールはここをこえられず、止まってしまった。

ペン


僕は松山プロの取材に直行するのをあきらめた。
川村プロに話を聞かないことには、どうにも落ち着かないからだ。

「なんか、ものすごく微妙な空気が流れていましたよね?18番グリーンの周りの観客席に…」

プレーを終えた彼は、そう言って頭をかいていた。

その言葉通り、グリーン近くの観客は反応に迷っていた。
放物線を描かず、転がってきたボールを見て「ひどいミスショットだけど、結果オーライでグリーン近くまでは来た」と思ったに違いない。

「さすがにアイアンを持って、あんな球を打つミスはしないんですけどね」

肩をすくめて、川村プロは苦笑いする。

滞空時間が長ければ長いほど、ボールは風の影響を受けて流される。だから、風が強い時は低い球を打つというのは、ひとつの定石ではある。
ただ、低いと言ってもほどはある。170ヤードを地面を転がして狙うというのは、見たことも聞いたこともなかった。

「グリーンに乗っていれば、ドヤって語らせてもらうところなんですけどね。でもまあ、まったくありえない選択肢じゃないな、ってのは思いました。個人的には」

グリーン


そこから僕は、できるだけ時間をつくって彼のプレーを見るようにした。

まるでゲーム。「みんなのゴルフ」だ。
そう思った。右に左に、とにかく自在にボールを曲げまくって攻める。

それはいわゆる「トレンド」とはかけ離れたスタイルだった。

ゴルフは「曲がる」との戦いと言っていい。
1分間に数千回という高速のスピンが小さなボールにかかるため、とにかく意図せずボールが曲がる。

だから、道具の進化は「曲がらない」方向で進んだ。
ある一定のスイングをしていれば、予想を超えるほどには曲がらない。決まった距離も出る。

9番アイアンで150ヤード。8番アイアンで160ヤード。
道具の力を借りて直線的に、機械的にピンを狙う。それが現代的なゴルフの「定石」だ。

川村プロは違った。

最短距離にこだわらない。
コースの形状に合わせて右へ、左へとボールを大きく曲げながら攻める。

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道具がもたらす直進性には頼れない。難しさは伴う。

だが例えば、曲げることで上の図のようにうまく角度をつくれれば、フェアウェーやグリーンを広く使うことができる。
加えて、ショートやオーバーをした際、グリーン周辺にある池やバンカーなどにボールが落ちてしまうというリスクも減らせる。

そして、川村プロの選択肢は、左右に曲げるだけでもない。
風が強ければ、中日クラウンズの18番のように、170ヤード地点からドライバーで転がして狙うことまである。

大事なのは、ピンの近くにボールを運べるかどうか。
彼が選ぶ道筋は、一通りではなかった。

グリーン


「定石」を取らないのは、コース内だけに限った話ではなかった。

その年の9月、川村プロは「アジアパシフィックゴルフ選手権パナソニックオープン」で国内ツアー初優勝を果たした。

当時まだ20歳。
日本勢としては石川遼プロ、松山英樹プロに次ぐ史上3番目の若さでの優勝に、ゴルフ界は「新星現る」と盛り上がった。

だが本人は、勝ち取った立場に安住するつもりはなかった。
この試合で優勝したことで得られた権利を使って、翌2014年から「アジアツアー」に主戦場を移したのだ。

世界ランクを比較的上げやすい日本のツアーで優勝を重ね、まずはマスターズや全米オープンといった海外メジャーの出場権を得る。
そして、その前後にあるアメリカでの試合にも出場して、一定以上の賞金を獲得すれば、アメリカツアーの常時出場権が手にできる。

遼プロも松山プロもそうやって「世界進出」を果たしていた。
それが賞金やメディアへの露出を確保しながら歩める、いわば「王道」だった。

だが1歳年下の川村プロは、まったく違う道を選んだ。

飛行機


アジアツアーは、ヨーロッパツアーとの共催試合を多数持っていた。

そうした試合で賞金を稼いでいけば、アメリカツアーと同じく世界的な規模で行われているヨーロッパツアーの常時出場権を獲得できる。

川村プロはパナソニックオープンで勝ったのをきっかけに、ヨーロッパ進出を考えるようになっていた。


ただ、道のりは険しいものだった。

アジアツアーを主戦場としながら、規定によって日本のツアーにも出場しなければならなかったからだ。
しかも、同じく海外進出した松山、石川の両選手の出場義務試合数が「5」であったにも関わらず、川村プロだけはなぜか16試合も課されてしまった。

異議を申し立てたが、却下された。
そのため、日本と世界をめまぐるしく行き来する強行スケジュールを余儀なくされた。

その年の7~9月の日程は、このようなものだった。

7月24日~ ロシアンオープン(モスクワ)
7月31日~ ダンロップ・スリクソン福島オープン(福島)
8月14日~ フィジーインターナショナル(フィジー)
8月28日~ アールズエバーラスティングKBCオーガスタ(福岡)
9月4日~   オメガ・ヨーロピアン・マスターズ(スイス)
9月18日~ ANAオープン(北海道)

若い川村プロでも、この地球を一周するようなレベルの連戦は堪えた。
胸部の痛み、そしてめまいが出て、本来のプレーができなくなった。

グリーン


それでも川村プロは「アジアツアーを選んでよかった」と言っていた。

「世界の舞台でプレーするのが、ずっと夢だったので」

14歳の時に、アメリカとヨーロッパの女子ツアー共催試合「エビアン・マスターズ」の男子ジュニア部門で、初代チャンピオンになった。
その「副賞」として、本戦開幕の前日に行われるプロアマ戦でもプレー。後に海外メジャーに昇格するビッグトーナメントの雰囲気を存分に味わった。

エビアン・マスターズは僕も記者として取材したことがある。
他のスポーツも含めて、選手や関係者をあれほど歓待してくれるスポーツイベントはないように思う。

記者用の食堂では、無料でフランス料理のフルコースが出てきた。
コースの外でも、市内を無数に走っているベンツの大型ワゴンに記者証を示すだけで乗れて、どこにでも連れていってくれた。

おそらく選手はそれ以上の待遇だろうと思う。
最高峰のスポーツイベントを間近に見て、川村少年は「いつかはプロとしてこういう舞台で戦いたい」という夢を抱いた。

過酷な連戦も終盤を迎えていた9月。21歳になった川村プロは、アジア・ヨーロッパ共催大会のオメガ・ヨーロピアン・マスターズに出場した。
会場はエビアンと同じアルプスの麓。同じようなビッグトーナメント。夢が半分かなった気がして、涙が出た。後にこう語っている。

「こういう場所を目指してきてよかったなと。そして、こういう場所で戦い続けたいなと、あらためて思いました」

飛行機

川村プロは参戦したあらゆる大会で、開幕前に必ず会場近くを観光して回ってきた。

ヨーロッパとアジアをまたにかけた転戦は、とにかく疲労がたまっていく。
目先の試合だけを考えれば「練習が終わったらすぐにホテルで静養」の一択だ。

だが、ずっと転戦を続けるなら、逆に少しでも気分転換をした方がいい。
彼はそう考えていた。

「その意味でも、アメリカよりもまずはヨーロッパから、と思っていました。ずっと同じ国内で戦うアメリカツアーよりも、開催国が毎試合変わっていくヨーロッパツアーの方が、フレッシュな気持ちでいられますから」

練習の合間に観光、どころか、練習をせずに観光する日まであったともいう。
単にさぼっているわけではない。ずっと先まで見据えるなら、調整の選択肢に「気分転換」も入ってきてしかるべき。彼はそう考えていた。

グリーン


どこを「ゴール」として見据えるか。
それ次第で、考え方も、取るべき手段もおのずと変わってくる。

川村プロを追う中で、僕は彼からそんなことを自然と学んでいった。
ゴールを遠くに設定すればするほど、選択できるルートも多くなる。そんなことも思わせてくれた。

そして彼の言葉の中で、特に深く刺さったものがある。

「いったい、どうやって球筋をコントロールしているのか」
そう聞かれた時に、いつも答えるフレーズだ。

「曲げたい、と思う気持ちが強ければ、自然と曲がりは強くなる。そういうものだと思う。だから、ちょっと曲げたいときは、曲げたい気持ちをちょっとにする」

「曲げる技術」や「曲げる発想」は確かに必要だ。
だが根っこにあるべきは「曲げたい」という気持ち。これは彼の生き方すべてに通底するもののように思う。

目指すは世界最高峰の舞台。
その途上の戦いの中では「曲げる」ことを求められることも多い。

だから「曲げたい」と念じて打つ。
その動機づけはおそらく、目の前の1打だけを考えて生まれる「曲げたい」とは比較にならない強さ、重さを持っている。

そうやって放たれるボールは、誰よりも大きなカーブを描き、ピンに向かって飛んでいく。

スマホ


昨年亡くなられた有名な投資家・瀧本哲史さんの教えの中に「アイデアは武器にならない」というものがあった。

自分としては「これは発明だ」と思うようなひらめきは、実は大半が他の多くの人も考え付くものである。
武器にするべきは、そうしたアイデア自体ではなく「この案件は他の誰でもなく自分が形にしなければならない」という必然性や強い動機づけ。瀧本さんはそう説いていたという。

川村プロの生き方、プレースタイルは、この教えに重なるような気がする。
まず強い動機づけがあって、それを実現するために「このホールはこう攻めよう」というアイデアが生まれる。

右に、左にと球を大きく曲げて攻める。170ヤードをドライバーで転がす。
それらは目的ではなく、あくまでアイデア。つまり手段の域を出ない。

そう捉えられているからこそ、川村プロは柔軟に、多彩な攻め方をとることができているのだと思う。

グリーン


川村プロは2018年、ヨーロッパツアーの予選会に参加し、見事出場権を獲得した。

アジアツアーとの共催大会に限らず、年間通してヨーロッパの試合に出られるようになった。これを機に、活躍の場をほぼ海外だけに絞った。

2019年は賞金ランク56位で、見事に次シーズンの出場権を確保。
今年は中盤戦こそやや苦戦したが、9月以降は優勝争いにも顔をのぞかせるようになった。

こうして世界ランクを上げていき、いずれはアメリカツアーの出場権を確保する。
ヨーロッパ出身の選手たちが歩んできた「王道」が、川村プロにもはっきりと見えてきている。

ただ、彼は周囲に「もしそういう可能性が出てきたとしても、あえて裸一貫、予選会を受けてアメリカツアーを目指す、というのも僕らしいかも」と話しているという。

アメリカの予選会は、トップツアーではなく下部ツアーの出場権を得るためのもの。つまり、かなりの遠回りになるのだが、それを「自分らしい」と彼は言う。

「定石」「最短距離」といったものに、どこまでもこだわらない選手だ。

◇   ◇   ◇



ゴルフスクールへ向かう道すがら。
娘は今日も「左に行きたい」と遠回りを選ぼうとする。


よかった。あきらめずに主張してくれた。
何より大切な「動機づけ」を、大人のエゴでつぶしてしまうところだった。


ほっとした僕は、彼女に顔を寄せて、聞いてみる。

「今日はなぜ、そっちに行きたいの?」




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