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【再編集】朝ドラ女優の夜。全米が笑った投稿。槙野智章選手はいつも「サプライズ」とともに


2021年12月19日。天皇杯決勝。
浦和レッズの槙野智章選手は、後半ロスタイムに決勝点を挙げた。

クラブからは、今季限りでの契約満了を告げられていた。
この試合も終盤までベンチから見守った。1点リードの状況でDFラインに投入されたが、そのあとにチームは失点してしまった。

そんな状況で、彼は見事なゴールを決めてみせた。

「お祭り男、エンターテイナーですからね。全部持っていきました」

ヒーローインタビューでの第一声を聞いて、僕は思った。
槙野選手はまさに、お祭り男だ。それは、このような大舞台に限ったことではない。

いつなんどき、相手が誰であっても、サプライズに巻き込む。
彼と関わった多くのみなさんと同じように、僕もそう感じている。今回は特に驚かされたエピソードを紹介させていただきたい。

この記事は2020年7月に公開したものを、2021年12月の浦和レッズ天皇杯優勝のタイミングにあわせて再編集しています。

◇   ◇   ◇



2016年8月9日、午後8時10分。
東京・銀座の中央通りには、最高気温38度の暑さの余韻が残っていた。

まとわりつくような湿気。街の明かりにも霞がかかったようで、ほんの少しだけぼやけている。
汗拭きシートで首筋をこすりながら、僕は約束に合わせて街角に立っていた。

その日はオフの前日。浦和レッズの槙野智章選手と、柏木陽介選手と3人で、食事をすることになっていた。
だが、直前で柏木選手が急用で来られなくなった。僕に対して「申し訳ないです」と詫びる親友を制して、槙野選手が言った。

「じゃ、代わりにスペシャルゲストでもいいですか?」
「それはもちろん!でも一体誰を…?」
「それはもう、スペシャルゲストです!」

いたずらっぽく笑うだけで、誰を連れてくるかはまったく明かさなかった。


スマホ


約束の時間になった。LINEメッセージが届く。「ごめんなさい!ちょうど着きます」。
スマホの画面から、銀座の裏通りの方に目線を移す。誰もいない。

「塩さーん!こっちです!」。大声がする方に目を向ける。中央通りの広い歩道。その真ん中を、槙野選手が歩いてきていた。

その姿をみて「あっ」と声が出てしまった。女性と一緒だ。
銀座が最も活気づいている時間。たくさんの人があたりを行きかっている。おいおい…写真撮られるぞ。

槙野選手はあっけらかんとしていた。「いやー、意外と気づかれない!」と言って笑っている。
こっちは何となく、目のやり場に困った。女性の方を見ることができないまま、とりあえず予約した店への案内に専念する。

カウンターの席に通され、荷物を置いて一息をつく。
槙野選手を気遣うふりをしながら、その向こう側に座った女性をチラリと見た。思わず声をあげてしまった。

「だ、醍醐さん?」

ワイングラス


店に入って1時間後。
僕はその女性とともに、槙野選手に対して「バドミントンが、いかに大変なスポーツか」と熱弁していた。

瞬発力、持久力のどちらも必要。
さらには、空中で身をひるがえすバランス感覚に動体視力、空間認知力…。

加えて、相手との駆け引きも求められる。
サッカーにも決して引けを取るものではない。

2対1という数的優位も生かして。
女性と僕は、サッカー界屈指のコメント力を持つ槙野選手と、互角以上の論戦を展開していった。

彼女は学生時代、バドミントン選手だったという。
3人での食事会は、とても楽しかった。槙野選手もうれしそうに言う。

「お付き合いをさせてもらってるんですけど、すごく刺激的ですよ。その道のプロだし、アスリート気質だし」

なるほどね、と僕は何度もうなずいた。
最初は取り乱してしまったが、そのころにはだいぶ落ち着きを取り戻せていた。

毎朝欠かさず見ていたNHKの朝の連続テレビ小説で、主人公の親友を演じていた女優さん。
その人がいきなり、目の前に現れた。だから思わず、役の名前で呼んでしまった。

「オレは朝ドラ見てないんで、よくわかんないんですけどね」

カウンターの向こうの職人さんまでが、僕らと声をそろえて「見なよ!」と突っ込む。
カラカラと笑いながら、槙野選手がこちらを見て言う。

「スペシャルゲスト、驚いたでしょ?」

サッカーボール


数日後。さいたま市・大原サッカー場。
クラブでの練習終わりに、槙野選手が声をかけてきた。

「こないだはありがとうございました」
「こちらこそ!だけど僕も記者だし、記事を書いちゃうかもしれないよ?」
「任せますよ。他の人は一切知らないですしね」

ニヤリと笑っている。そう言われると記者は困る。分かっていて言う。

それにしても、相変わらずだ。サービス精神の塊。細かい打算や保身などよりも、とにかく人を楽しませること、喜ばせることを優先する。


彼はいつも、そういう基準で動く。
思い出すことがあった。食事の席からさらに半年以上前の2015年12月。僕は槙野選手に相談を持ち掛けていた。

「ゴルフの石川遼プロが、レッズの選手とゴルフをしてみたいと言っているんだけど…どうでしょう?」

浦和レッズを担当する直前、僕は4年間ゴルフの取材現場を任されていた。
石川遼プロとのご縁も、そこで得た財産だった。「どうです、レッズ取材は?」。彼がそんな連絡をくれたことをきっかけに「レッズの選手と遼プロがゴルフ」というプランが持ち上がった。

埼玉県出身の遼プロは、もともとレッズのファンでもあった。そして、レッズの選手たちの間ではゴルフが流行ってもいた。
アスリート同士の情報交換の場にもなるだろう。これはいい機会。そう思って、槙野選手に相談をした。

実現するためには、1つの条件があった。
遼プロが年内にあけられるスケジュールは、12月14日の午後のみ。レッズの選手がこれにあわせるしかない。

「まあ、練習自体は午前中で終わりますからね。次の試合まで2週間あるタイミングだし…クラブと話をしてみますね」

槙野選手はそう言って、話を預かってくれた。

ペン


次の日、練習後に槙野選手が話しかけてきた。

「ごめんなさい。参加者が10人をこえちゃいそうなんですけど、大丈夫なもんですかね…?」

仰天した。てっきり、槙野選手がひとりで来るものだとばかり思っていたからだ。
聞けば彼は、クラブからゴルフをする許諾を得ると、この日の練習直前のロッカールームで高らかに叫んだという。

「遼くんとゴルフ行きたい人!」

当然、希望者が殺到した。当日の予定がつくかどうかわからない選手もいたが、とりあえずみんな手を挙げたらしい。
遼プロと一緒にラウンドができるのはせいぜい3、4人。いったい、どうしたもんか…。

スマホ


「大丈夫ですよ。選手の皆さんを3組に分けて、僕が3ホールずつ一緒に回ればいい」

電話の向こうの遼プロは、あっさりと答えを出してくれた。

ただそもそも、日の短い冬の午後に客をスタートさせるというのは、ゴルフ場にとって普通の対応ではない。加えて3組も受け入れるとなれば、その分特別にキャディーさんを出勤させる必要もでてくる。

「そこも僕がお願いをしてみます。人数が12人をこえちゃうときだけ、また連絡をください」

それにしても、と言って遼プロがクスクスと笑う。

「槙野さんって、普段からそういう方なんですね。イメージ通りというか」

僕もそう感じた。遼プロほどのゴルファーとラウンドする機会。9ホールすべて、一緒に回りたいと思うのが普通だろう。
人脈としてもそうだ。スーパースターとのつながりを独り占めしておきたい、と思う人も少なくないはずだ。

だが槙野選手は違う。それらをサービス精神が上回る。
選手たちを喜ばせたいというのがひとつ。そしておそらく、選手をずらりとそろえて、長年のレッズファンである遼プロを喜ばせたいというのもあっただろう。

「当日がすごく楽しみです」

遼プロがポツリと言う。
その通りだと、僕も思った。

グリーン


懇親ゴルフは、大盛り上がりのうちに終わった。
遼プロは参加した選手全員にパターをプレゼントした。「家宝だ」と言って喜ぶ選手もいた。

僕にとっても、とてもありがたい機会になった。
槙野選手はスタート直前に選手を集めると「今日のラウンド、セッティングしてくれたのは日刊スポーツの塩畑さんです」と伝えてくれていた。

それがきっかけで、多くの選手との距離が縮まった。
ラウンドに参加した選手だけではない。後日、他の選手も「聞いたよ。てっきり槙野がもともと遼くんと親しいのかと思ったら、塩畑さんなのね」と話しかけてきた。

遼プロはそのあたりも見込んで、ゴルフの場を設けてくれたように思う。
ただ、それがあそこまで多くの選手に広がることまでは、想定はしていなかっただろう。

それはひとえに、槙野選手のおかげだ。

スマホ


そんな彼のサービス精神が、海を越えて伝わったこともあった。

2020年4月。槙野選手がSNSで投稿した動画が、アメリカの大手スポーツ局・ESPNに特集された。

「びっくりしました。さすがに」

直後にあったzoomで雑談する機会。槙野選手はそう言って笑った。

「ただ、オレとしては前からやっていたんでね。もちろん、本業をサポーターの皆さん、ファンの皆さんに見ていただけない分をカバーしたい、という側面はありますけど。でもコロナじゃなくてもやってきたことです」

ファンのすそ野を広げる活動を、誰かがやらないといけない。
そうしないと、競技に未来はない。

彼はいつもそう言っていた。バラエティー番組への出演。SNSでの発信。誰よりも積極的に、コアファン以外の目に触れようと動き回った。
ともすれば「サッカー選手の本分から外れている」と批判されがちな活動ではある。同業者が「あいつはタレントか」と揶揄する声も聞く。

だが彼には、彼なりの信念があった。覚悟も決めていた。

サッカーボール


当時は感染拡大が始まったばかりだった。
選手たちは、メディアから取材を受ける機会が激減。そのかわり、SNSなどで発信する機会が増えていた。

それ自体は、とてもいいことではないか、と僕は感じていた。

応援されるためのストーリーづくりというのは、プロアスリートにとってとても大事なことだ。
自分からの発信の必要性、というのは、そこを真剣に考えるきっかけになり得る。

ただ発信自体は「みんながやっているからとりあえず」という感覚でもできる。
整備されたSNSの仕組みと、コロナ禍でできた時間が、それを可能にさせる。

「やること自体はいいと思うんですけどね」

槙野選手も、慎重に言葉を選びながら言う。

「大事なのは『誰のために何を伝えるのか』と『自分が発信する必然性』じゃないですかね。そう考えていくと、生半可なものはできない」

彼はコロナ禍以前にはクラブの許可を得て、個人で雇ったSNS用撮影スタッフを常時帯同させていた時期まであった。
本業であるサッカーに集中しつつ、かつ生半可な発信にしないためだった。

スマホ


加えて言えば、彼はメディアからの取材に対しても、本当に丁寧に対応をする。手厳しい質問、批判的な問いかけをされても、真摯に応える。

SNSでの発信だけでは、結果として受け手を選ぶことになってしまう、と彼は考える。ツイッター、インスタ合わせて120万人ものフォロワーを抱えているにも関わらず、だ。

「オレはもっとたくさんの人に喜んでもらいたいんです。そのためにサッカーを全力でやっているし、SNSだって全力です」

承認欲求だけで動くなら「アメリカでも話題になった」という結果に満足するかもしれない。
だが彼はサービス精神で動く。だから立ち止まらず、動き続ける。

「喜ばれるためには、求められる限りやらないといけない。『時間があるからやる、でも忙しいからやらない』なんてことは、サッカーでもSNSでもありえない」

彼が示す指針は、すべての発信者に「より良い発信機会とは何か」を示すもののようにも感じる。

その発信に「自分だけの動機づけ」「必然性」はあるのかー。
求めてくれる人や世の中を意識して発信できているかー。

サッカーボール


西武ライオンズ・中村剛也選手の言葉を思い出す。

昨年、4度目となる打点王に輝いただけではない。
36歳は盗塁も決める。守備も軽快。そしてこう言い切る。

「体つきを見て、もう動けないと思われるんでしょうけど、僕は生まれたときから太ってる。この身体で走って、守れるように鍛えてきた。昨日今日のデブとは年季が違うんですよ」

あの体型なくして、中村剛也という希代のアスリートはない、ということだろう。
槙野選手もしかり、という気がする。彼の場合は「サービス精神」だ。

みんなを喜ばせたい。
その思いは槙野智章というアスリートと不可分のものだ。

ライトユーザー向けの発信を続けても、アスリートとしての説得力を失わないようにと、自分を鍛えてきたという側面もあるかもしれない。

中村選手の言葉を借りるなら「年季が違う」だろうか。

◇   ◇   ◇

2021年、天皇杯決勝。

レッズのユニホームを着てプレーする、おそらく最後の機会。
ロスタイムも残り数分というところで、チームを優勝に導くゴールを決めた。

そんな槙野選手をみて、誰もが口をそろえる。
「持っている」と。

僕もそう思う。
だが一方で彼が「持っている」のは、特別な運を持っているから、とかではない気もする。

より好みなどせず、目の前にいるひとすべてを「お祭り騒ぎ」に巻き込みたい。
常日頃からそう思っているからこそ、彼にはああいう機会がめぐってくるし、そこで大きな仕事も成し遂げられるのではないだろうか。

あの劇的なゴールは、きっと永遠に語り継がれるだろう。
だが、彼はそれに満足したりはしないのだと思う。

「お祭り」はきっと、これからも続いていく。
たくさんのひとが、槙野選手に驚かされることだろう。

とても楽しみだ。


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