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長野県立大学大学院ソーシャル・イノベーション研究科を修了しました。

2022年4月、開学とともに1期生として長野県立大学大学院ソーシャル・イノベーション研究科(以下「SI研究科」と表記)に入学し、2年の在学期間を経て2024年3月に修了を迎えました。
修了した今、少しだけこの2年間を振り返ってみようと思います。

※書き終えて見返すと、敬体文と常態文が混ざって気持ち悪いのですが、なんとなく「説明は敬体文、述懐や考察は常態文で書いたんやな」と理解して、特に推敲訂正はしていないのでご了承くださいまし。
※写真は本文と関係なく適当に添付してますので、適当にお楽しみください。

ゼミの皆さんと修了式後に

長野県立大学大学院ソーシャル・イノベーション研究科とは

詳しくはHPをご覧になっていただければと思いますが・・・

2022年に開学した専門職大学院で、ソーシャル・イノベーションを専攻し、学位として所謂MBAと言われる経営学修士(専門職)が取得できる研究科です。
大学院の目的=こんな人を育てていきたいという「養成する人物像」としては「ソーシャル・イノベーター」を2年間の学びの中で養成すると定義しており、それは以下の能力を兼ね備えた人としています。

1)企業やその他の組織のマネジメントの基盤となる専門知識を持っている。
2)企業・行政・NPOによる共創を通じ、ビジネスおよび地域の持続可能な発展に必要となる社会問題の多面的な把握ができる。
3)存在していないものをつくり出す創発力を有している。
4)新規事業の創発・公民連携に必要とされる高度な専門知識を身につけている。
5)創発したアイデアをビジネスや新規プロジェクトとして自ら実践することができるコミュニケーション力とアントレプレナーシップを備えている。

長野県立大学大学院ソーシャル・イノベーション研究科HPより引用

そのような能力を身に付けたと評する学位授与の方針(ディプロマ・ポリシー)と教育課程編成・実施の方針(カリキュラム・ポリシー)は以下になります。

■ディプロマ・ポリシー
DP1)企業やその他の組織のマネジメントの基盤となる専門知識
DP2)多様なアクターによる共創を実現するための基礎となる専門知識
DP3)持続可能な社会の構築の視点から、具体的な社会、地域および企業の経営上の問題を捉え、創造的な視点で新規事業を創発(知識創造)することができる力
DP4)経営学・会計学・経済学および人文科学の領域における、深き学識と高度で卓越した専門的能力
DP5)知識創造した新規事業を自ら実践することができる力
■カリキュラム・ポリシー
CP1)既存のビジネスを理解するための基盤となる経営科目を配置する。
CP2)ソーシャル・イノベーションの基礎となる知識およびビジネスにおいて必須の「情報」に関する知識を身につける科目を配置する。
CP3)解決方法がまだ十分に展開されていない未知の領域にアプローチするマインドと創造力を身につけるため、リスクや恐怖を克服するための自己のマネジメントとイノベーションのアイデアを創造することを学ぶ科目を配置する。
CP4)経営学・会計学・経済学および人文科学の領域における専門的な能力を身につけるための科目を配置する。
CP5)新たな解決方法をモデリングする能力と実践する能力を身につけるため、ビジネスモデルを構築し、それを実践する科目を配置する。

長野県立大学大学院ソーシャル・イノベーション研究科HPより引用

なんかごちゃごちゃと小難しい引用を重ねましたが・・・
三枝なりに解釈をすると、要するに以下ができるようになろうぜ、ということだと思ってます。
・「社会における課題みたいなものっていうのがなんなのかを、ちゃんと捉えられるようになろうぜ」ということ。
・それに対して「課題ってどうやったら解決するねん」というのを、直接的短期的な要素だけではなく実行することで起きる様々なインパクト(正負双方)を踏まえて事業として企画計画できること。
・そこで企画計画した事業を、様々なリソースを集めて形作り、継続的にインパクトを与えられるものとして経営マネジメントできるようになる。

文字にすると「あー、そういうことね」という感じなのですが。
この3つを「できるようになる」ということが「どういうことなのか」に対して、ソーシャル・イノベーションという世界の研究理論に即したプロセスが設計されているのが、この研究科の大きな特徴かなと思ってます。

小難しくなってきたので箸休め。講義の一コマです・・・一応。

つまりどういうことかと言えば、多分MECEではないですが以下の要素が三枝としては挙げられる気がしてます。
・「社会における課題を捉える」こと。つまり、自分が見たい世界だけを切り取って課題は見えがちだが、その自分なりの思考や行動の癖=バイアスを取り払って世界を観察し、課題定義を行うことが必要。
・課題を定義して解決する事業を検討するが、その検討は大なり小なり「自身が手がけて、事業にしていく」前提である。その「自身が行う」とはどういうことなのかを認識し、マインドセットを持つことが必要。
・事業を構想するが「資本主義が生み出した課題を、資本主義で解決した時に、再び外部不経済性が発生する可能性」がある中で、課題のシステムを捉えることや、事業を立ち上げた後に発生するインパクトがどのようなものかまで想いを馳せる必要がある。
・上記のプロセスを経て「認識した課題」と「計画する事業」は概して人に理解されない領域であり、リソースを集めることが難しい。その「通常の事業とは異なる特殊性」の中で事業を立ち上げる必要がある。

そして上記の「必要性」を実現するために、以下の特色あるカリキュラムが組まれており、これがSI研究科のアイデンティティであり大きな特徴であり、異色となっている部分ではないかと思います。
・思考系科目:SI研究科では「アート思考」「哲学思考」「身体性思考」「システム思考」「人類学思考」「セルフマネジメント」といった科目が存在。バイアスを外すことや、自分自身に深く潜ることや、世界の現象を紐解くような思考を身につける。
・演習系科目:単なる講義形式のインプットだけでなく、対面でのセッション等も意図的に設計をしている。その内容が所謂「ビジネスゴリゴリ」みたいなのだけでなく、自分自身のWhyやナラティブを見つめたり、ストーリーテリングを行ったりと、「自分自身が事業を創っていく、その土台」みたいなものを固めるところにもフォーカスを当てている。
・チームアップ:大学院生同士と教員との関係性について、かなり重点を置いてチームアップを行い、心理的安全性・知的安全性を保ち、互いに違和感や想いを話したり壁打ちできる関係性を構築。その関係性が、事業創出の特殊性の状況下におけるリソース集めの一つとして寄与し得る。
・リサーチペーパー:SI研究科では「修士論文」ではなく、リサーチペーパーなるものの執筆を修了要件としている。自身の課題感を明確に定義しリサーチクエスチョンを設定し、学術論文ではないながらも事業に正統性を与えるための先行研究を参照し、その上で事業計画までを折り込むことで、「ソーシャル・イノベーター」として持つべき能力や資質の集大成を言語で表現する。

箸休めPart2、スタディツアーで豊岡に行った城崎温泉の夜

SI研究科の概要と特色を、自分なりの解釈で言語化してみました。
読んでいただければ感じると思いますが、ぶっちゃけめちゃくちゃ「亜流」といっても過言ではないと思います。ビジネスを極めたい人はもっと経営をゴリゴリ学べるプログラムに参加すればいいし、公共経営について極めたい人は政策大学院系のを学べばいいし、事業立ち上げを学びたい人はアントレプレナーシップや事業立ち上げをゴリゴリ学べるところがもっとあると思います。
そういった人たちには多分あまり刺さらず、それよりももうちょっと異なるアプローチや深度で自分や社会にモヤモヤしているような、複雑性や変態性を持つ細い点にしか刺さらないようなカリキュラムであり、かつ必ずしも得られた学びが直接的かつ短期的な成果につながるわけでもないことを踏まえて「ソーシャル・イノベーターになる能力を身につけたい」という欲求の観点がマイナーすぎる人が集まってくるわけです。

私が入学したのは、そんな大学院でございました。

※追記:検索したら「設置の趣旨等を記載した書類」がネットで出てきた。289ページに及ぶ資料ですが見ていると面白いので、お暇な方はぜひ。

https://www.dsecchi.mext.go.jp/2108nsecchi/pdf/naganokendaigakuin_2108nsecchi_syushi.pdf

大学院に入る前と、入ってからの講義のこと

SI研究科のことを目にしたのは、2021年の10月付近のことだったと記憶している。関係者(というか創設者)がFacebookで繋がっていて「作ります!」という投稿を見たからだ。
「あ、面白そうかも」とだけ思いつつ詳細は読み込まず、後日自宅のトイレの中で研究科概要や募集要項を読んでいるうちに「これは、学びたいことな気がする」という確信を持ってしまった。ちょうどそのタイミングが「派遣推薦」という枠の締め切り12日前くらい。そこから家族や職場に相談し了承を得て、母校に卒業証明書と成績証明書を取り寄せる申請を出し、志望理由書を書き殴り、ギリギリで提出した。
よくよく思い返すと、妻も育休明けというタイミングで、また初めての子供が1歳という大変なことが明らかにわかる中で、2年間も大学院で学ぶことをよく妻も承諾したものだと思う。

その後の面接では、SI研究科長の大室さんが面接官であった。
口頭試問を経て、自身が提出した志望理由書を軸にしたプレゼンを行い質疑応答。なんとなく記憶に残っているコメントは「もっとシンプルに話した方がいい(プレゼン時間もオーバーした笑)」「娘が1歳〜3歳の時期、この時しかないけれど、本当にその時期にいなくて後悔しないのか」「三枝くんは研究に向いてない気がする」というもので、帰路に長野駅まで歩きながら「あー、落ちたかも」「というかよく考えりゃ娘もそうだよな・・・本当に後悔しないのだろうか」というのを、真剣に頭の中でぐるぐる悩んでいた。

面接前に寄った、最寄駅すぐのカフェ。結局行ったのはこの時だけだった・・・

そんなのを経て、無事に合格通知が届き、入学することを決めた。
ついでなので、これから受験する人のために自分のプレゼン資料を添付しておこうと思う。どんだけ参考になるかは分からないけど、自分の置かれているフィールドと、先方が提供するものと育てたい人材を熟読しながら、営業資料のノリで作成してみた。

2022年4月2日が入学前ガイダンス、4月9日に初回授業を長野県立大学にて対面で実施したらしい。ガイダンスでは「プレ科目」という謎の時間が3時間設定されており、「経営学入門」というタイトルで「経営とは」というのを学問的に解釈した上で、「経済学ディシプリン」「マクロ/ミクロ心理学ディシプリン」「社会学ディシプリン」という経営理論の紹介を、びっしり文字で埋め尽くされたスライド30枚くらいで延々と話をする大室さんを目の前に「あー、同期のみんな、これ全部理解できてるのかな・・・自分ついていけるのだろうか」とかぼんやり考えていた。
ただ「偶然性」というキーワードが出てきた時に「知らない土地で偶然寄った酒場で偶然会った人と酒を酌み交わす偶然性は、日常的な習慣からの脱却」みたいなノリのチャットをふざけて送ってみたら「わかる、昨日も私、隣の知らないおじさんたちとめっちゃ仲良くなって飲んでた」というチャットが返ってきた時、少し安心した記憶が印象に残っている。

そんな感じで4月9日の初回講義を迎え、上に挙げたような特徴あるカリキュラムがスタートした。

4月30日に撮ったらしい。講義の間に寝てるおじさんたち。

科目については色々あるので詳細は述べないが、平日週3-4日仕事が終わってから講義、土曜日はオンラインと対面が交互にあってほぼ1日講義や演習、そして4学期生なので1年に4回もレポートラッシュが訪れるというのは、なかなかの事態であった。徹夜・・・までは仕事もある身なので流石にいかなかったが、深夜に日が変わった後も、睡眠欲と集中力と戦闘を交わしながらレポートに勤しんだことも多くあった。
なんとなくいい機会なので、自分的に「なかなかええやん」的なレポートや「傑作やんけ」というレポートや発表資料をアップしてみる。

・1年次1学期「マーケティング」
4チームに分かれて講義でインプットされた知識を活かし、商品やサービスと会社を決めてマーケティング分析を行った。自分がたのめ企画でナイアガラホップをやっているから&チーム全員がビール好きだという理由で、大手ビールメーカーとクラフトビール最大手を比較しながら、ナイアガラホップの取るべき戦略をまとめた資料。何より、本論に入るまでの「ビールコラム」を個人的には一番時間と情熱をかけたと感じており、「ビールはなぜ太るのか」「居酒屋でなぜビールを頼んでしまうのか」について解釈を交えて蘊蓄を書き殴ったのがとても好み。

・1年次4学期「アート思考」
SI研究科の特徴でもある思考系科目の一つであるアート思考。ロジカル思考、デザイン思考という潮流や役割がありつつ、ソーシャルイノベーションや事業を手掛ける上での「触発・創発」こそ、アートに横たわるような違和感や偏愛から生まれてくることを、理論的に学び、自身の偏愛や違和感を捉えて事業計画を作ってみるというもの。レポート的なものが苦にならず、ひたすらワクワク面白い方向のことを考えながら、苦しみなく深夜まで発表資料作りに邁進できた、希少なもの。

・2年次1学期「産業と市場における企業行動」
経済学的理論を基にして企業行動を分析予測するというガチガチ講義。講義担当教官もマジで「プロフェッサー」という風格を備えており、象牙の塔において「ああ、この人からは見放されたくないなあ」と感じさせる人であった。それが故に頭を抱えながらも講義のインプットを解釈し、特定業界の2030年における企業行動を理論的に述べるというレポートも、講義ノートを読み返しながら必死に書いた。正直、学部時代(一応経済学部)通して、最も気合を入れたレポートだった気がしている。選んだ業界は相変わらずビールで(しつこいw)、至った結論も聞くと「そりゃそうだよね」という感覚であるが、それを理論的に導き出しているというのは、自分としてはやった感があって結構好き。

上に挙げただけでもゴリゴリ経営系、思考系、経済学系。さらにデジタル系(AI、デジタルアナリティクス、データサイエンスとか)、健康系(セルフマネジメント、健康マネジメント)、公共系(公共経営、参加型評価など)、そしてスタディツアー(豊岡市、東京。行けなかったけど韓国)など、今思えば様々なバリエーションの講義があった。
大学時代は応援団という部活に精を出しすぎて、4年開始時点で残り40単位という絶望的な状況を情報戦を駆使して52単位取得、ゼミにも入らず卒論も書かず、経済科目に興味が持てず他学部から20単位専門科目を替えられるという神制度に従い農学部や文学部の講義に出入りしていた、極めて「落第生」な自分が、どこまで経済経営的な講義についていけるのか・・・という不安は正直なところ大きかった。とても大きかった。
仕事で実践の経験や実フィールドがあること、またビジネスや公共経営的な部分をかじっている中で、そんな不安は消し飛ぶくらい、新たな知識を入れたり、体系知として整理していくのは快感でした。これは自分自身の新たな発見であったように思う。

コウノトリの巣でコウノトリになる人たち@豊岡

リサーチペーパーのこと

いわゆる「修士論文」にあたるものを、SI研究科は「リサーチペーパー」という名称で、必ずしも学術論文ではない形で修了要件として設定していた。
「論文」と聞くと、学部時代に卒業論文も書いていない身としてはかなり恐れ慄いてしまうのだが、リサーチペーパーって響きを聞くと「何かしら学びがあったことを活かして、リサーチした結果をまとめる」みたいな軽いニュアンスがあって、正直、入学の時に「リサーチペーパーが必須」と聞いた時は、舐めていた。

一方、徐々にリサーチペーパーなるものの正体が明かされていく中で「あれ、なんかクッソむずくてハードル高くね?」という輪郭が見えてきて、絶望に至った。
まずファクトベースで言えば、長野県立大学大学院ソーシャル・イノベーション研究科の文科省への認可設置申請に際して、以下の評価方針を示している。

リサーチペーパーの評価方針は、経営コア科目の内容について修得していること、および持続可能な社会の実現に貢献する実践可能な提案書であること、評価項目は、経営学諸理論を踏まえた1)実現性、2)有効性、3)継続性、4)発展性、5)独創性、6)プレゼンテーションの質、評価基準は上記6つの項目が実践可能な範囲に検討されていること、である。

設置の趣旨等を記載した書類より引用

そして必須となる要素として「リサーチクエスチョン(テーマ選定にあたっての背景や問題意識、何を問いとしておくのか)」「先行研究(どのような理論体系の下で、問題を読み解くのか)」「社会調査(理論から導き出された量的・質的調査の設計)」「調査結果分析」「問題解決に向けた事業計画」「研究の課題と限界、今後について」が存在する。それらの諸要素を論理的につなげていきながら、20,000字以上執筆すべしと要領へ記載されている。しかも基本的には学会の執筆要領等に基づく書き方や、研究者倫理も学び実践した上で執筆すべしとのお達しである。
学術論文に求められるような新規性といった要素は特に求められておらず、かつ厳格な査読と学会誌掲載みたいなプロセスはないものの、リサーチクエスチョン・先行研究・社会調査・事業計画が論理的かつ理論的につながっているかなどは厳密に求められ、しかも事業計画がある評価項目にあるような要素を兼ねていることが必要だという、また別の基軸でなかなかにしんどいものであった。「リサーチペーパー」って名称はマジでミスリーディングだからやめた方がいいと思うくらい、なかなかだった。

箸休め。ドヤ顔が。。。

1年次に特に何も考えずに講義を受けていたらほぼ単位を揃えてしまった(大学時代には考えられない事態)中で、2年次からゼミ制度となり担当教員ごとに別れ、対面でやるかオンラインでやるかもゼミごとで異なり、同期全員で集まる機会はほぼなかった。マイルストーン的に「リサーチペーパーのブラッシュアップセッション」があったため、そこに向けてそれぞれで調査研究を進めて執筆、ゼミやセッションで壁打ちを経てさらに進めていく・・・というサイクル。

個人的には、この2年次が苦しかった。
リサーチペーパーでは、当初の研究計画通りスナバのことを書こうとは決めていた。スナバのやってきたことを研究的なアプローチで体系知とし、価値の明確化をしたいなと思っていた。ただ、それに対して「どんなアプローチで分析したらいいか」と「それを導き出す先行研究どうしよう」みたいなのが、なかなか見出せなかった。
そもそも「自分でコツコツ決めてやっていこう」みたいなのが格段に苦手(と自覚している)な中、対面で集まる機会もあまりなく、モチベーションの維持に苦慮した。事業の方も結構新しい展開や連携が増えてきていて、そっちの方が割と楽しくなってしまい「えーと、リサーチペーパー書く意味なんだっけ・・・」みたいな感覚に悩まされたり、夏頃は妻のつわりがとてもひどく、仕事して家事して夏休みの長女の相手を休日は延々としているみたいな感覚で、ペースもリズムも全く掴めないまま過ぎていったり・・・と、言い訳を重ねているが、要するに自分に甘かったというのが結論で、でも進まないまま締め切りは近づくという「漠然とした不安に覚えている恐怖感」みたいなものをずーっと抱えていた。
まさに、面接の時にコメントされた「三枝くんは研究に向いてない気がする」という発言がリフレインされつつ(そして多分今でも、あんまり向いていない気もしている)、精神状態がブレブレの状態で過ごしていた。

そんな時期を経ながらも、最終的に尻に火がつきつつ、2024年1月にはなんとか帳尻を合わせてリサーチペーパーを作成し提出にこぎつけた。出来不出来はわからないし、もっとやれることもやりたいこともあった気がするが、一旦は完結はさせてみたといったところか。
なんだかんだ言いながら40,000字近くも書いてしまったところを見ると、大学院に入ったりリサーチペーパー執筆の目的意識と想いは、変わらずに在り続け「書きたい」というのはあったのだろう。
アップしておくので、お暇な際に読んでいただけるなら光栄である。

提出の当日は、仕事を休んで大学の窓口まで行った。不備がないか不安で仕方なく、当日くる同期に何回も確認しながら提出。感慨も得ぬまま、当日は妻が長野市戸隠へ宿泊で遊びに行っていたため、娘の保育園迎えにとんぼ返りして帰った。
その後、SI研究科長からの査問で「もっとこの辺りを理論的に詰めていけば説得力の高いものになる」というのをゴリゴリ指摘されながらも、査問は通過。そして修了要件でもあった発表会も、次女出産に伴いオンライン参加予定だったが、長女を抱えて現地参加もでき、無事に発表ができ、修了へ至った。

妻が出産後入院のため、長女を連れて発表に行き、その後の懇親会

振り返りと、今後について

2年間、大学院で学びながら、自身は何か変わったのだろうか、何を得たのだろうか、ということをぐるぐる考える。
元々、割とソーシャルな界隈に片足をつっこむような業務を行なっていたことと、自身も共同創業で地域資源活用事業を手掛ける株式会社を立ち上げてしまっていたので、「とんでもなく異世界に飛び込んで、視点が180度変わりました!」みたいな変化量ではない気はしている。かつ、だからこそより「思想」「考え方」的な部分でじわじわと変化があるような気がしていて、それは短期的に表層に出てくるものではなく、時間を経て変化に気づいていくものなのかもしれない、とも思っている。
とはいえ、なんとなく今時点で感じていることを書いてみる。

ここから意味不明な話が続くので、意識低そうな写真をどうぞ

1つは、なんとなくだが研究というものの一端に触れられるようになったということだ。
様々な論文が載っているGoogle Scholarという検索ツールがあるが、その検索ボタンの箇所に「巨人の肩の上に立つ」という言葉がある。偉大な先人を巨人にたとえ学問の成果がつみかさねられていく様子を示したヨーロッパの成句を語源として、「先人の偉業にもとづいて仕事をすること。またそうすることにより、先人よりも能力が劣る人でも立派な業績をあげられるということ」という意味だ。この「巨人の肩の上に立ち、事象を見る」ことを、2年間の学びの中で意識するようになったのは一つの変化だと思っている。
例えば何かを知りたくなった時、多くの人は「ググる」と思うが、それがGoogleではなく、Google Scholarを開いて研究文献を漁るようになった。Googleで調べると確かに2次文献的に上手くまとめられていて情報が早く分かりやすく手に入るが、そもそもそれがどのような研究調査によって導き出されたか、などの「深さ」まで知ることで、よりその体系知を活用する方向が増えたように思う。
そして、巨人の肩の上で事象を解釈することによって、その解釈に正統性が与えられることも理解できるようになってきた。自分が「なんとなくそう考える」というだけのものではなく(勿論それも大切ではあるが)、それが「何故、正しさを持ってそれが言えるのか」を支える地平に立つことができる。それをリサーチペーパーという実践を通して、肌感を得られることができたように思う。
まだまだ感覚や理解、実践としては浅いものだと思うし、だからこそ「なんとなく」感覚なのだけれど、習慣の中で深まっていければいいのかもしれないと感じている。

次に、様々な講義の中で体系的なインプットがあることで、組織やチームの中で振る舞うときに、組織のマネジメントやチームの関係性に対して、思考と視野が広がったことだ(とても表現がしにくい。。)。
経営に関する科目の知識は勿論ではあるものの、特に思考系科目の「システム思考」的なものの見方が、様々な場面において出てきているように感じる。組織やチームで仕事をする際に、様々な議論や対話、また衝突が起こることもあるし、臨んだ結果望まなかった結果が生まれることもある。それを解きほぐすときに、事象だけを切り取って論理的に問題解決を行うのではなく、「起きた事象が、どのようなシステムにおいて発生したのか」を解きほぐすようなものの見方が、三枝的に理解をしているシステム思考だ(メチャクチャざっくり言えば)。
その思考で考えると、何か事象が発生したときに、その事象の起因を「誰かの所以」にしてみたり、要因を一義的なものに帰結させる発想はなくなっていく。例えば組織やチームにおいて議論が紛糾した際、その紛糾している双方や対立軸だけではなく、参加している一人ひとりがそれ以外の個人に働きかけている作用や、または人ではなく意見や発言の連鎖がどのように人に作用しているかに、意識とイメージを働かせるようになる。そしてその中で、自分がそのシステムにどのように加担しているのかを分析することが可能になる。
そのような「システム」が見えてくるようになると、その事象があまり望ましくないものであるならば、みんなで変化をさせられるような働きかけができるようになる。例えばそれは、ロケーションを変えたり、それぞれの関係性の配置を変えたり(正面から向き合うのか、横並びで同じ方向を見るのか、そこに誰かが入るのかで、話し方も話す内容も変化する)、自分の介入の仕方だったりする。
自分自身のキャリアとして製造業の出自であり、製造業的な問題解決やクリティカルでロジカルな思考回路はOJTで武器としてきたつもりではあるが、そこに少し異なるものの見方が加わり、それが組織やチームを作っていくときの選択肢の増加につながっているように思う。
・・・自分でも書いてて何言っているか分からないのは重々承知しているが、今の言語化だとこれがマックスな気がしていて、これも実践していきつつ、様々なケースを書き留めていきたいと思っている。

最後に、なんとなく組織の中において、殊更(つまり今までもそうだったが)「面倒くさいやつ」になってきている気がする。
SI研究科長の大室さんが講師の1年次1学期必修科目ソーシャル・イノベーションの初回、資料はこの文言から始まっている。つまり「合理性や効率性、誰にでもわかりやすく、結果がすべて、といった常套句から離れ、持続可能な社会を探るため、批判的にビジネスを捉え、真にこれから求められるであろうビジネスモデルやイノベーション、そして地域のあり方を皆さんと一緒に考えてみたい」という言葉だ。この言葉がずっと自分の中に残っているのは、多分相当に印象的でこれまで漠然と頭にあった課題意識を表現していて、もう少し率直に言うと好きなのだろう。
つまり、製造業や営業、また官吏の世界に足を突っ込みながらも、ビジネスを支える資本主義や官吏制度を支える組織構造や文化の中で「合理性や効率性、誰にでもわかりやすく、結果がすべて、といった常套句」に対する違和感と、その常套句がもたらす弊害や、誰もが正しいと思うからこそ見過ごされてしますサイレント・マイノリティの存在がなんとなく自分の関心軸としてあって、それがある意味正統性を持って理論的にインプットされ、しかもそれが感覚知として醸成された。
その結果、業務で関わる世界を支える合理性や効率性や分かりやすさというものに対する違和感のようなものが沸々と湧き上がりやすくなってきて、その観点でみんなが同調して進もうとしている物事に対しての批判的なものの見方が際立つようになってきた。あくまで「批判的な見方」であって批判するわけではないが、「果たしてそれでいいのか」「何故それがいいと言えるのか」「それによって起きる弊害は何か」という問いが浮かび上がってくる。
こういった観点は、所謂「スピード感」「一体感」のようなものを重視する官僚制組織においては、それを妨げる要素にしかならないと自認している。でも、それが自分の中から浮かび上がってくる素直な違和感や、あるいは何かやりたいことの欲求の根源であるならば、それはそれでいいと思う。「組織に、自分が合うように努力をしていく」ではなく、「自分の思考や思想が、組織への貢献になるか」というベクトルが、恐らく大学院で加速したように思う。ただ、これは成長を止めることではなく、自分の思考や思想に基づいた実践というベクトルで、道を拓いて成長をしていくことなのではないかと思う。
そうして、自分の思考から効率性や合理性みたいなのが抜けていき、発言からロジカル感やシンプルさやシャープさが段々と抜けていき(勿論、道具としてそれらを使うことはできるのだけれど)、それを自分の自然な状態だと自認し発し始めたとき、「あー、自分が馴染める組織って、多分あまりないんだろうなあ」ということに気づき始めた。そしてその結果、自分自身が仕事を通して発揮できる価値みたいな、自分自身のアイデンティティが極めて揺らぎ続けている。揺らぐこと自体は悪いことじゃないけど、たまに自己効力感が下がったときにダメージを喰らうので、優しくしてあげてください。

箸休めにそれっぽい写真をどうぞ

と、なんとなく大きく3つを挙げてみたが、小さな変化は色々ある気もする。
例えば、大学院に入学してから、文章が書けなくなった。noteもほぼ更新していない。それは、レポートという形でアウトプットをしていたから、自分の中に文字アウトプットの総量的に出せなかったというのもあるかもしれないが、それよりも文章を書くにあたっての自分の中の「型」がぶっ壊れたからだろう。思考のプロセス、ものの見方、表現の方法。入学前の文章をみると、もう少しシンプルでキレる文章であった気がするが、それに比べて今の文章は棍棒で叩きつけているような感覚だ。長くて重くて、何言っているのか分からず、論理構成も体を成していない気がする。それでも、書けるようになっただけマシだ。

なんとなく、今時点で言語化できる変化はこんな感じな気がしている。
同期を見ていると、結構これまでの経験からぶち破るための葛藤を経て、ものすごく変化をしたぜーみたいな人もいて、それに比べて自分はそういった葛藤は比較的感じずにするりと「ふむふむ」と受け入れたような気がして、なんか果たして成長痛のようなものを伴う変化や成長はあったのか、そこに至るまでに自分を追い込んだり自分自身に肉薄する何かを突きつけたのか、みたいなのは感じている。
まあただ、急激なる変化や成長が正であるかどうかはもう少し吟味が必要な気がするし、前述した通りSI研究科の学びはもう少しボディブロー的に、じわじわ時間をかけながら身体と精神と脳の体幹あたりから出てくる変化な気がするので、その中で自分をモニタリングしていければと思う。

そう言った意味で、もう少しできたこと、頑張れたことはあったのではないかとは感じている。早い段階からリサーチペーパーの準備はできていたかもしれないし、様々な文献を読み漁ることもできたかもしれないし、参考図書をゴリゴリ読みながらインプットをできたかもしれない。そこをサボってしまっていた中で、成長幅が減少してしまったことは否めないなあとは確信している。
とはいえ、ここまで来てしまった中であれやこれや言ってもしょうがないので、それに関してはここからスタートを切ってみてもいいのではと思う。積んでいたり興味を持った本をまた別の体系知のインプットとして読んでみたり、また別の研究アプローチでスナバや自分のやってきたことを体系知化してみたり、その中で事業の新たな価値を作っていければと思っている。
とりあえず、リサーチペーパーに記載した内容を、今年のソーシャル・イノベーション学会にて発表してみるかーというのが、せっかく執筆したものや学びを得た中でのネクストアクションかなーと思っている。それが何につながるか分からないけれど、2年の学びを得たからこそ拓ける道を、模索していきたい。

新たな自分を模索する様子@豊岡

最後に「社会人が大学院等で学びを得る」ことは、本当に周囲のサポートが必要であった。
平日の業務後にオンラインで講義がある中で、当然ながら残業時間は減り、それはそれで組織的には健全なのかもしれないけれど、ただ皺寄せが来てしまった人もいるだろう。それを受け入れつつ、学びを得られる環境を作り出してくれた、一緒に仕事する人たちには大変感謝である。
そして大学院で出会った同期や先生。思い返すと、仕事や地域のコミュニティでもなく、しかも「自分の価値」みたいな観点とか抜きで、「一緒に学び、互いに心理的・知的安全性が保たれ、共通言語が育まれる、利害関係のない」関係が紡げたことは、とても貴重だなあと実感する。まあ大体どこへいってもそうなのだが「面倒くせえしたまにウザいし鼻につくしそれどうかと思うで」みたいに思いつつも、存在丸ごと受け入れてくれる人と出会えたことは、感謝しかない。
そして何より、家族の理解とサポートがないと、絶対に成立しなかった。長女は、1歳の時期に対面やオンラインの講義があってうまく関係性を作れなかった時期もあって、その時期は少なくとも自分はつらかったし、ひどい対応をしてしまったこともあったし、同時に娘もつらかったんじゃないかと思う。関係性が構築できてお父さんと遊ぶのがとても好きに育った娘に「すまん」と言って長野市やオンラインへ行ってしまうこともあった。そして妻も、やりたいことが色々出てきてしまう人種にも関わらず、平日夜や毎週土曜日と、集中講義で土日にいなくなるタイミングが度々あり、また会社も共同創業するという多動っぷりに、振り回したりやりたいことに割く時間を減らしたりしてしまったし、精神の乱高下が激しい中でその渦に巻きみまくってしまうこともあっただろうが、応援しつつ見守っていてくれた。家族には、申し訳なさと、感謝の念ばかりだ。

この学びを、どう社会や地域や、家族や子供達、未来に還元していけるかはまだ明確に見えていないけれど。
じっくりと腹に落とし込んで、考えていきたいなあと思う。

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