三枝大祐

名古屋生まれ福岡育ち、京都大学応援団を卒業後、AGCで5年間自動車ガラス営業を勤め(名…

三枝大祐

名古屋生まれ福岡育ち、京都大学応援団を卒業後、AGCで5年間自動車ガラス営業を勤め(名古屋→広島)、2017年4月塩尻へ移住。塩尻市役所勤務(一般財団法人塩尻市振興公社へ出向)、株式会社たのめ企画共同創業者、長野県立大学ソーシャル・イノベーション研究科修了(2024年)。

マガジン

  • 伝えたいこととか

    なんらかのメッセージとか、誰かに伝えたいとか、そんなことです。あんまりない気がするけど。

  • 子どものこと

    子供に関する記事です。

  • 大学院での学び

    大学院での学びに関することを書いています。

  • 自分のマイルストーン

    ただただ、自分のためのメモとか、マイルストーンとか。マスターベーション感満載の書き殴りです。見ない方がよいです。

  • 地域や社会の考察

    地域で生きていたり、社会を観察したり、そこで考えたこととかの考察。

最近の記事

育児休業を取ってみた。

2024年3月1日の次女生誕に伴い、育休を取ってみた。 4月16日に復帰したため、結果的には1ヶ月半の育休期間となった。 色々感じること、考えることなどもあるため、記録に残しておこうと思う。 ⓪何故、育休を取ったのか。2021年11月に長女が産まれた時は、育児休業は取得しなかった。当時はコロナ禍で幸いにもオンライン化が進み、打ち合わせなどもオンラインでやることが多く、テレワークを兼ねて仕事をしながら、家事育児をやりつつ産褥期の体調回復ができると踏んでいたからだ。妻子共に元気

    • 長野県立大学大学院ソーシャル・イノベーション研究科を修了しました。

      2022年4月、開学とともに1期生として長野県立大学大学院ソーシャル・イノベーション研究科(以下「SI研究科」と表記)に入学し、2年の在学期間を経て2024年3月に修了を迎えました。 修了した今、少しだけこの2年間を振り返ってみようと思います。 ※書き終えて見返すと、敬体文と常態文が混ざって気持ち悪いのですが、なんとなく「説明は敬体文、述懐や考察は常態文で書いたんやな」と理解して、特に推敲訂正はしていないのでご了承くださいまし。 ※写真は本文と関係なく適当に添付してますので

      • 35歳になったようだ。

        2024年1月14日をもって、35歳になった。 気が向いたら記載している「〇〇歳になったようだ。」、前年は下書きのままで残されている。最後まで書ききれなかったらしい。 これを書き始めた日付も、2月7日。既に1ヶ月以上経過して、ようやく35歳と向き合っている。タイトルを書くまで34歳の気もしていた。 そんな感覚なので、「よし、35歳はこんな歳にしよう!」みたいな気概は、あまりない。30歳後半だからどうしようという目標もない。 こんな感じなので、年齢なりの含蓄やら厚みのある言葉

        • ソーシャルバーPORTO辰野店で作ってみたいと思うもの

          2023年9月に、東京で活動しているソーシャルバーPORTOが、隣の辰野町で新たにお店をオープンしました。 共同代表をしていて、辰野町に移住した山下実紗ちゃんが「辰野町や、ローカルに、PORTOのような場所が必要だ」という想いで、辰野町の市街地で空き店舗を借りてスタートをしました。 その想いや経緯は、こちらのnoteに愛を込めて実紗ちゃんが綴っているので、是非ご参照を・・・! ありがたいことに、そんな想いの詰まったお店の日替わり店長にお声がけをいただき、毎月第2金曜日はカ

        育児休業を取ってみた。

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        • 子どものこと
          3本
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          15本
        • 大学院での学び
          1本
        • 自分のマイルストーン
          10本
        • 地域や社会の考察
          10本
        • 趣味の部屋
          2本

        記事

          保育園の利用調整をめぐるあれこれと、それについての意思決定プロセスについて

          1月27日(木)夕方、三枝夫妻に衝撃が走りました。 R3年度11月より通っていた家から徒歩10分の北小野保育園に、利用調整の結果R4年度は通えないことが決まったのです。 とにかく三枝家にとっては衝撃だったのと、一方で様々なことを検討して二次調整には出さず、利用調整にて決定した郷原つつじ保育園に通ってもらうことに決めたました。 「子供のこと」でこんなにも感情が揺さぶられるんだというのが新発見であり新鮮で、折角なので記録しておきたいと思って筆を取ります。 塩尻市の保育園事情詳

          保育園の利用調整をめぐるあれこれと、それについての意思決定プロセスについて

          33歳になったようだ。

          気づけばこのタイトルで3年目、そんなつもりはなかったが恒例になってきている。 改めて↑を読み返してみるが、大したことは書いてないし、そもそも書いたはいいが殆ど覚えていないことに気が付く。 多少歳を喰ったとて人の本質は変わらず、まあそんなものだ。 今年も、興がのるままに書き散らしてみる。 32歳を振り返ってみる先日、前々からお世話になってる近所の農家さんに「お前、なんか老けたな」と言われた。確かに以前の写真と見比べると、老けた気がする。特になんとなく、この1年は歳を喰ったん

          33歳になったようだ。

          古民家と向き合った1年半の総括

          2022年がスタートして早々に、Facebookのタイムラインにこんな記事が流れてきた。 そういえば、自分も2021年12月までの1年半、古民家とやらに住んでいた。 仮にも1年半お世話になり、それなりの手をかけた部分もあり、北小野生活では切ってもきれない関係にあった古民家に対して、追悼?も何もできていないことに気づいたので、せっかくなのでまとめてみる。 古民家生活をしたい人に参考になるかは分からんが、まあ見てもらってもいいかもしれない。 どんな家に住んでいたの?三枝が住ん

          古民家と向き合った1年半の総括

          COVID-19は人類を進歩させたのか。

          気づけば前回のnoteから半年経ってしまっていた。 書きたいことはあるが、以前は書く時間に充てていた時間が子どもが生まれたことにより家庭に割かれてしまい、結果的に筆が進まない状況になってしまった。書く時間をどう確保するかは、自分が生きていく上で割と大切なのかもしれない。 春くらいにふと違和感を覚えたこのテーマを、書いてみることにする。 COVID-19が発生して考えていたことCOVID-19が世界や日本で流行してから1年半くらいが経つことになる。 1年前、何を考えていたの

          COVID-19は人類を進歩させたのか。

          ただ生きるのか、どう生きるのか。

          政府が強権を持ち、民衆の自由を制限するという事態は、決して急に発生することではない。大衆の要望という名のもとに振りかざされる正義や大義によって、いつの間にか自由が制限される。それも、大衆の熱気とともに。私たちは歴史からは勿論、スターウォーズでダースシディアスことパルパティーンが非常時大権を握り自らを皇帝と名乗るまでの過程でそのことを学習したはずである。 にも関わらず、私たちはこのCOVID-19の感染拡大が進む最中で、自らの自由を政府に差し出し、それに従わぬものを罰則する権

          ただ生きるのか、どう生きるのか。

          32歳になったようだ。

          2021年1月14日をもって、32歳になったようだ。 昨年はそんな記事を、1月28日に書いている。大体2週間後くらいに気付くのが相場になっているようだ。 相も変わらず特に節目も区切りとも感じていないのだが、花や月を言い訳に酒を酌み交わすが如く、年齢を言い訳に筆を走らせてみたいと思う。 特に、目次もクソもない、よしなしごとである。 31歳になった時に記事はこちらだ。 驚くほど、きちんと書いている。「きちんと書いてある」が故に、色々と面白い。 何が面白いかって、31歳で「と

          32歳になったようだ。

          「肩書きのない自己紹介」をやってみる。

          私が愛してやまない増村江利子さんが書いていた「肩書きのない自己紹介」。数ヶ月前からそのワードがいたく頭の片隅に引っかかっていて、そのことについてグルグル考えていました。 そんなに肩書きは気にしていないつもりだし、肩書きで仕事をしているつもりもないのですが、はてさて、どんな言葉が出てくるのだろうかと。 何かを「言語化する」ことは、その何かを「固定化する」ことを含んでいると思います。自身を固定化してみながらそれを足場として、さらなる広がりを感じてみる。その広がりが、浪速の串カツ

          「肩書きのない自己紹介」をやってみる。

          娘の名前の由来について

          2020年11月18日14:24に第一子となる娘が誕生した。 誰かに「想いを込めた名前をつける」というのは初めての経験で、どういうプロセスや思考を経て名付けるに至ったのかを、忘れないように記しておく。 「名前」にまつわることそもそも「名前」って、どんな意味を持ち得るのだろう? という問いがまず出てくるが、それについてはそこまで追及をしていないので、なんか過去にいろんな文献とか書籍とか出てると思うので、そちらに譲るとする。いや、譲るもなにも立ちはだかる気もないのだが・・・

          娘の名前の由来について

          家の庭と向き合って見えてくるもの

          庭に、写真のような植物が蔓延っていた。 最初は「花なぞ咲かせおって。愛いやつめ」と殿様気分で刈らずにおいたが、最近、友人の投稿でこやつが「ヨウシュヤマゴボウ」なるなかなかに強烈な毒草であることが発覚。 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000079871.html?fbclid=IwAR0UjT0J6S28j6qkiJzAtE5I7V-5CRG4-jTZMNFI_2uW__YPgS8oHsghqcY 3日か

          家の庭と向き合って見えてくるもの

          何もかもが早くなり、行動を促されていたあの頃

          COVID-19が猛威を奮い、少し落ち着き、また鎌首をもたげ始めている、ように見える。 猛威を奮っていたあの頃、身の回りが、そして自分自身が、お互いを巻き込み刺激し合いながら、様々な行動を促し、何かが急速に早くなっていった。 そんなことを思い出しながら、まとまりのないことを、綴ってみる。 COVID-19が私の住む長野県まで感染していった4月や5月のころ、明らかに塩尻という地域もその影響を受け始めていた。生活も教育もそうだし、特に私の関わる人としては産業関連が、情報として耳

          何もかもが早くなり、行動を促されていたあの頃

          コロナでわしも考えた。

          新型コロナウイルスことCOVID-19が猛威を振るっております。私の住む長野県塩尻市も影響を受けています。 今やSNSはどこもかしこもコロナの話題ばかり。 塩尻市の片隅で、コロナと、それが私たちにどういう影響をもたらすのか。 ちょっぴり遠くを見ながら考えたことを記してみます。 (特に関係する写真がないので、塩尻とかの写真で目を癒してくださいw) ウイルスというものたち新型コロナはウイルスです。 ウイルスと菌って、あまり区分せずに使ってると方も多いですが、実は全く別物なので

          コロナでわしも考えた。

          2020年2月8-9日飛騨古川旅記

          2月8日9日の土日、飛騨へ行って来た。 観光地として著名な高山ではなく、その先にある飛騨古川へ。 思い返すと、場所の記憶というよりは人の記憶が多い、色んな人と会って話した旅であった。 誰かに「会いに行って話す」ではなく、ふらふらしている中で「偶発的に出会って話す」。 出会った人を通して、その地域とか、あるいは価値観とかを垣間見られる。 そんな「価値観の揺らぎ」こそ、旅の醍醐味なんじゃないかと感じる。 なんか最初からぶっ放してますが(笑)旅の随筆でございます。 ■飛騨古川

          2020年2月8-9日飛騨古川旅記