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33歳になったようだ。

気づけばこのタイトルで3年目、そんなつもりはなかったが恒例になってきている。

改めて↑を読み返してみるが、大したことは書いてないし、そもそも書いたはいいが殆ど覚えていないことに気が付く。
多少歳を喰ったとて人の本質は変わらず、まあそんなものだ。
今年も、興がのるままに書き散らしてみる。

32歳を振り返ってみる

先日、前々からお世話になってる近所の農家さんに「お前、なんか老けたな」と言われた。確かに以前の写真と見比べると、老けた気がする。特になんとなく、この1年は歳を喰ったんじゃないだろうか。
そんなこの1年の変化などを書いてみる。

子供が産まれた
正確にはこの1年というよりは、2020年11月18日に産まれた。産まれた時にこんな記事を書き綴った。

なので、正しく言えば「初めて子育てを経験した」という表現になるだろう。
社会人となり一人で暮らし、妻と同居し、そして32歳という年齢は娘も加わって3人での暮らしが本格的にスタートした。19歳からお付き合いをし、ある程度お互いの性格や土台を長年かけて理解しながら言語でコミュニケーションが取れる妻との
二人の関係性の中に、基本的には手をかけないと生きられない言語外のコミュニケーションが必要な存在が一人増えたのは、なかなかに大きな変化だ。

そんな中で、32歳という年齢は自身の持つ他人との関係性や、或いは仕事にも通ずるパーソナリティを見直さざるを得ず、そして何を尖らせていくかを考える歳だったと感じる。
元々、持ち前のノリやフットワークの軽さを最大限活用し、お酒の場でのコミュニケーションや、呼ばれたり興味を持ったら多少距離があってもホイホイ飛んでいく特性によって、様々な方と関係性を構築していくタイプであり、それは自分自身の強みでありアイデンティティの一つであった。

それが、子供が産まれることによって欠損した。
我が家は大変ありがたいことに「週に1回は大手を振って飲みにいく(2回目以降は申し訳なさそうにいく)」ということを妻が認めてくれており、全く外にいけない家庭がある中に於いてはまだ外でいろいろ動ける方だ。それでもなお、以前のフットワークに比べたら格段に落ちた。
飲み会の回数はもちろん減った。休日にどこかへ飛んでいくことも、旅や登山をすることも殆どしなかった。

この状況は、なかなかにつらかった。
自分自身が置かれているこの環境がとてつもなく恵まれすぎているのは理解をしていて、それを許容する寛大な妻には多大なる感謝をしている。また、自分自身も娘はかわいいし、なんだかんだ妻は大切でもあるので、大きな負担はかけたくないし家にも帰りたいと思っている。
ただ、その理解や理性と、感性のような部分とは、話は別だ。
同僚(特にスナバの運営チーム)は基本的にはアクティブな人が多く、毎週実施している定例mtgの最初に行うチェックインで、この1週間、特に休日にどこに行ってどんな人と出会いどんなことをしたのか、常に新しい出来事をアップデートしている。それはとても喜ばしく、スナバにとっても強みになると理解している一方で、それをやりたいと思ってもできていない自分自身や、強みだと思っていたことを他の人にどんどんと抜き去られていく感覚は、なかなかにつらかった。
別に人と比べることではないし、考えても致し方ないことではあると頭では理解しているのだけれど、頭の理解だけではコントロールしようがない感性の揺らぎがふとした時にもたげてくるのだ。

だからこそ、元々自分が感じていた自身の強みを手放して、そうではない何かを自分自身の中に見出す必要がある気がした。
そんなことを考えながら過ごしてきたが、1年経ってもそれはよくわかっていない。考える必要すらないのかもしれない。でも、それを言語化できない状態は自分にとってあまり健康的であるとは言えないとも思う。
多分、これは「フットワークの軽さの欠損」がたまたまこの年に起きただけで、自身が拠って立つところの強みやアイデンティティが欠損することについては、この後の人生でも考え続けなければならないテーマでもある。多分今後も身体は衰え体力は減っていき無理は利かなくなってくる中で、気合や根性や力技やノリみたいな要素は減らさざるを得なくなってくる。目に見えて欠損していくものが増えていくのだ。そういえばここ数年で髪も薄くなってきた。
これからも、歳を経るごとに、何かを手放す代わりに、何かを得たり尖らせていくことになるのだろう。

今のフェーズにおいてそれがなんなのかは、よく分からない。
この問いは33歳にも持ち越されて考え続ける必要がある。
だが、いずれにせよ、娘はかわいいものだ。

新しく家を建てた
2020年6月から住みはじめた塩尻市北小野に、新築を建てて2021年12月から暮らしはじめた。人生で経験したことのない金額の買い物であり、不動産を抱えることになり、同時にローンというものを背負うことになった。

家を建てようと思った理由、また建てるプロセスなんかは、そのテーマでどこかで書きたいと思っている(そう言って書いてないものも多いのだが)。
が、1年前には家を建てるなどは全く思いもしなかったことであり、なんならこの時代に新しく家を建てるなんて信じられないと思っていたし、不動産を持つことに対する抵抗感すら持っていた。
それが1年経った今、検討どころか既に家を建ててしまって、住処すら移してしまっている現状に自分でも本格的に驚いている。

「何かを所持して」「何かを背負う」という決断や事象は、その人自身に何をもたらすのだろう。
32歳という年齢は、その決断や事象が多かった。
妻は生活力も生命力も割と強めの人なのであまり「背負う」みたいな感覚はなく、むしろお互いに自活しながらそれを尊重し合う関係であった。一方、娘は確実に「背負う」という感覚だ。自活できるようになればそれは本人の責任のもとで自由に生きていければいいと思うが、それまでは彼女が少なくとも生存や安全が確保できるようにする義務があるし、彼女の承認や自己実現をできるだけ狭めずに可能性を後押ししたいと思う。それは自分自身の希望でもある。が、同時に「背負う」という感覚があるのも否めない。
家なんてものはもっと分かりやすい。ローンというついてまわるそれがないと先立たない金の支払いが長くても35年(自分の年齢の倍以上)は発生する。また、この時代に不動産を持つということも、特に塩尻市北小野という立地は「資産」ではなく「負債」という側面の方が強いのではないだろうか。


自分自身は、そもそも自由でいたいというタイプでもあった。どこかや何かに縛られるのはまっぴらゴメンだし、『ノルウェイの森』の主人公が「あらゆるものごととの間に、然るべき距離を取ること」というキヅキの死から得た教訓が座右の銘でもあるくらい、しかるべき距離を置いて遊離していたいと思っていた。
それが、この数年、特にこの1年で一気に異なる方向に進んでいる。
自分自身が、あるいは自分自身が大切にしたい家族が、心地よくハッピーに生きて暮らしていける選択をしたつもりである。そのことは、特段別に違和感はないし、自身が生きていたい在り方に極めて自然な意識と行動だったはずだ。一方、その選択をすることで、背負うもの、縛ることになるもの、存在していた未来の可能性を手放すものもあるはずだ。
何かを背負って決断をすること、ものごとから然るべき距離を取り縛られないこと。その2つは自分の中で、割とトレードオフだ。うまいこと器用にやる人もいるだろう。
決断をすることで失ったものがあるはずで、その代わりに自分は何を得たのだろう。それがまだ、自分の中で噛み砕けていないし、全く自分という人格や人生の土壌にできていないように思う。

この問いも33歳に持ち越されながら、考え続けていくテーマなのだろう。
そして、いずれにせよ、新築の家は居心地は良い。とても。

その他
仕事とかも色々と変化をした歳でもあった。
部署が変わったり、新しく携わる仕事も増えたり、色々自分で動かしてみたり、チームが変化したり。なかなか今、その変化と影響を言語化できないので、ここでは記載が難しいが、まあ色々変化をした。

なんだか32歳の振り返りが総じて暗めでネガティブな雰囲気になっているような気がするが、全くそんなことはなく、身の回りの変化や選択がどう影響を及ぼすかを興味を持って観察している。社会の変化や自信を取り巻く環境や自身の変化に直面した時に、振り返って感じるのは「夢もなく、恐れもなく」という視点だ。気づけば、32歳当初に書いたnoteどおりだったのではないだろうか(すっかり忘れてたけど)。

いずれにせよ、自分にとっては割と根幹が揺さぶられるような歳だったのかもしれない。

33歳に想いを馳せる。

そして、33歳になった。
これだけ長文を晒しておいてなんだが、迎えてみて、そしてここまで書いてみて、相変わらず歳をとるってのが何なのかがよく分かっていない。

33歳について思うこと
なんか去年の末くらいに同僚と算命術を調べたが、面白かった(こういうの嫌いじゃない)。

これによると、三枝の33歳というか2022年はこんな歳になるとのことで。
「金運はない」は余計なお世話ですが、2022年1月早々に多額のローンを背負ったので、あながち間違ってないのが怖い・・・が、余計なお世話だ。

2022年は変化が多い年です。旅行や興味惹かれることを学ぶのに適しているでしょう。金運はあまりありません。

ちなみに、しいたけ占い的にはこんな感じらしい(こういうの嫌いじゃない)。
なんとなく「そうだなあ」と思えるのが多いのが面白い。

まあ占いやらなんちゃらは興味深く見るくらいに留めておいて。

よく「こんな1年にしたいね!」とか「33歳の抱負」みたいなのがあるが、そんなのは自分の中のどこを探しても微塵もないようだ。
ただ、すでにこの1年で新しく始めたりすることは、見えていることが多い。それを見据えながら、また進んでいく中で出会ったなにかと、次の34歳以降の未来を作っていくような気がする。
環境の変化は32歳に比べて少ない気がするが「チャレンジする」という意味での変化は大きそうなので、その中で32歳で揺らいだ自分自身を再構築することになるのだろうか。

とりあえず、見えているものを上げていく。
※ここからなんかお伝えすることっぽくなるので、急に文体が「ですます調」になりました。個人的に文体がいきなり変わるのは気になるので注釈を入れてます。

大学院生になります。
4月から、長野県立大学ソーシャルイノベーション学研究科に入学します。
一応試験は合格して、入学金を払い込んでしまったので、入学できることになっているはず、多分。。。

長野県立大学自体はこの3月で開学(?)して4年になる大学で、大学院はこの4月に新設されます。よって、1期生ということになるみたいです。
Facebookのタイムラインに関係者が情報をシェアしていて、ほぼ直感的に「これやな」と思って、思いついた時点が試験申し込み締切10日くらい前。大学院に問い合わせ、職場に話をして、妻の決裁も取り、出身大学から諸々取り寄せ、滑り込みで申し込みをしました。なんか「行くべくして行く」ものって、トントン拍子でコトが進んでいくような気がしていて、これもそんな感じなのでしょう。

講義は、平日は仕事終わった後にオンライン、土曜日は対面で長野市まで行く、ということになります。
あんだけ上で書き連ねながら「お前、結局家庭にあんまり入ってへんやんけ」と言われそうで、自分自身も娘の成長がかわいすぎて仕方ない時期に行くことに対して葛藤がありましたが、でもそれでもこういう選択をしてしまうのはサガなのでしょう。
家庭、仕事の両立に加えて、学問というものまでのしかかってきますが、滅びないように頑張ります。三枝が疲れてそうでしたら、喝を入れるか優しくしてあげてください。

地域に投資を呼び込む事業をやります(予定)
まだ正式に決まってないですが、新しく施策を作ります。
スナバという場所を通して、地域に根差して、そこに存在する課題やニーズに基づいたアクションをする人に伴走をしてきて。徐々に徐々にですが、人が成長し、様々な事業の芽が出てきました。
奇しくも三枝の誕生日とともにリリースされたこれなんか、まさにシビックイノベーションすぎて感動しています。

こうして生まれた事業がスケールしていって、課題を抱えた人がもっと減っていったり、地域の未来がより明るくなっていく。それが、この先の未来も持続的に続いていく地域を作っていくものになると思うのです。

それを後押しする施策として、あまりローカルでは一般的ではないけれど、使い方によっては事業をスケールさせる要素にもなる「投資」を、地域に実装させることをしたいなと。
それも、単なる「ビジネスとして成功すればいいじゃん」ではなく、社会や地域にどれだけ影響を及ぼす事業なのかを投資の視点に入れる「インパクト投資」に特化して、もっともっと地域に根差した事業を生み出していきたい、生み出したいと思う人を増やしていきたいです。
細かい設計などはまだまだで、俄然仮説検証フェーズで座組みやプロトタイプを作っていく形になりますが、やります。

他自治体との連携(予定)
これも決定事項ではなく予定ですが、塩尻で起きているシビックイノベーションに共感した他自治体から「伴走をして欲しい」という話をいただいています。

シビックイノベーターたちが孤独にならずチャレンジができて、小さなアクションが事業へと育っていくために、手探りで失敗しながらもがいてきたもの。伴走という概念や、それを実現するに足るチームづくりなどなど。
塩尻という街が、チャレンジしやすい街として注目され、シビックイノベーターの卵が足を運び事業を生み出していきたい街になるような、そんな未来に進む一歩になると仮説を立てて。
私たちの培ってきたものを、横展開してみたいと思います。

地域資源を活用した事業
昨年からずっと仕込んできた事業が、本格スタートします。
塩尻の特産であるナイアガラを使った発泡酒を、今年いよいよ作ることになります。

2月3月くらいでクラファンなどやる予定なのですが、プロジェクトを進む方に気を取られたり仕事の忙しさなどで手が止まったりしていて、全く情報公開ができていないという致命的な状況・・・本当はプロセスエコノミー的に、プロジェクトの様子を全公開しながら進めていきたかったのですが。。。
いろいろ進めてますので、近々全貌などプロモーションしていきます。
詳しく聞きたい方は、みっちりお話しします。

地域のこと
今年は諏訪の御柱ですが、来年は私が住まう塩尻市北小野にある小野神社の御柱です。よって、今年はその準備の年です。
北小野大出区で活動している、祭りの壮年の方々が活動する「盛上会」に三枝も昨年入会してしまったので、間違いなく駆り出されます。何をやるか分からないし、そもそも地域の祭りというものも初めての事態なのですが、とりあえず色々とやるみたいです。

北小野について言えば、消防に入って、盛上会にも入って、段々と北小野での知り合いや友人も増えてきまして、単純に喜んでます。
この地域で長いお付き合いになり、地域を作っていく関係になると思うので、引き続き楽しくやっていけたらと思ってます。
引き続き、北小野にジョインしたい人を募集してます(笑)

まとめ

年末にボーッと「ああ、今年も変化が多かったけど、来年は今年ほどいろんなチャレンジとかするのかなあ」とか考えましたが、我に返りそんな心配はないと即刻打ち消しました。

33歳になった三枝も、相変わらずマグロのように多動的にいろんなものに首突っ込みながら、持ち前のエネルギッシュさとその反動の精神不安定さに周囲を面倒くさく巻き込みつつ。もっと自分の内面とか考えてることとか不安や弱さをさらけ出していけたらいいなあと思います。
特に4月以降をイメージすると、ワクワクはありますがどうなるか分からない恐怖が今のところ勝っちゃうくらいには、忙しさにおののいている自分がおりまして。
いろんな人にお世話にならないと生きていけないような予感がムンムンにしております。

自分や家族を支えてくれる人やチームに自分ができることをしっかりと提供しながら、もっと自分をさらけ出したりして。お互いがより安心して自分の生き方へ進める関係性を作っていけたらなあと思います。
これが抱負になるのかな。

サクッと書き散らす予定が割と長くなりましたが、33歳の三枝もよろしくお願いいたします。

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