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2006年のこと(春)

2019年6月20日木曜日。
映画「モデル 雅子 を追う旅」公開36日前。

僕が雅子と出会ったのは、2006年の3月初旬。
僕が35歳の時分。僕はその前年1月に離婚していた。
「しばらく恋愛とか結婚とかいいわ」と思いつつ、
焦ることもなくボンヤリしていた。

会社では映画製作の仕事をしていて、その縁で試写会ハガキが度々舞い込んでくる。フラリとその試写会にお邪魔したら、「そんな隅っこにいないで、こっちいらっしゃいよ!」500人くらい入る劇場の端から端まで伝わるような大声で、その配給会社のマダムが僕を呼ぶ。マダムの左隣に座らせてもらったわけだが、マダムの反対側の隣に、女性のお友達が2人。
そのうちの1人が雅子だったのだ。

その夜は映画が済んだ後、
銀座の中華屋さんで麺でも食べてすぐ解散だったと思う。
翌週には、六本木でフランス映画祭があった。
一応こちらも正装して、マダムに挨拶に行ったら、
緑色のドレスを着た雅子がいた。
「どうよ、雅子がキャロル・ブーケに花束渡すのよ。負けてないでしょう」
「……負けてないです」
マダムは意気軒昂である。
「大岡くん、今夜は貴方が私達二人をエスコートするのよ」
というので、オープニングセレモニーが終わってから、
ハイアットのガラパーティまでマダムと雅子に付き添って動く。
雅子はパーティで仏俳優ブノワ・マジメルを捕まえて、
仏語で会話している。
モデルとは聞いてたけど、ちゃんと勉強してる本物だ。
「…綺麗だな…きっと年下だな。まだ20代かな」
「何言ってるの大岡くん、あの子あんたより年上よ」
マダムが耳打ちする。さらに驚いた。

不勉強なことに「雅子」というモデルがいることさえ、出会うまで知らなかった。ファッションやモデルといった世界に、僕は全くノーカンだったのだ。ただ「志津子」のことで膝を打った。僕が自分で調べたか、マダムから聞いたか。雅子は自分からそういうことはあまり言わない。

ガラパーティが終わって、マダムに「雅子を送ったげて。変なことしちゃダメだからね」と言われ、そのまま素直に二人で電車に乗った。雅子の最寄り駅で降りて、まあまあな距離を歩く。

ちょうど3月に故郷の神戸のちょっと西側で上がる「いかなご」という小魚を、生姜や醤油やみりんで煮る「いかなごのくぎ煮ってのがあってね…」と話したら、
雅子が「それ知ってる!」。

「なんで知ってるの?!東京生まれでしょ?」
「友達のお母さんが作ってて、分けてくれるんだよね」

よくよく聞いたら、雅子がデビューしたときくらいのモデル友達の実家が、僕の地元の町の北側にバスで15分。そのモデル友達と雅子との共通の友達の実家は、僕の地元の駅前だ。
そんな友人らと一緒に、何度も来ていたという。

雅子は、2006年の春に僕と知り合う、20年ほども前に、
僕の地元の、海辺の駅に降り立っていたのだ。

ひょっとしたら、すれ違っていたかもしれない。
でもきっと、その光景はそれほどロマンチックでもないだろう。
雅子は20代前半の可憐さと若さに満ちていても、
僕は中学生で丸刈りで無力でジタバタしていた。
その頃に出会っていても、
ハナも引っかけられなかったはずだ。

まあそんな感じで、二人は出会った。
翌日からのフランス映画祭に一緒に行ってみることにした。
会って「いかなご」を交換して。

卵かけご飯に合わせると、絶品なんですよ。

映画「モデル 雅子 を追う旅」公式サイト

アップリンク吉祥寺 劇場席予約ページ

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