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責任者は誰だ

最近、ちょっと気に入ったテレビドラマを観ていると、一瞬で興醒めしてしまうことがある。

私は、こうして言葉を一つ一つ書き記して、自分の思いや、時には物語を書いたりしている訳だが、それでも物凄く学がある訳でもなく、知らない言葉の方が圧倒的に多い。

それが、少しばかりのコンプレックスにもなっていたりするし、それでもこういうことでいちばん大切なのは感性だと、開き直ってみたりしているが、それだけに言葉に対しては敏感な方だと自負している。

それ故に、名の売れている力のある脚本家や監督、役者が言葉の使い方を間違えていると、私は酷くがっかりさせられるのだ。

今、私が最も気になっていると言うか、気に障って仕方ないのが『布団を引く』という台詞である。

大体、どのドラマを観ていても、十人中八人は『布団を敷く』とは言わず『布団を引く』と言う。

せっかく素晴らしい作品でも、私はここで、それまで張り詰めていた緊張感が一気に弛み、気が抜けてしまうのである。

脚本家が、正確に書いているにも関わらず、役者が間違えて言っているのか、脚本家が間違えて書いていることに、役者も気づかず言っているのか、それとも、役者は気づいていながら言っているのか、更には最終的にOKを出す監督も間違えているのか、それとも、単に聞き間違いをしているのか、誰の責任かは私は知らないが、とにかく、この間違った日本語の使い方に、現場で気づいてくれる人はいないのだろうかと、私は他人事ながら感じずにはいられないのである。

母国語さえ、そんな風に間違えていることに気づかないのに、何がハリウッドだと私は思ってしまうのだ。そんなに使い慣れていない言葉ではないだけに、私は酷く残念になるのである。

言葉はその人の人生の一部である。 

それだからこそ、どんな時もどんな風に話しても、下地としてある程度のものはどう上手く繕っても、口をついて出てしまうものなのである。それだけに、言葉遣いは大切であると、私は常日頃思うのである。

荒っぽい口の利き方をしていれば、どうしたってそういう荒っぽい言動になってしまうし、その言葉遣いは顔に出てしまう。

それだけに、もっと、言葉を生業にしている人間には神経質であってほしい。いつも子供に見られているというような感覚を、大袈裟かもしれないが常に持って行ってほしいのだ。

たかだか『引く』と『敷く』なんて、わざわざ訂正をしなくても察すれば分かるだろうと、人任せにせずどんな時もどんな言葉にも、責任を持っていてほしい。

しかし、ドラマの責任者は誰になるのだろうかと、ふと考えてしまった。


2022年9月11日・書き下ろし。

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