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違和感

 今年もまた、線状降水帯というものが発生して、各地に甚大な被害をもたらしている。
 ここ十年の間だろうか、地球温暖化が進み環境問題のニュースが深刻に取り上げられているが、世界を見渡せば戦争をしていたり、ミサイル発射の実験をしたりしている。
 いくら私たちがささやかにビニールゴミを減らしたところで、劇的にこの地球温暖化問題が解決する されるということは、残念ながらなさそうである。

 ニュースを観ていていつも思うことなのだが、猛暑日や最高気温を伝える際のナレーションに、私は限りなく違和感を覚えるのである。

 ニュース映像では、各地の催し物や子供たちが額にびっしょり汗をかきながらも、美味しそうにかき氷を食べていたり、仕事が退けた大人たちはビアガーデンでそれはおいしそうにビールを飲んで「最高っすね!」なんて言ったりしている。

 確かに子供たちもかき氷は美味しいに決まっているし 、大人たちはビールが美味しいのも頷ける。  普段から私は酒を飲まないから、ビールの良さが分からないのだが、あの仕事から解放された後に飲む、一杯のおいしさを理解するのは容易いことである。
 問題なのは映像ではなく、それに当てて流されるナレーションの方である。

 実際はそうでもないのだろうが
「今日は各地で過去最高の暑さとなりました」
と伝える声が、何処となく嬉しそうでやたらに明るいのである。
 NHKはまだ至って普通だが、これが民放になるとギネスブックにでも載ったような、それは地球温暖化とはまるで無縁な、どこ吹く風というように、全く危機感がなく楽しげなのである。この暑さで今日も人が死んでいるというのに。

 番組のお偉いさんからそう言うように言われているのかもしれないが、ちっとも危機感が感じられないのである。
 二〇二〇年に大流行した新型コロナウイルス感染症が、感染者数と入院患者、死亡者数の発表を毎日報道する時は、それは神妙な面持ちで、まるで深刻さを身に纏ったかのような表情で、画面全体からも危機感というものが切々と伝わって来て、自分も気をつけなければいけないんだと、心の底から思ったものだが、どうも地球温暖化は新型コロナとは違い、直接人の体内に入り込んで悪さをすることがないだけに、人間も大して深刻には考えられないのだろうと思う。

 その分野での研究を続けている人々は、もう地球が相当ギリギリのところまで来ているということを、身をもって痛感させられているのだと思うが、日常に忙しい私たちには残念ながら、その声は届いていないようである。
 
 思えば十九世紀後半から現在まで、人間は本当に好き勝手に生きて来てしまった。もの言わぬ地球が、その異常気象という恐ろしい形で、我々人間に数々の警告を続けているというのに、我々人間は余りにも危機感がなさ過ぎる。
 人類が終わりに向かって突き進み始めるのを、我々人間が承知したと地球は思っているのではないかと、私は感じるのだ。

 このまま毎年のように線状降水帯が発生し、滝のような雨が降り、そして連日、四〇度近い気温の中で、私たちはこれからも過ごしていかなければならないのだろうか。暑い暑いと言っている私たちに、その暑さの責任はあるのだ。

 気温を一度上げるのは簡単なことだが、一度下げるのは並大抵のことではない。結局、大したことは何も出来ぬまま、このまま地球温暖化が進んでしまうのではないか。そんな諦めが私の頭の中を行ったり来たりしている。

 今年の夏も、また暑くなりそうである。
どうにかしなければならないのである。

            (二〇二三年七月十二日)

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