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看板娘

新しい土地に引っ越して来る前は、今よりも良く自転車を乗っていた。

そんな折、パンクをするとよく立ち寄った自転車屋があった。そこには大昔、看板娘だったタキというおばあちゃんがいた。

私は親しみを込めて、いつとも知れず彼女のことを 『おタキさん』 と呼んでいた。

彼女は八十代だったが、私がパンクした自転車を押して持って行くと、

「あら、 今日はどうしたの?」

と声をかけてくれて、私が、

「何か踏んづけちゃったみたい、パンク」

と答えると、

「じゃ、見てみるわね」

と言って、ひょいっと私の自転車をいとも容易くひっくり返してしまうのだった。

私が初めておタキさんのその芸当を目の当たりにさした時には度肝を抜かれたものだが、長年やって来ているものだから掴んでいるコツというものがあったのだろう。それはそれは軽々とひっくり返し、素晴らしいショーを見ているようだった。

おタキさんは、ひっくり返した自転車のタイヤを、平べったい鉄の棒みたいなものを使って車輪から外し、中からチューブを引っ張り出して水を張った桶に浸して、どこがパンクしているのかをチェックし始めるのだった。

その間におタキさんと私は世間話をして、その時間を楽しんだ。

彼女は最近、

「膝が痛くて厭になっちゃう」

としきりに話すので、私は、

「その足で、 何十年と立って来たんだから仕方ないよ。自分で歩けるだけ良しと思わなくちゃ」

なんて、その歳の人の痛みも理解してやらずに慰めのつもりで言ってしまったのだが、おタキさんはニコッと笑って、

「そうよね、これくらい我慢しなくちゃね」

と言って、またせっせとタイヤのチューブを点検するのだった。

そして、チューブに入れた空気が穴から漏れ出し、桶の中でプクプク泡を吹き出すと、穴の開いた箇所を見つけ当て白いチョークで目印をつけ、チューブの水を良く拭き取ってから、それ専用の絆創膏のようなもので継ぎ当てをした。

それからまた、八十代の女性とは思えない力強い握力で、チューブを車輪の中に押し込んで、そこにまたタイヤをぐいぐいとはめ込んで行くのだった。

そんな作業の途中、やはり会話が途切れることはなく、商売をしている家に嫁いで来た息子の嫁が、店を全く手伝わないから困っちゃうわと、気を許した私にいつだったか『嘆き節』 も披露してくれたりもした。

おタキさんと私は店員と客という立場を超えて、いろいろ話をした方だったと思う。

いつだったか、私は戦争体験の話をおタキさんに訊いたことがあった。
おタキさんのお兄さんもやはり戦争に行っていて、戦後、何年かしてから日本に帰って来たという。

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