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蟻のご馳走

 先日、コンビニエンスストアの軒下で見かけたツバメの巣に、またツバメが新たに卵を産んだ。ツバメのことはてんで詳しくないものだから、一度使ったよそのつばめの巣を、他のツバメが自分の巣のように使うのかどうか私は知らないが、前にいたツバメかもしれないし、別のツバメかもしれない。それはツバメにしか分からないことである。

 この間見かけた時は、まだヒナも小さくて六匹いたが、数日後に通りかかった時覗いたら、ヒナは四匹に減っていた。さらに数日後、再びツバメの巣を覗いた時には二匹にまで減っていた。そしてさらに数日後、とうとうヒナはたった一匹のみになってしまった。

 かわいそうだったが、いずれのヒナも随分羽が生えて来ていて、このまま順調に行けば巣立ちも出来ると思われた。しかし、これが生存競争の厳しい自然界の避けては通れない道なのだろう。ヒナは無残にも灼熱の太陽に焼かれた熱いコンクリートの上に、身を縮めるように落下し、その屍には何処からともなく臭いを嗅ぎ付けたのだろう、小さな無数の蟻がたかっていた。最後まで生き残ったヒナが蹴落としたのか、それとも自分から落下したのか、悪びれることもなく澄ました顔をして、巣から顔を出して遠くを眺めているツバメを見て、私は何だか腹が立って来た。

自分だけ生き残ればそれでいいと言うのか。
お前の兄弟は皆お前が殺したのか。
それでもお前は命あるツバメなのか。
兄弟が全滅しても悲しくないのか。
ツバメとしてやっていいことだと思っているのか。

等々、私と目を合わすことのない澄ました顔をしたツバメを、私は腹の中で思いきり非難した。しかし所詮、どんなに綺麗事を並べたところで、ツバメと私が住む世界は違うのである。
 このツバメも今回は生き残ったが、巣立った時にはもしかしたら自分がしたことと同じような目に遭うかもしれない。一歩外に出たら、ツバメの命なんて儚いものである。
 どんなに醜いと思われても、この広い世の中に生まれ出て世界を見渡し、この世の匂いを嗅いだら、何をしてでもそこから飛び出して翼を広げて、この果てしない空を思うままに飛んで、その空気を思う存分吸ってみたと思うのが世の常なのかもしれない。

 感情を持たない生物は、このようにして本能だけで生きて行くのである。人間のように、良い人ぶったり他を思い遣ったり、そんな面倒なことはしない。情け容赦はないのである。それは、善きにつけ悪しきにつけ、いちいち人の目を気にしなければならない人間からしてみたら、残酷だか考えようによっては余程清々しいものかもしれない。

 私もツバメだったら平気で兄弟を殺してしまうのだろうか。いや、灼熱のコンクリートの上で蟻にたかられている方だろうと思う。
 善い人でも何でもないが、兄弟を蹴落としてまで、私はこの世に生きていたいとは思わないのである。

2024年7月9日 書き下ろし


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