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季節の「変わり目」か「継ぎ目」か 〜作家の自然描写3 幸田文「崩れ」

日本の季節の移ろいを、新味のある表現で印象深く描いた一節を見つけた。

季節の継ぎ目は、いつも興ふかい天候になる。これから来る季節と、もう消えていこうとする季節が、往きつ戻りつ混じりあう。そうしながらも結局は、来るものは来、去るものは去って、季節はめぐっていくのだが、去るものは名残りを惜しんで、ふり返りふり返りしながら行くように見えるし、来るものは去るものへ遠慮して、どっと一度に押し入ってくるようなまねはしないというように見え、そこが私には興ふかくおもえる。(幸田文「崩れ」講談社文庫p.83)

過ぎ去る季節と、これからやってくる季節を人に例えて、それぞれが互いの間合いを計りながら近づき、また遠ざかっていく光景が目に浮かび、なんだかユーモラスな気分にさせてくれる。

気象に最低限の理解がある気象予報士からの目線でみると、冒頭の「季節の継ぎ目」という表現はとても言い当て妙で風流な言い回し方だと思う。日本の春夏秋冬ある四季のその間の移り変わる部分を、「継ぎ目」という言葉によってうまく表しているように感じる。

よく「季節の変わり目」という言葉を聞く。テレビやラジオの天気キャスターからは今の時期よく「季節の『変わり目』なので体調にご注意を」と口を揃えたように聞く。特段違和感があるわけではないが、言葉の意味するところに思いをめぐらしてみると、「変わり目」という言葉には時間的な長さが感じられないように思う。Aという状態がBという状態に短い間で一転するという印象を受ける。

実際の季節の変化は緩やかだ。最近は気候変動を背景に、極端現象が増えているようだが、数日のうちに一変するということはない。例えば今の時期でも私が住んでいる東京では、数日前は日中は夏の暑さを思わせる陽気だったが、きょうは雨模様で肌寒いくらいだ。

「継ぎ目」という言葉には、「変わり目」という言葉に込められないもう少し時間的な長さを感じる。「変わり目」が数日というくらいの変化の日数だとすれば、「継ぎ目」は1ヶ月くらいの期間を収められるくらいの余裕がありそうだ。

また「変わり目」が、そのあとに「体調管理に注意」といった警戒を呼びかける言葉が続くのに対し、「継ぎ目」という言葉には何か楽しくなるような表現を続けられるようにも思う。例えば気象キャスターの場合、次のような表現が考えられるのではないか。

例1:「春から夏への季節の『継ぎ目』ですので、朝晩は春の爽やかさ、日中は夏のまばゆい光が楽しめるでしょう」

例2:「夏から秋へ季節の『継ぎ目』ですので、朝晩は秋の涼やかな空気、日中は名残惜しい夏の太陽を感じられるでしょう」

例3:「秋から冬への季節の『継ぎ目』ですので、紅葉を楽しみながら鍋料理を堪能できるでしょう」

例4:「冬から春への季節の『継ぎ目』ですので、こたつの温もりと早桜の美しさに浸れるでしょう」

といったところか。「変わり目→体調に注意」という聞き飽きすぎた紋切り型の注意喚起から、「継ぎ目→2季節を同時に楽しめる」というワクワク感のある情報発信の方が、日常が少しだけ明るくなるような気がする。

もちろん気象情報には防災や健康という面が大事だとは思うけれど、気象キャスターの方々には自分ならではの言葉で、ぜひ季節ごとの楽しみや喜びを語って欲しいと思う。天気予報自体は今はネットで検索すればものの数秒でわかるのだから。テレビやネットニュースでわざわざ天気の時間を作るからには、気象庁の受け売り情報でなく、キャスターそれぞれの個性で魅せて欲しいと思う。

なお、この著作は山崩れが起きている場所を著者が訪ね歩いた記録だ。地震などによって地形が著しく変形した「三大崩れ」(大谷崩・静岡、鳶山崩れ・富山、稗田山崩れ・長野)などを巡ったエッセーだ。原初の地球を思わせるような崩れの場所には得も言われぬ魅力があるのだという。「72歳、体重52キロ」の体で険しい山道を登り、現場まで足を運ぶ作家の気力と、繊細な言語感覚に感嘆する。

「崩れ」幸田文

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