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時代に淘汰され、ほぼ絶滅してしまった映画館

2001年3月10日に他のサイトへ掲載した原稿を加筆修正しました。==================================

ある種の映画館が街から姿を消してしまった。ほぼ絶滅してしまった。

昔の繁華街には封切りロードショー物は上映していないが、二番館として古い映画を二本立てで上映している映画館があった。

また急行が停車するような主要駅の駅前広場には、パチンコ屋や中華料理屋、喫茶店などと並んで、小さな映画館があった。この手の映画館は大体が二番館で、そこではヤクザ映画やロマンポルノ、子ども用の怪獣映画やアニメなど、主に邦画が上映されていた。入口の上には、ド派手な色のペンキで描かれた手描きの映画看板もあった。

しかしこんな映画館は1980年代に家庭用ビデオデッキが普及し、レンタルビデオ屋が現れると、街角から少しづつ姿を消した。そしてその跡地にはテナントビルが立ち、そこにはコンビニや携帯電話屋などが出店している。

私が高校生だった頃、1970年代初頭はベータマックスもVHSも商品化されておらず、当然レンタルビデオ屋も無い時代だった。だから映画に飢えた高校生には安い料金で映画が二本観れる二番館は欠かせない存在だった。

高校から家に帰る道中、地下鉄の通学定期券で天王寺-難波-心斎橋と大阪の繁華街を経由出来たので、土曜日は学食で昼食を済ませてから、難波と心斎橋の間にある戎橋(グリコの巨大看板と阪神タイガースが優勝したら熱狂的ファンがダイブすることで有名な場所)に隣接していた洋画専門の二番館へ足繁く通った。劇場名は戎橋劇場で、キリン会館の4階にあった。

キリン会館 下に見えるのが戎橋と道頓堀

寄る年波にはあらがえず、老朽化したキリン会館は解体されることになり、戎橋劇場は1986年に終わりを迎えた。その跡地にはKPOキリンプラザ大阪が建設され、後日マイケル・ダグラス、アンディ・ガルシア、高倉健や松田優作の出演で話題になったリドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』(1989年)では撮影舞台として使われた。

60年代後半に現れたアメリカン・ニューシネマ系の作品はこの戎橋劇場で観ることが出来た。 『俺たちに明日はない』『卒業』(共に1967年)、『イージー☆ライダー』『明日に向かって撃て』『真夜中のカウボーイ』(いずれも1969年)、『いちご白書』(1970年)などなど。

そして自宅の最寄駅前の小さなスクリーンの二番館では藤純子が "緋牡丹のお竜" を演じる『緋牡丹博徒』シリーズや高倉健の代表的シリーズ『昭和残侠伝』など、任侠モノを観た。

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話は逸れるが、今から約10年以上前、パリに住んでいた頃、二番館で滅茶苦茶なな三本立てを観た事がある。

『ゴッドファーザー』『ゴッドファーザー Part II 』『ゴッドファーザー Part III 』の三本立てだ。上映は金曜日の21時頃から(だったと思う)で、映画館を出たのが朝の7時頃だったと思う。どの作品も長編で、へヴィーな内容だ。それを三本、各編ごとに20分ぐらいの休憩時間を挟みながら、ぶっ続けで観て、さすがに体力消耗、ヘトヘトになった記憶がある。翌日が土曜日で仕事が休みでないと、こんな三本立ては到底観れない。

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昔の古い映画館の床は、こぼれたコーヒーやコーラでちょっとネトネトしていた。ロビーのソファは安物のビニール製で、くすんだ赤色がテカテカしていた。スクリーンの両脇に掲出された “禁煙” 看板もやたら大きく、書体は古臭い明朝系だった。それに換気が悪いのか、空気も淀んでいて、独特の臭気が漂っていた。

それに比べて最近の映画館、シネマコンプレックスは清潔で便利だ。ロビーではちょっとオシャレなスナックを販売しているし、椅子の肘掛には飲み物が置けるホルダーまで付いている。ファミリー対応だから子供用の補助椅子(?)みたいなものまである。またラブロマンス系映画鑑賞用にカップル専用二人掛けリクライニングシートも用意されている(これは嘘!)。

妙に明るく健全で、"コンビニ・ファミレス" 感覚の映画館にはなんとなく違和感を感じて馴染めないところがある。

くたびれた感じと場末の匂い。ちょっと胡散臭い雰囲気が漂う昔の映画館が妙に懐かしい。

そこは少し “不良チック” な大人の世界だった。

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