見出し画像

This is startup - 人事も知財だ!(創業者の魂は究極の知財)

【要約】

この記事は、知財の概念を拡張し、会社自体に知財の顔を見出す試みです。会社は、創業者の創造的活動により生み出されたコミュニティであり、その人格は創業者の魂の影響を強く受けます。創業者の魂は、他者に模倣できない唯一無二のものであり、それを言語化し醸成することで、知財のプロセスと同じように価値を高めることができます。この記事は、創業者の魂こそが究極の知財だという考え方を、法律的な定義や具体的な事例を交えて説明しています。

Bing Chat

はじめに

某大企業(誰でも知っている飲料メーカ)の元知財部長の大先輩とお酒を酌み交わしていたときのこと。

僕は、人事責任者時代の経験を通して、「知財人材がもっと多方面に染み出していくことが、知財の可能性を拡げるし、会社にとっても成長の上限を解放することになる」といったような話を熱く語っていた。

するとその大先輩は、こう言った。

「私は、創業者の魂こそが究極の知財だと思っているんだよね。」

今回は、そのときの衝撃を忘れないために、「至高の知財」を超える「究極の知財」に挑むことにする。

会社

法律で定義された知財

法律(知的財産基本法)には、以下のように定義されている。

第2条 この法律で「知的財産」とは、発明、考案、植物の新品種、意匠、著作物その他の人間の創造的活動により生み出されるもの(発見又は解明がされた自然の法則又は現象であって、産業上の利用可能性があるものを含む。)、商標、商号その他事業活動に用いられる商品又は役務を表示するもの及び営業秘密その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報をいう。

知的財産基本法

この中から「人間の創造的活動により生み出されるもの」という一文に着目したい。

この一文が、知的財産関連法の保護対象物(発明等)を含む概念であることは容易に想像できるが、人間の創造的活動の成果のすべてがこの概念に集約されているわけではない。

例えば、コミュニティ(人間集合体)も、人間の創造的活動により生み出されたものだ。

コミュニティとしての会社は人の創作物であるか?

我々日本人は、縄文時代の狩猟から始まり、弥生時代になって農耕を手に入れた。
その後、平安京、幕府、そして政府。
我々は、姿形を変えながら、人の集合体(コミュニティ)のアップデートを繰り返してきた。
まさにこれは、生存的思想の創作と言えるだろう。

現代社会で多くの人間が所属するコミュニティの1つに「会社」がある。
「会社」も、人間(創業者)の創作活動により生み出されたものだ。

日本で最初に設立された株式会社は、第一国立銀行だそうだ。

今のような株式会社の最初は1873(明治6)年設立の第一国立銀行です。なお、それまでにも、坂本龍馬の亀山社中(貿易会社)など、幕末の頃から株式会社のような組織はあり、少しずつ本格的な株式会社に近づいて行きました。

株式市場のQ&A(東京証券取引所)

法律では、人格(法人格)を認め、権利の譲受において個人とのやり取りを前提とした条文がある。

(法人格)
第三条 会社は、法人とする。

会社法

従業者等がした職務発明については、契約、勤務規則その他の定めにおいてあらかじめ使用者等に特許を受ける権利を取得させることを定めたときは、その特許を受ける権利は、その発生した時から当該使用者等に帰属する。

特許法35条3項

このように、人が創作した「会社」には、人格が化体している。

例えば、「会社に行く」という文脈での「会社」には、勤務地の意味が込められている(リモートワークの日に「仕事をする」と言うことはあるが、「会社に行く」という言い方はしない)。
この時の「会社」は、コミュニティそのものではなく、コミュニティの所在地を指している。

「会社の方針」という文脈での「会社」は、その方針を決裁した人物を指しているだろう。
この時の「会社」は、コミュニティそのものではなく、コミュニティのキーパーソンを指している。

では、次のような表現の時はどうだろう。

  • 「うちの会社は、研究開発型のスタートアップです。」

  • 「うちの会社は、環境技術で社会貢献します。」

  • 「うちの会社は、やりがいのある会社だよ。」

「うちの」で形容された「会社」は、法的性質を超えた人間的性質(人間性)を見せ始める。

究極の知財

知財の役割

模倣排除は、知財の役割の1つだ。

例えば、特許権は、その役割を果たすための協力な武器になる。
しかし、特許権だけで完全な模倣排除は不可能である。

例えば、「クロスライセンス」という枠組みは、そのことを如実に表している。

完全な模倣排除は不可能である。
だからこそ法律が存在している。
その法律が定めたルールの中でプレイするのが知財家の行動原理だ。

そう思っていた。

創業者の魂こそが究極の知財

冒頭の大先輩は、僕にこのような問いかけをしてくれた。

「木本くん、会社には絶対に模倣不能なものがあるんだけど、なんだかわかる?」

僕は、とっさに「営業秘密、、、ですか?」と答えたが、その大先輩は僕の答えには触れずにこう続けた。

それは、創業者の魂だよ。
私は、創業者の魂こそが究極の知財だと思っているんだよね。

思わず目を見開いたのを覚えている。

「創業者」は、「経営者」と違って、時間を巻き戻しでもしない限り上書きは不可能だ。
であれば、その創業者の魂(想い)は、模倣することは絶対にできない。

知財家が人事をやる意味

以前、弊Blogで次のような表現で僕にとっての「知財」の定義について触れた。

「知財」という概念にとことん向き合った結果として、概念の拡張が必要であるとの結論に至った。

その結果、僕は「自分が価値をつけたい情報が知財である」と考えるようになった。

弊Blog「This is startup - 契約も知財だ!」

僕は、人事責任者時代に、会社のミッション&バリューの刷新に関与した。
僕の知財感は、この経験から大きな影響を受けている。

思い返すと、ミッション&バリューの刷新プロセスで強くこだわっていたのは、創業者の想いを高純度に表現すること、そしてそれを社員にノイズレスで伝えることだった。

しかし、僕自身、創業前から苦楽を共にしてきた創業者の魂を言葉にして伝えることが、さもこんなにも難しいことなのかを痛感した。

それでも、他の社員に任せたくないというある種の使命感を持ってやっていたのも事実。
今思えば、「この人事責任者としての仕事は、知財業務である」と自覚していたのかもしれない。

魂は、無形資産である。

だからこそ、スタートアップから大企業まで、ミッション、経営理念、PURPOSEといった無形物を言語化することで、知財(模倣不能な会社の財産)に変換しているのだろう。

他者の模倣が不可能な無形物。
特許庁に出願するまでもなく、法律に頼るまでもなく、創業者の魂だけは第三者が背伸びしたって模倣することはできない。
創業者の後継者にすら不可能な所業なのだ。

創業者の魂。
それは、「究極の知財」と呼ぶにふさわしい

むすび

創業者とは、経営者とは一線を画した唯一無二の存在である。
その存在が、魂を吹き込んで作られたのが会社だ。

会社に吹き込まれた魂は誰にも真似できない。
2代目社長は、経営者になれても、創業者にはなれない。

戦後日本を牽引した大企業の創業者もまた、数々の魂を吹き込んできた。
究極の知財は、今も昔も変わっていない。

関連記事

キャッチ画像 generated by Bing Chat
Prompt is 要約

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?