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「自分が家族を養うんだ」フリーターだった私が、人生の転換点を迎えるまで

株式会社大倉 代表取締役の木村です。遡ること51年前、大倉は創業者である私の祖父が立ち上げました。その後、4年前に2代目社長に就任した私ですが、元々は会社を承継する未来など、まったく思い描いていませんでした。

なぜそんな私が会社を継ぐことになったのか、今回から2回にわたり、ありのままの経緯をお話しさせていただきます。前編では、幼少期から大倉に入社するまでの道のりを振り返ります。


幼き日の決意を忘れ、家族に心配をかけ続けた少年時代

私は大倉の創業者の息子である父と母の間に、3人兄弟の末っ子として生まれました。ですが、私がやっと歩き始めたくらいの年齢で両親は離婚し、母・兄・姉・私の4人で慎ましやかに暮らしていました。

当時、祖父とは年に数回顔を合わせる程度の関係で、「お正月にお年玉をたくさんくれるおじいちゃん」という印象しかありませんでした(笑)どこかの会社の社長であることは知っていたものの、どんな仕事をしているのかは、まったく想像がついていませんでした。

そんな私の人生が一変したのは、9歳のときのこと。小さい頃から慕っていた兄が、交通事故で帰らぬ人となってしまったのです。兄の死に直面したそのとき、私のなかで「将来は自分が母と姉を養うんだ……!」という意識が芽生えたことを覚えています。

ところが、遊び盛りの中高生になった頃には、幼き日の決意はすっかり忘れ去られていました。「遊びに行くのにバイクが欲しい」と母にお金を借り、念願のバイクを手に入れると「仕事先まで送ってあげるから」と姉にお小遣いをせびるようになっていたのです。今思い返すと、当時の私は自分のことしか考えておらず、遊びにかまけてばかりのちゃらんぽらんな人間だったと思います。

そうして迎えた16歳の夏休み。「勉強なんて意味がない」と私は入ったばかりの高校を退学することにしました。このとき、母と姉は私の将来を心底心配していたと思います。数年前、同じように高校を退学していた姉は、「辞めた人間やから言うけど、高校は行っといた方がいいよ」と最後まで説得してくれたほどです。しかし、私の気持ちは揺るがず、退学後は母への借金返済のために、バイトに明け暮れるようになりました。


家族のため、自分のために無我夢中で働いた日々

フリーターとして働き始めて、3年ほどが経った頃。20歳目前になっていた私は、ある日、ふと我に返りました。

「兄が亡くなったとき、将来は自分が家族を養うと決めたはず。もうすぐ成人するというのに、僕は一体何をやってるんだ……」

自分の不甲斐なさに落胆した私は、すぐさま正社員で働ける仕事を探し始めました。とはいえ、最終学歴が中卒では、仕事を選べる立場でないことは明白でした。そこで、求人誌の『タウンワーク』が発行されると、その日のうちに片っ端から電話をかけ、面接してもらえる会社に足を運び続けたのです。

運良く採用されたのは、空調機器を扱う小さな内装設備の会社でした。ようやく金銭面で家族を援助できるようになった私は、次なる目標を掲げました。それは、「資金を貯めて事業を起こし、30歳までに経営者になる」ことでした。家族のため、そして自分のために、とにかく無我夢中で働き続けました。


24歳で迎えた、人生の大きな転換点

それから6年の歳月が経った頃、私の働きぶりを見てくれていた社長から、「次はお前に会社を継いでもらいたい」という話をいただきました。本来なら喜ぶべきところですが、その一言に私は戸惑いを感じてしまったのです。

「今の仕事を、一生の仕事にしていいんだろうか」

正直なところ、家族を養うために選んだ仕事を、一生続けられる自信はありませんでした。かといって、今すぐ事業を起こして経営者になれるほどの資金や保証も、当時の私にはありません。そうして答えが出ぬまま思い悩んでいたある日、突然祖父から電話がかかってきたのです。

「弘希、仕事で悩んでるらしいな。それやったら、一回うちで仕事してみたらどうや?」

電話が来る少し前、私は近しい親戚に悩みを相談していました。その話が巡り巡って、祖父の耳に入っていたようです。その後、祖父の誘いで食事に行き、そこで初めて大倉の事業内容を知りました。話を聞けば、大倉は当時すでに多様な事業を手掛けており、「祖父の会社なら多くの学び・経験が積めるかもしれない……!」とワクワクしたのを覚えています。

それから数日後、今度は「一回会社を見に来てみるか?」と祖父から連絡がありました。誘いに応じて終業後の事務所を訪ねると、そこには当時の幹部社員5名が揃って待ち構えていたのです。

「ちょっとおじいちゃんに会いに行くか」くらいの軽い気持ちで出向いていた私は、私服にロン毛というカジュアルな格好。さらには口髭まで蓄えていて、その場にはあまりにもミスマッチな出で立ちだったと思います。開口一番、「こんな格好ですみません……」とお詫びの挨拶から入ったのは、言うまでもありません(笑)

そんな私でしたが、幹部社員の方々はあたたかく接してくださいました。その場で腹を割ってお話しさせていただいた結果、とんとん拍子に翌月からの入社が決まったのです。

翌日、私は思い切って前職の社長へ退職の意向を伝えました。思いがけない話に、社長は膝から崩れ落ちていましたが、事情を理解し、私を送り出してくれました。

こうして私は、24歳で人生の大きな転換点を迎えたのです。

後編へ続く)

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