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「一生この事業に取り組む」創業者の想いを引き継ぐ、2代目社長の誕生秘話

株式会社大倉 代表取締役の木村です。前回に引き続き、大倉の2代目社長へ就任した経緯について、お話しさせていただきます。前編では、幼少期から大倉へ入社するまでの道のりを振り返りました。後編では、大倉に入社後、会社を承継するまでのいきさつをお話しします。


「創業者の孫」という大きなプレッシャーに苦悩した日々

24歳で大倉に入社した私は、一般社員として営業部に配属されました。よく経営者の身内が「経営室」などの側近部署に配属される例がありますが、私も祖父もそれを良しとはしませんでした。なんなら私は、「創業者の孫ということを伏せて働きたい」とすら思っていました。ですが、入社早々に祖父が「弘希」と私を呼んだことで、周囲の社員たちに一瞬で身内だとバレてしまったのですが……。

すると、その直後から周囲の社員全員が、私に変に気を遣い始めました。確かに、「創業者の孫」とわかれば、無理もないことだと思います。

「どうしたら『創業者の身内』ではなく、『木村弘希』という一人の人間として見てもらえるのだろうか」

口には出しませんでしたが、そんなことを考えながら、少しずつ周囲との信頼関係を築いていきました。

さらに、当時の私には、もう一つ気がかりなことがありました。それは、「とにかく実績を出さないと、祖父の顔を潰してしまう」という焦りでした。

「早く仕事を覚えて、結果を出したい!」

そう意気込んだものの、当時の大倉は経験者採用しか行っていなかったために、新入社員の教育体制が整っていませんでした。

「教育カリキュラムがないのなら、自分で学んでいくしかない」

そこで私が思いついたのが、各事業部を回って現場経験を積むことでした。


「すべての株式を引き継ぐ」驚きを隠せなかった、後継者指名

大倉グループは倉庫のサブリースを主軸にさまざまな事業を行っており、人材紹介や業務のアウトソーシングなどのサービスも展開しています。そこで、私はすべての事業部の現場に赴き、数日〜1週間程度、従業員のみなさんと同じ作業をさせてもらいました。工場の製造ラインを請け負っている現場では、工場着と手袋を身に着け、部品の洗浄作業に取り組みました。また、物流倉庫では商品のピッキングを担当し、コインパーキングではゴミ拾いや集金作業を経験しました。

「この作業をもっと効率化できないだろうか」
「この仕事は外部に委託して、社員には事業開発を任せた方がいいのではないか?」

入社して数ヶ月の間にすべての事業部の現場作業を経験した私は、事業内容を理解するだけでなく、現場が抱える課題にも気づけるようになっていました。社長に就任した今、さまざまな経営判断を下す際にも、当時の経験が活かされていると感じています。

その後、2〜3年目は東京支店の立ち上げを任され、リーダー職に昇進。5年目には会社の組織再編に伴い、執行役員へとキャリアを積み重ねていきました。順調に歩みを進めていたまさにそのとき、なんと祖父が倒れてしまったのです。

幸いにして、祖父の病状は命に関わるものではありませんでした。ですが、「今後は祖父を一人にしてはおけない」と判断し、その後は私がつきっきりで仕事に同行するようになりました。私が祖父に同行するのは社内だけに限らず、ほかの経営者との会食などにも同席するようになりました。図らずも、このときに学んだ経営者としての所作やコミュニケーション方法などが、今まさに役立っていると感じています。


その後、私は副社長へ就任し、裁量を持ってさまざまな事業を推進していきました。そんな姿を見ていたからか、あるとき私は祖父から遺言書を手渡されたのです。そこには、「木村弘希にすべての株式を引き継ぐ」と書かれていました。「株式を引き継ぐ」ということは、「私が次期社長になる」ことを意味します。

かねてから祖父は、「会社を身内に継がせるかどうかはわからん」と周囲に漏らしていました。だからこそ、遺言書の内容を読んだときは、「まさか」と驚きました。しかし、これまでの努力と実績を評価してもらえたのだと感じ、祖父の意向を素直に受け入れることにしたのです。


創業者の大きな背中を追いかけ続ける

それからしばらくして、祖父と私は本格的に代替わりの準備を始めました。ですが、動き出した矢先に祖父が再度倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまったのです。衝撃の一報が入った瞬間、私は頭が真っ白になりました。

「明日になったら、会社のことをまた相談できる。そう思っていたのに……」

けれども、身内や会社関係者への連絡、葬儀の準備など、私にはやることが山ほどありました。悲しみを抑え、忙しなく対応している最中、私の胸にはある想いが灯っていました。

「僕は祖父の想いに共感できたから、ここまでがんばれたんだ。祖父の思い描くビジョンを叶えるのが、この先の自分の夢だ」

祖父から遺言書を見せられた時点で、私は「一生この事業に取り組んでいこう」と覚悟を決めていました。それは、前職では感じられなかった、使命感にも似た想いでした。

「僕は創業者の想いも継いだ、2代目社長になろう」

そう決意し、会社を承継したのです。

 

社長に就任したあと、私は「2年はこれまで通りの体制で経営を続けよう」と考えていました。経営者が変わるのと同時に、社内にさまざまな変化が起きたのでは、社員が戸惑ってしまうと思ったからです。しかし、会社や社員のことを思うと変えざるを得ない部分が多々あり、結果的に就任1年後から社員とともにさまざまな改革を行ってきました。そのなかには、入社1年目の現場経験を元に、改革を推し進めたものもあります。

思い起こせば、祖父は常に従業員のことを考えていました。祖父にならい、私も社員のみんながよりいい仕事ができるよう、これからもベストな環境を整え続けたいと思っています。


私が社長に就任してから、現在4年目を迎えます。おかげさまで業績は右肩上がりで伸びており、これもひとえに社員みんなの力の賜物だと感じています。なかには「もう創業者であるお祖父さんを超えられたのでは?」と声を掛けてくださる方もいますが、私は祖父を超えられると思ったことは一度もありません。私の前方には、常に祖父の姿が見えています。その大きな背中を目で捉えながら、これからも会社経営を続けていきます。

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