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第二話 内の者と外の者 連載 中の上に安住する田中

 横目に見る市役所には、大勢の人が集まっていて、白いテントも複数個立っていた。なにやら賑やかにしているが、なにをやっているのか、てんで検討がつかない。というのもDJらしい長髪の男が音楽を流してはいるが、周りはそんなこと御構い無しにうろちょろしているから、音楽が主体の集まりではなさそうだ。パッとしない中年の男性が多い気もするが、なんちゃってヒッピーみたいな風貌の女性もちらほら見受けられた。それでも全体の傾向としては「冴えないお洒落をした連中」といった感じがする。

 そこまで見ると、まあ検討がつかない訳でも無い。あれだろ、どうせ最近のレコードブームってやつだろう。

 僕にはなにが良いんだかわからないが、半年前ひょんなことで電気屋の営業に回された時に、音響売り場を担当したから、レコードプレーヤーがそこそこ売れているのは覚えている。ただレコードを買うような客は、僕なんかよりよっぽどそっち方面の知識が深いから困ったものだ。低い物腰で日本語なのかどうかもよくわからない質問を投げかけてくる奴なんて、この世の誰とも比べられないほどタチが悪い。本心では自分の知識をひけらかそうとしているんじゃ無いかと疑うほど、いけ好かない顔をして聞いてきたのを覚えている。最後ちゃんと買っていったから良いものの……。

 見上げた空には薄い雲が満遍なく渡っていて、それはそれで美しかった。目線を戻すと、どこかで会ったような顔を見つけた。あ、という間に思い出した。こいつは、ついさっき思い出したレコード野郎だ。確信を持ってそう言える。似合わないベレー帽に明治時代の日本人か韓国人を思わせる丸渕メガネ。無論似合ってれば何一つ文句は無いのだが、なんせこの場で鏡をプレゼントしたくなるくらい似合っていない。
 ファッションは自分の好きにすれば良い、なんて外人と外人かぶれした日本人は言っているが、センスが悪いとただ単にダサいだけだ、最近の言葉だと「痛い」っていうのかな? 残念すぎるから——悪いこと言わないから、マジでやめた方が良い。本当に。悪いこと言わないから。

 僕自身は特別センスが良いって訳でも無いが、そこらへんの人よりかはちょっとましな方だから、最低限の清潔感やTPOはちゃんと弁えている。こういう「おしゃれ」を変に意識した奴らに限って汚らしかったりするから嘲笑ものだ。

 市役所を越えたあたりから人気が半減する。まあ言ってみれば洛外なのかもしれない。とはいえ、僕にとっては人混みが好きな方じゃ無いから、このくらい静かな方が落ち着いていられる。
 ようやく御池大橋までたどり着いた。鴨川はいつも通り穏やかに流れている。川辺にはちらほら人も見える。バードウオッチングしている人もいればアベックで寝そべる者もいる。自分には恥ずかしくてできないだろうと思いながらも、純粋で朦朧とした憧れのようなものを感じていないといえば嘘になるだろう。橋を渡ると理由もなくものを落としてしまわないか心配になる。どんなに大きな橋でも自分の手が痙攣でも起こして、持っているものを川に落としてしまわないかと、自分でも訳のわからない心配をしてみたりもする。
 洛内で育った僕は、鴨川を渡った辺りから急に道の名前がわからなくなるのだが、細い道に入って四、五分歩くとそこには、ぼくの彼女の家が建っている。

 続く

第三話 印象操作

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連載 中の上に安住する田中 ——超現実主義的な連載ショートショート——


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