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人脈は一生懸命つくるものではない。勝手にできて、結果として人脈となる。

気づいたら、人生を長く生きてきて。そして、気づいたら、まわりの人たちに助けてもらえる機会も昔に比べて格段に増えてきたと思っています。

「いい人たちに囲まれているなぁ」

と思う機会も、いつの間にか多くなりました。これって人脈がもたらしてくれる恩恵だよね、と思っています。

本当に感謝しています。


いつからか人脈を感じるようになった。

周りの人たちにものすごく助けられていることを実感しています。これは事実。仕事でも困ったことがあれば、誰かに助けてもらえることが多い。その仕事も会社の運命を左右しそうな決めごとが多くなってきました。こういった機会は、ここ数年で多くなったな、と思っています。

助けていただける人たちは、長年の仕事やプライベートを通じて出会ったみなさま。過去に名刺交換をしただけというつながりではなく、当方からも何らかのお助けをしてきたり、逆に過去にもお助けいただいたりしたみなさまである、と思っています。

こういった付き合いが人脈なのかな、と。感じています。人脈に感謝。

一方で、人脈はプレッシャーでもあります。やっぱり自分だけ助けていただくわけにはいきません。相手にも何かお助けや恩返しできるよう、日々勉強しなきゃと痛感するわけです。自分自身がワンランク上のアウトプットで恩返しできるよう、自己投資しなくちゃいけない、と思っています。ふぅ。


人脈というものを勘違いしていた過去。

人脈をがんばってつくってこなかった私が意見することではないですよね。これまで生きてきて、人脈をつくることに尽力してこなかったと思っています。

人脈をつくるきっかけのイベントとして、異業種交流会などがあります。自分は社交性はある方だとは思っていますが、異業種交流会への参加はどうにも気が引けます。だけど、1回だけ異業種交流会に参加したことがあります。

カイロスマーケティングを創業した当時、新規の顧客もしくは将来の顧客になりうる見込み顧客を探しに異業種交流会に出て名刺交換しました。異業種交流会の翌日に何通かメールをいただきました。まぁ、ほとんどが営業目的のメール。なかにはゴリ押しの営業されたり。そうなりますよね。異業種交流会に参加した目的は営業でしたので、意図せぬ営業メールをいただいても文句言っちゃいけない。異業種交流会が悪いのではなく、そこに参加した自分の意図が悪いわけです。

人脈という言葉の意味は、コトバンクさんによれば、

ある集団・組織の中などで、主義・主張や利害などによる、人と人とのつながり

https://kotobank.jp/word/%E4%BA%BA%E8%84%88-539041

だそうです。

当方の異業種交流会参加の体験では、利害の「利」はつながっていたけど、それが「害」に感じていた…と。だから人と人との(長きにわたる)つながりにはなり得なかったのか、と、理解できました。

これが人生で生まれて初めてであり現時点では最後の異業種交流会(ネットワーキングイベント)への参加。相手をどう利用するか。どうしたら自分にプラスになるか。こうやって考えて人脈をつくろうとしちゃダメなんですね。そりゃそうだ。


勝手流な人脈のつくり方を考える

人の役に立てるように自分を成長させる。そして本当に人の役に立つ。相互に「利」があることが人脈となるための必要条件ではないか、と思っています。

ある出会いがきっかけになって、その人のお役に立てる何かをすること。そのうち先方からも助けていただけるようになれば、その助けに恩を返すために更なる自助努力をしながら、もっとお役に立てるような何かを返す。

このプロセスが繰り返されることで人脈の土台ができてくる。

時を経て、お互いがお互いの成長に貢献し続け、社会にもっとお役に立てる機会が多くなることで、これは人脈だったんだな、と感じるようになる。

人脈をつくるためには、相互の利の交換と自助努力が必要なのかと。

人脈をつくる要因は自分の内側にある。弛まぬ努力や心を磨きあげること。これによって人脈が育まれる。

自分自身の能力の限界による奉仕の限界もあるため、やっぱり人脈は量というよりも、相互に協力可能な限定されたつながりになってしまうとも思っています。

人生を地道にがんばろう、っと。

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