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第17章〜お客様だけを見ろ、再び世界へ越境しろ

組織崩壊を感じつつリソースがあった中での収穫物として、購入ランキング上位に日本人ではない名前の方が一定数いるというファクトの発見があった。取引情報を確認すると、いわゆる疑わしい取引や、偽物を売買しているような雰囲気でもない。なんならブランド品に混じって子供用品などを買っている人も混在している。はて、なぜ?まさか、やっぱり、怪しいのか!?

そのようなお客さまに対して、片っ端からプロファイリングとヒアリングをしていった。すると、海外から日本に留学していたり、仕事で来ている、日本語も話せるという人が多かった。海外から日本のような辺鄙な国に来て、独特な言語・日本語を習得し、マイノリティの立場で日々働いている人を、僕は心底尊敬している。僕だったらできない。話を聞くと故郷では超エリートで裕福な彼らだが、日本ではなかなか希望の職業や理解のある会社で働く機会を得られないようだった。また、各自が当たり前に複数のビジネスを持ち収益を稼いでいるらしかった。さらに故郷の国では友達がめちゃくちゃ多い人が多く、FacebookやWeChatなどで未だに故郷のたくさんの友達と繋がっている。彼らは日本のリユース文化が素晴らしいということに気づき、日本の中古のブランド品やブランド古着がとても大切にメンテナンスされていることを知っていた。そんな彼らがスマオクで安くブランド品を購入し、中古でも一流の服を着るという欲を満たしつつ(実際にお会いした方は、とてもオシャレだった)、一部の人はこれはビジネスになる、と考え、FacebookやWeChatで故郷の国の"友達(フォロワー)"に商品を越境販売することで生活費の足しにしていることが判明した

熱狂的なお客さまと向き合ったこのリサーチが、会社の運命を変えた。

起業初期に世界展開を目指して開発したものの、ピボットすることになったクラシファイドサービスWishScopeで、南アフリカの人がイギリスからジョージ・コックスのラバーソールを買って無事に届いた取引で、大興奮したのを思い出した。1周回って今ならグローバルなサービスに進化させられるのではないか。今回は自分たちの理想から作るのではなく、明確なお客さまにニーズが顕在化していた。

僕たちは、スマオクを国内の底辺フリマアプリではなく、唯一無二の越境フリマアプリに進化していく方針の検討を開始した。

国内在住の外国人には受け入れられたものの、本当に海外でニーズがあるのかはわからなかったため、海外リサーチを行うことにした。どこかの資料を漁って全体感を理解することもしてみたが、誰でも知っている情報に価値なんてない。そこはスタートアップが攻めるポイントじゃない。実際、現地に行って僕たちしか知り得ない1次情報を集めるしかなかった。

台湾・香港・シンガポール・マレーシア・インドネシアを超短期間(たしか2週間弱?)、予算12万円で見てくるという、強行突破!地獄の現地視察ツアーを行った。飛行機は全部LCC、宿はバックパッカー向けゲストハウスだ。社長なのに、バックパッカーの学生と同じような旅程だった。

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幸いなことに、リード投資家だったサイバーエージェント・キャピタルは東南アジア各地に拠点があり、現地での調査やヒアリング、大企業キーマンとの打ち合わせ、現地でC2Cやフリマアプリを展開している起業家紹介(この繋がりが後にメルカリで活かされる)など、全力で支援いただいた。また米国VCのアジア部門も、中国でWeibo等のキーマンとマッチングさせてくれた。このサポートは大変助かった。実際に現地で話を聞く度に、チャンスしかないと実感した。1次情報は現場にしかない。コンサルタントと起業家の違いは、この1次情報を現場に潜り込んで取りにいく行動力だと思う。

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海外視察から戻り、会社の全てを越境EC化に集中する大きな意思決定をした。しかしマーケティングを考えると潤沢な資金があるわけではない。そのためには、EC事業や営業を縮小化し、限られたリソースを越境ECの開発に当てて勝負する必要がある。実はここが一番ハードシングスだったかもしれない。不器用な組織状況だったとはいえ個性的なメンバーとはランチしたり飲み会したり、仲間意識が芽生えている。全く違う業界から飛び込んできてCSから正社員に急成長していたメンバーもいた。未経験からライターとして育った人もいた。営業のプロとして上場を経験したあと、もう一度スタートアップで挑戦したいと腹を決めて来てくれた人もいた。しかし、全員を次のステージには連れていけず、トップ方針が変わったことでもっと自分を活かせる場所へと去っていった)。スタートアップを経営していて一番嬉しいのは、仲間が採用できて一緒に働き始めた時、逆に一番悲しいのは、その仲間が去ってしまう時。残ったメンバー全員は悲しみを背負ったけど、背水の陣で目の前のチャンスを掴もうと必死だった。

この頃、仕事としてはようやく見えたチャンスに興奮しつつも、組織で精神的にかなりまいっていたのか、自宅に深夜帰ると、YoutubeでミュージシャンのMusic Videoを観ながら毎晩酒を飲んで寝おちするというダメな34歳独身男性状態だった。ニルヴァーナ、マイケル・ジャクソン、ブライアン・ジョーンズ、尾崎豊、hide、フジファブリックなどを好んでストロングゼロを相棒に深夜までヘッドフォンで爆音視聴していた。ある日友達が遊びに来て、いつもどおりお気に入りのYoutubeリストを流しつつお酒を楽しんでいたら「このミュージシャンの選定...daisaku氏大丈夫?病んでない?」と突っ込まれて、我に返った。アカン、完全に危なかった。(その後、今の奥さんに出会い励まされ、厚生した。本当にありがとう)

そんな傷みを伴いながら、2〜3ヶ月程度かけてプロダクトの進化が完了し、越境フリマアプリとしてのβ版公開にたどり着くことができた


次回、第18章〜PMFの達成とグロースの限界
おもしろカッコイイぜ!

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