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第13章〜古物商とフラッシュオークション

スマオクは売上がすぐ立つということもあり、広告を少しずつ回してGMVがどうなるかを見ていった。しかし、またもや資金が足りない。どうやって独自の価値を作っていくか、悩んだ。

とりあえずピボット達成ということで、サイバーエージェント・ベンチャーズの田島さん(現ジェネシアベンチャーズCEO)が、追加で数千万円の増資を決めてくれた。そしてここで運命的な出会い。KDDI∞Laboのメンターとして参加していた千葉功太郎さんがエンジェルで参加してくれることになった。千葉さんとの出会いは、後に千葉道場という大きなムーブメントに繋がっていく。また、過去の反省を踏まえて広告でもグロースさせていくということで、大手広告代理店アドウェイズ様も出資してくれて、数千万円を集めることができた。しかしピボットの代償として、これまで普通株で発行してきたが、今回から優先株というリード投資家からの条件を飲むことになった。IPO時は問題になることは少ないが、M&Aを選んだ場合に、売却資金が優先的に還元される株式だ。起業家と投資家の契約というのはいつでも難しいものだが、「お互いフェアである落とし所」が大事だと思う。ピボットした責任を一定経営側でとる形となったが、強力な応援団も増え、また挑戦を続けられる体制が整った。

時はフリマアプリ戦国時代。気がつけばフリル・メルカリだけではなく、サイバーエージェント、LINE、ヤフー、BUYMAなど大手もフリマアプリに参入してきた。ちなみにCA、Y!、BUYMAでフリマアプリを担当していた人物は、その後メルカリで重要なポジションを担っていく形となり、メルカリは人材のブラックホールと呼ばれた(CM: 現在、メルカリ経営戦略室では拡大に伴い幹部候補を採用中です。今すぐ僕とカジュアル面談!)。ブランド品に特化したランチェスター戦略をとっていたが、さらに工夫していかないと、資金力で勝負しては勝てない。戦いを略す=戦略。大手とは異なる勝ち方を模索した。

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KDDI∞Labo経由で、競合であるモバオクさんと何かできないか、という話になった。最初は競合との業務提携はありえない、騙されてる、と考えていたが、実はお互いのニーズが合致していた。僕たちとしては取引手数料10%をいただくモデルで、モバオクに長年出品している良質な出品ユーザーとブランド品の出品がほしい。モバオクはビジネスモデルが月額課金で販売手数料は当時0円だった。スマオクが伸びて、連携で流れてきたフレッシュな新規ユーザーがモバオクの有料会員登録をすれば良いし、モバオクはブランド品以外もなんでも出品できるという形だった。現モバオク社長の生田目氏が「いやーDeNAもモバオクも、最近までベンチャーだったからよぉ!」とベンチャー愛があり、話が早く進んだ。当然僕たちとしては、モバオク→スマオクの流入のほうが絶対に多いと算段していたが、彼らは逆を考えていたに違いないw。モバオクは当時DeNAが運営しており開発は早かった。結果は悪くなく、しばらく継続していた

競合がやっていなかったメディア連携も強化した。オークファン、ECナビ、ターゲットが使っていそうなカメラアプリやツール系アプリなどにトラッキング可能な広告を提供し、売上の一部をレベニューシェアで返す仕組みだ。流入メディア経由のLTVを図ることで有料な顧客を獲得することはできたが、規模を出すことは難しかった

フリマはお店屋さんごっこで、値引き交渉のコミュニケーションを楽しむものだったが、ブランド品という特性上、換金性が高く、すぐにお金にしたいというニーズが強いことが分かってきた。圧倒的な差別化が必要だと考えた我々は、ヤフオクで1円オークションというものが根強く人気だったニーズをスマホで再解釈し、1円スタート、1分勝負で100%売り切れる超時短オークション、フラッシュオークションという仕組みを発明した。

毎晩9時にスタート。プッシュ通知を飛ばし集客することで、WebSocketベースのリアルタイム通信で本当のオークションのような体験を作ることができた。

はじめて登録したユーザーが、この機能に魅力を感じて他のフリマアプリと異なる価値を感じてくれないと生き残れない。機能はできたが、肝心のコンテンツ=アプリを開いた時に最初に目に飛び込んでくる画面に並んでいる商品がショボいと、離脱してしまう。では自分たちで商品を買ってきて並べればよいかというと、在庫を持って仕入れを行い、毎日出品作業を行って売上管理をしていくことになれば、それはもうCtoCフリマアプリ事業ではなく、立派なBtoCのEC事業だ。これはやるかやらないか相当悩んだ。新卒の会社で、CTOのノブさんとモバイルECの黎明期にECをゼロから立ち上げたことがあったが、在庫管理、発送管理などがネット企業のひ弱な僕たちには辛すぎて、今後絶対にECだけはやりたくない!デジコン・ソフトウェア最高!と心に決めていたのだった。

しかしお客さんの熱狂的な入札バトルを見たり、熾烈を極めてきた競合との差別化を考えると、ECに着手せざるを得ないと判断した。ブランド品業界の人が商品を仕入れている、いわゆるプロのためのオークション、古物市場というものに足を運ぶようになった。

リユース買取ショップは街なかにお店を構えて、街の人から商品を買取る。買い取った商品はそのままお店に並べることもあるが、買取したお客さんが売値を見てしまうことがあったり、お付き合いで買い取ったものの、数ヶ月売れずに残ってしまう商品は必ず発生する。そのような商品を業者向けに再販する場所として、古物市場、いわゆるリアルな業者オークションというものが日本には相当数がある。マグロの競りをイメージしてもらえるとわかるかもしれないが、1日に数千もの商品が競りにかけられる。1商品が数秒で売れていく正にプロ同士の競り場だ。会場には古物商を持った業者のみが参加でき、多くは招待制で閉鎖的と言うかローカルルールがめちゃくちゃ強い。新参者にはとても厳しい市場が多く、僕たちは当然コネクションもなかったので、末端席からのスタートだ。みんな顔見知りだったりするので、市場によっては、カモが現れると巧妙なチームワークで高値で掴まされたりする。一番高値で入札しているのに実績がないと無視されることもザラ。いわゆる職人の世界で、良い商品を仕入れるには、長年通って、痛みを経て、プロに認めてもらい仲間にしていただく必要がある、厳しい業界だった

しかし光明はあった。スマオクのお客さまは20代、30代の若い女性が多く、彼女たちは当時、コーチ、クロエ、マークジェイコブス等、中堅どころのブランド品を好んでいた。しかし古物市場のプロからすると、ルイヴィトンやエルメスなどは欲しいが、そのようなブランドは流行り物で邪道。一定の数があるものの入札が安値だったり、単体では値段がつかず、抱合せ販売になっていたりした。市場価格の歪みがそこにあった。僕たちはそのようなプロから見るとダメなブランドを率先して入札して買った。ネット業界と異なるヤンチャな職人のコミュニティだ。「おい、バカがいるぞ!」的に笑われたりもしたが、僕たち的にはスマオクで一瞬で黒字化できる商品だし、何よりもお客さまが欲しがっていた商品だったのだ。参加初期はまだヤフオク・楽天がメインで、フリマアプリで販売している話はほとんど聞かなかった。そのようにゴミといわれるが実は人気な商品を買い続けて信用を貯めていくと、業者の方も不思議がって飲みに誘ってくれたり、お店に招待してくれるようになり、業界のことを深く勉強することができた

EC運用がはじまったが倉庫を借りる余裕がなかったので、オフィス内に商品在庫の中古のバッグや洋服が山積みになる。結構、臭うし、ほこりっぽい。急にアナログな会社の雰囲気になった。マンションオフィスは限界まで狭くなり、20畳+5畳の部屋に12人くらいで作業しているぎゅうぎゅう詰め状態になった。お風呂場が唯一空いていたので、そこを撮影スタジオにしたこともあったくらいだ(光がいい感じになってオススメ!w)

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次回、第14章〜千葉道場と海外VC
見ないとタイホなのだ。

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