人生の評価は葬式で ~後編~
前編はこちら
アドベントカレンダー2022の企画として、書いています。
人生の意味を自由に決めていいのなら、
僕は「後世の人につながる生き方をしたい」と思いました。
の、続きです。
僕は、脳死は死だと思っています。
考えることができることが、生きていることであると思っているからです。
だからもちろん、肉体として死んだら、考えられないので死です。
20代後半は、このことから、「死んだらどうせなんにもなくなるのに、なんで俺は頑張るんだ・・・?」と考えることが多かったです。
どれだけ成功できたとしても。どれだけ幸せになったとしても。
自分が死んだらそれでおしまい。意味ないじゃん。
と考えましたが、そこには、そんなことを考えることができている自分がいます。まずもって、そのことに有難さを感じています。(明日の食事に困らない。生活に困らない状況についてです。本能レベルで生死関わる問題に直面していないからこそ、"生きる意味"を考える余地があると思っています。)
このような自分は、たくさんの人のおかげで存在しています。
影響を受けて、考えて、また影響を受けて考える。
その繰り返しの中で、自分がいます。
これは全員同じなんだと思いました。
僕が、いろんな人のおかげで苦悩に向き合えたように、
僕は、自分の後の世の人の苦悩に対して、一助になれる存在でありたいと思いました。
身近な存在では子供や孫。そのひとつ外には、仕事やプライベートでつながっている次世代の方々がいます。
"その人"は、いずれも、多かれ少なかれ葛藤して、苦しみながら生きることでしょう。
僕がそうであったように。みんなそうであるように。
後世の人が、葛藤したり苦しんだりした時に、自分が発した言葉や行動が支えになったらうれしいと思っています。
自分がつくった環境やつないだ人がきっかけで、光が見えてくれたらうれしいと思います。
だけど、そのような発言や行動より、圧倒的にインパクトがあると思っているのが、自分の葬式の時だと思っています。
子どもや孫が、無事に生きていてくれたら、僕の葬式の時には家族として並んでいることでしょう。
その列に向かって挨拶される参列者の方々。
この方たちが、子どもや孫に対して、僕のことをなんて伝えるのか。
どんな話をされるのか。
それが、僕の人生の評価だと思っています。
僕の葬式で、わが子や孫は、考えるでしょう。
自分の人生について。
参列されている方同士も、考えるかもしれません。
その時再会する人がいて、そこからまた新たなひろがりができたらうれしかったりします。
僕の人生は、僕が死んだら終わりです。
だから僕は、人生の意味が見いだせなかった。(いくつかの言葉にはしていたけど、言葉を並べていただけ。)
だけどここ数年、前編で書いたプロセスを経て、自由に決めていいと腹落ちして、ようやく受け入れられる言葉にできた。
後世の人のために生きたいと思ったわけです。
自分の人生が終わっても、自分の生き方が他者に影響を与え、その後もつながっていくことがわかったからです。
人は誰しも、つらい苦しい時があるけど、その時に支えになるのは、他者の生き方や言葉だと思っていて、そのひとつに自分もなれたらうれしいと思っています。
あなたにとっての生きる意味はなんでしょうか?
自分の心に聞いて、出てきた言葉から、一度定めてみてください。
変わったっていいですし、変わってしかるべきです。
時勢がありますし、自身のライフステージも変わりますので。
これでおしまいとします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
いずれ、このテーマで書きたいと思っていたので、アドベントカレンダーのお話をいただけたおかげで、よい機会になりました。
ありがとうございました(^^)
以下、この記事に関して、僕が影響を受けた本と映画を1つずつ載せます。
●本:後世への最大遺物
●映画:ビックフィッシュ
父の葬式のシーン。息子の表情を見て、葬式で評価される(評価が変わる)んだと思いました。(多少のネタバレご勘弁ください。)