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私にあるものしか出せない

最近、曲を作ろうとしている。

一歩一歩。一歩進んで休んだり、ニ歩進んで三歩下がったりしている。

きっかけは、うりもさんのこの企画で、ようやく歌詞と、大まかではあるけれどメロディとコードの流れが出来てきたところ。


しかし頭の中では、
「このメロディは、私がどこかで聞いた誰かの曲(つまりパクリ)なんではないか」
「このコード進行は、私は何をやってもこれしか作れないんではないだろうか」と、常にリトルな自分が疑っている。


幾ら、仕事として子どもに音楽を教える、ということをしていても。音楽に触れていた期間が、他の人より多少長かかったとしても。作曲なんてほとんどしたことがなかった。



教育学部時代。大学の音楽科「作曲」の授業で、カノンの基礎を学び、作曲するという課題があった。

カノン。パッヘルベルのカノンは、多くの人がご存知かも知れない。他のクラシック曲に詳しくなくてもこのカノンは大好きという方も沢山いることと思う。

でもこの時のカノンは、パッヘルベルが作ったあの美しく穏やかな曲のことを指しているのではなく、〝カノン〟と呼ばれる音楽、つまり、
「音楽用語。〝規範〟を意味するギリシア語に由来し、もっとも厳格な模倣対位法様式による作曲技法をさす」お勉強だった。(日本大百科全書による)

もっとも厳格な模範対位法様式による技法、ですよ‥?

クラシック音楽を中心とした、大学の講義で学ぶ作曲の技法には、あれやこれや覚えなければいけない決まりや、逆に言うと和声の基本として、あれはダメこれもダメ、この進行は禁じ手だ、などなど、楽典の基本のルールが山のようにある。
当時の私には理解できない、決まり事の数々。

理解できない、は言い過ぎたかも知れない、
それはそれで一つの学問であり、そういう音楽の世界だから。それを必要とする人だって、そこを学ぶことで得るものだってもちろんあるはずだ。

ただ、私が得たのは、
ご自身も多くの曲を作られて本も出されている教授から、「君の作ったのは‥カノンじゃなくて、カノ、だね!いや、カ かも知れない。」という評価と、
ルールにのっとって作らなくちゃいけない作曲なんて、面白くないし、私には向いていないという、極めて浅く単純な感想だった。


先生は、決して不出来な学生をバカにするつもりではなく、四苦八苦して課題を出す様子を見て、何とかして面白いことを言ってくれた‥のだと思う。
いや、言ってくれたと言うよりも、課題を見て思わず出てきた感想に、ご自分で受けてご自分で笑ってらした。
私は、‥私も笑うしかなかった。すいませんね。ところでカノってだれやねん。


そんな訳で、作曲については、楽しむどころか学問の入り口で終わってしまった。


もし私に、もっと作曲への興味があれば。音楽を作る意欲があれば。
学校の授業など関係なしに、楽器をかき鳴らし、内側から出てくるものをオリジナルの音楽に換えて、もっと、弾いたり歌ったり人に聴いてもらったりしていたんだろうけれど。
残念ながら私にはその才能もエネルギーもなかった。仕事で、必要に迫られて楽譜の移調をしたり、合唱や合奏用へのアレンジをしたりしたことはあっても、作曲をするということはついぞないまま、ここまできたのだ。


そして冒頭へ。

頭に浮かんだメロディを歌ってみる。
言葉をあてはめてみる。

この作業は、割とすんなりできた。
普段から、子どもたちと一緒に歌を歌ってきたり、耳に残るTVの CMソングを歌ったり、そこにボーイズの名前を入れて替え歌にしてみたり、普段からそれにちかいことをいろいろやっているからかも知れない。


歌詞とメロディをつける順番は、前後したり、やってみてからまた変更したりと様々だ。
でも、やっぱり私は、音楽先行ではなく言葉先行、歌詞が生まれてからそこに合うメロディがついてくるように思う。(松本さんが音楽を作り、そこに稲葉さんが歌詞をのせる、これってすごいことなんだなと改めて思った。話が逸れましたが。)

お皿を洗いながら、
洗濯物を干しながら、
お風呂に浸かりながら、
ふと旋律を口ずさんで、慌てて、メモに書きとめる。
メモを取れない時は、とりあえず何度も頭でリピートして、キッチンに駆け戻り(キッチンに手帳が置いてある)ドレミ‥でメモしておく。
我ながらアナログだと思う。でも、この段階ではまだ鼻歌でも録らない。ピアノも触らない。忘れたら、それまでだったんだと思って諦める。

アナログなメモで残された旋律を、時間をおいてまた見返した時、リズムが変わることもあるし、変わらないこともある。別のメロディが浮かぶこともあるので、それをまたドレミで書きとる。

そうやって、少しずつかたまりを繋いでいって、繋げていって、一曲になりかけているのに、
「あれ、これってあの曲に似てるんじゃないだろうか」
「あれ、これってあの伴奏のまんまじゃないだろうか」

冒頭へ戻ってゆくのだ。

でも。
でも、である。
私たちがよく耳にしているアーティストだって、
もっと広げて言うならバッハだってベートーヴェンだって、
聞けば、あ、◯◯の音楽だなと分かる、その人の癖や特徴があるものだ。
メロディライン、コード進行に楽器の使い方。サビへのつなげ方‥

「カノ」以来、ほぼ初めて作曲しようとしている私が、自分の歌いやすい旋律や落ち着くコード進行になってしまうのは、仕方ないんじゃないか。
自分にそう言い聞かせている。
もうしばらく頑張ります。
もし、表に出す時が来たら。私が気づいていないけどどこかの曲のパクリだったら。大きな声で私に教えてくださいね。穴に入って一からやり直します。

お芝居で大変お世話になった、劇中歌の作曲とピアノを担当してくださったS先生に、もしかしたら今度、作曲をすることになるかも知れないのだけれど、作曲ってどうしているんですか、と聞いてみた。

S先生は、
「ぼくは、詩を先にもらう。何度もそれを読む。何度も読んでいるうちに、ことばにメロディがついてくる。違うな、と思って作り直すときもあるけれど、そのうちに、こうだ、と自然とぴったりするメロディが見つかる。だから、ぼくの場合歌詞が先です」とおっしゃった。

また、S先生は、こうも言った。

「ぼくも、いつもYOASOBIだとか、ヒゲダンだとか、新しい音楽を聞いては、この人たちはすごいなぁ、こんな音楽を作ってみたい、と思う。でも、自分にはこういう音楽は出来ないなぁ、どうやったらいいんだろうとも思う。

でも、結局人は、今自分が持っているもの しかできない。今まで自分がやってきたことしか使えない。だから、今、自分ができることをやるしかない。今自分が持っているもので、何が作れるのか、一生懸命考えてやる。そしてまた、新しいものを聞いて、刺激を受ける。その繰り返し。」

いつか、声優であり俳優でもある津田健次郎さんも、同じことを言っていた。
「声に人生がのる。結局、自分の中にあるものしか(表現に)出せない」


あんなすごいクリエイティブな人たちでさえ、そうなのだから。

私に出せるものって何だ。
やってみるしかない。


本番は夏、でも、曲の披露はその手前になる予定。
とりあえずそれまでの、現状と、作曲への振り返りと、決意確認でした。うりもさん、もう少し待ってくださいね。


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