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パレスチナ人青年(Amnesty International スタッフ)、イスラエルによる東エルサレムへの移動制限のため、母親の最期すら看取れず。

今日は投稿するつもりはありませんでしたが、昨日の投稿に関連し、悲しい事実を知ったため、短めにでも投稿します。上に掲げた写真は、昨日の投稿のタイトルに添える写真としても使いました。この写真の右側に写っているのは Amnesty International のパレスチナ人スタッフ(The Israel and Palestine campaigner)である Laith Abu Zeyad さん、そしてその左で彼に寄り添って微笑んでいるのは彼の母親です。母親はがんを患い、イスラエルが違法占領を続ける東エルサレムの病院で抗がん剤治療を受けてきましたが、1967年以来、半世紀以上にわたって東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区を違法に占領し続けているイスラエルの占領当局は、彼が、自宅から車でたった15分のところにある東エルサレムのその病院における母親の治療に付き添うことすら、認めてきませんでした。

悲しいことに、彼の母親が闘病の末、2日前に亡くなっていたことを知りました。以下の Amnesty International のツイートにある OPT とは Occupied Palestinian Territories の略ですが、もう少し正確に表現するなら、ILLEGALLY Occupied Palestinian Territories ということになります。

イスラエルの軍事占領当局は、占領地に住むパレスチナ人に対して、同じく違法占領地内の東エルサレムに対する移動を厳しく制限し、許可制をとっています。いかなる理由があっても、東エルサレム以外の場所に住んでいるパレスチナ人は、同地域内に入ることを希望しても、イスラエルの違法占領当局に申請して許可されない限り、その希望は叶いません。労働であれ、医療であれ、病院に入院している家族の見舞いであれ、域内に住んでいる家族や親族への訪問であれ、 あるいは宗教上の「聖地」訪問であれ、文化施設への訪問であれ、考古学的な遺跡の見学であれ、どんな理由があろうとも、イスラエルの違法占領当局から許可が出ない限り、占領地内の他の地域に住むパレスチナ人は東エルサレムに入ることができないのです。

一方、イスラエルが同じく1967年6月の「第三次中東戦争」での奇襲攻撃により獲得したガザ地区については、2005年に同地区からイスラエル人(ユダヤ人)の違法入植者と軍とを撤退させたものの、一方でその代わりにガザ地区の周囲を封鎖し、人や物資の出入りを厳しく制限してきました(建築資材、燃料、医薬品などの搬入に対する制限を含む)。2006年のガザ地区における選挙結果により、それまでの長年のイスラエルによる違法占領やパレスチナ人への人権弾圧が「生みの親」とも言える、イスラム原理主義の対イスラエル強硬派「ハマス」が同地区で政治的実権を握るようになると(ヨルダン川西岸地区で名ばかりの「自治」を担っているパレスチナ自治政府は PLO, ファタハが中心で民族主義的・世俗的つまり非宗教的な組織が中心)、イスラエルはガザ地区の封鎖をますます強化し、2008年以降、同地区には食料、燃料など生存に必要となる物資に関しても最低限の量しか搬入されないようになりました。ガザ地区は電気を使えるのも 1日 4時間程度というような劣悪な生活環境になっており、同地区は「世界最大のゲットー」「世界最大の強制収容所」とまで言われるようになっています。

イスラエル当局は完全封鎖するガザ地区に住む人間、すなわち同地区のパレスチナ人に対しても、域外への移動を厳しく制限しています。同地区に住むパレスチナ人のなかにも当然(上記のような劣悪な生活環境ですから住民が病気に罹る比率も高い可能性がありますが)がんを始めとする重病の患者がいるわけですが、同地区内の病院ではイスラエルによる度重なる爆撃で設備が破壊されていたり、あるいはそもそも電気が使える時間が非常に限られていたり、封鎖のために医薬品が圧倒的に不足しているといった条件下にあることから、とりわけ重病の場合、ガザ地区内で適切な治療を受けることは不可能です。

そうしたガザ地区内のパレスチナ人患者たちは、東エルサレム やその他のヨルダン川西岸地区内の街にある病院に入院して治療を受ける他ないわけですが、イスラエル当局は、このようなケースさえ、パレスチナ人の移動を許可制とし、且つ、ようやく許可しても、子どもの患者に対してすら、親などの家族の同伴を認めません。

パレスチナのガザ地区、東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区は、1967年6月のいわゆる「第三次中東戦争」の結果、エジプトのシナイ半島、シリアのゴラン高原(同高原総面積のうちの約 7割)とともに、イスラエルにより占領されましたが、その年の 11月22日に採択された国連安保理決議第242号は、イスラエルに対し、これら「第三次中東戦争」の占領地からの撤退を要請しています。うち、その後イスラエルが返還したのは、1978年のキャンプ・デービッド合意以降に順次エジプトに返還されたシナイ半島のみです。

イスラエルが、同国が違法に占領を続けるヨルダン川西岸地区や完全封鎖を続けるガザ地区に住むパレスチナ人の移動を厳しく制限し、病気の治療や、また家族の見舞い等をも妨げていることは、違法占領者イスラエルに関し「違法」は外して仮に「占領者」と形容したところで、占領者の国際法上の義務を果たしていないと言えます。治療の妨害を始め、こうしたイスラエル占領当局の行為は、国際人道法、戦時国際法、ジュネーブ諸条約などで禁止されている集団的懲罰(collective punishment)と言ってよいでしょう。

さて、昨日の投稿のなかでも紹介しましたが、ようやくのこと、国際刑事裁判所(ICC, International Criminal Court: オランダ・ハーグ)の検察官が、イスラエル当局による「戦争犯罪」についての調査を行なうとの声明を発表しました。以下にリンクを貼るのは、Jewish Voice for Peace(パレスチナ人の人権を擁護し、アメリカ合州国によるイスラエルのパレスチナ軍事占領やアパルトヘイト政策への支援を批判するユダヤ人団体)のインスタグラム 投稿、及び、Amnesty International の記事です。

以下の 4段落は、私が昨日の投稿のなかで書いた文章からの写しです。

パレスチナ問題を知る者からすれば、これまでにイスラエルの違法占領軍(少なくともイスラエルによる東エルサレム、ヨルダン川西岸地区の占領とガザ地区の封鎖は、1967年11月に採択された国連安保理決議第242号を含む数々の国連安保理決議並びに国連総会決議に違反しています、その意味でも国連安保理のたった 5つの常任理事国のひとつであるアメリカ合州国がそのイスラエル大使館を昨年テルアビヴからエルサレムに移転したことは極めてばかばかしい愚行ですが)に既に殺されてしまっている数え切れないほどの数のパレスチナ人たち、そしてイスラエルの占領当局によって既に破壊されてしまっている非常に多くのパレスチナ人の家々のこと、等々を考えれば「遅きに失した」感もありますが、しかし一方で、「何事も遅すぎるということはない」「正しいことを行なうのに遅すぎることはない」、It’s never too late to do the right thing とも言えます。

早くも、このことに関して、イスラエルの現首相 Benjamin Netanyahu などが、ICC は Anti-Semitic だ、などという的外れな抗議をしていますが、世界の200以上の国々のうちの1カ国に過ぎないイスラエルをその政策や行為をもって批判したり、あるいは政治思想のひとつであるシオニズムに対して批判を行なうことなどを、彼らはこれまでも闇雲に Anti-Semitic「反ユダヤ主義」だと非難して、封じ込めようとしてきました。

そもそもイスラエルによって人権を弾圧されてきた、パレスチナの土地において長年月生きてきた、且つ Semitic languages のひとつであるアラビア語を母語とするパレスチナ人も、 Semitic peoples のなかに含まれると言えますが、彼らの「イスラエル批判」封じの手法のこうした愚かさについては、また機会があったら、この note の場で書きたいと思います。

ここでは、さらにひとつだけ加えておきます。例えば世界の何処に住む人であれ、日本の国内政策や外交政策を批判しても、あるいは中華人民共和国のそれを批判しても、あるいはアメリカ合州国のそれを批判しても、そのことだけでその批判者が「反日分子」、あるいは「反中分子」、あるいは「反米分子」だなどと、レッテルを貼られる謂れはありません。イスラエル批判を全て「反ユダヤ主義」として片付けようとする彼らの幼稚な発想は、その幼稚さにおいて、例えば日本社会における「ネトウヨ」が、日本人や外国人による日本批判(主として日本政府の政策あるいは一部の日本人の行為などへの批判)に対して、「反日だ」「反日だ」と言って騒ぎ立てるのにすら、似ているものだと言えるでしょう。

今日の投稿は、このくらいにします。昨日の投稿では、今日書いたこと以外のパレスチナ/イスラエル問題にも触れています。ご覧になっていただければ幸いです。



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