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居場所のない男 ー The Beatles, John Lennon's "Nowhere Man" (拙訳)

タイトル上に載せたのは、昨日午前中、妻との日課ならぬ日曜課、地元の街中から行けるほぼ原生林の如く見える森の中を歩く 1時間半ほどの森林浴ウォーキング(細かいこと言うと折り返し地点の森林公園で休憩しているので実質歩いたのはそれよりちょっと短い)から帰り、自宅に入ろうとしたら家の前の花(ラベンダーのような色にも見えるがこれはラベンダーではない)にシジミチョウがとまって何やら花の蜜を吸っている様子だったところを、本人ならぬ本蝶の許可を得て(得たような気がする)撮影したもの。2020年8月9日昼の12時1分に撮影。

この写真は今日の投稿とは直接関係しない。たぶんしないと思う。しないんじゃないかな。ま、ちょっと覚悟はしておけ。なんだこりゃ、さだまさしの「関白宣言」かよ。だいたい俺はさだまさしのファン「なんか」(「なんか」すまんかな、ま、いいや)じゃないし、そもそもあの歌詞には、あれが仮にアイロニーだとしてもひくよ。しかし昔々の俺が若い頃あまりにヒットしていたので、どうにもこうにも頭にこびりついてるようで、嫌いな歌でもたま〜に口をついて出てくるようだ。

"Nowhere Man" 居場所のない男、前振り兼ねて、波長の合わない男

さて、例の如く脱線したけれど、僕は(「俺」から「僕」に変える、この後に掲載する、"Nowhere Man" を「僕」が訳した和訳詩の中の一人称に合わせただけ、日本語の一人称は色々あってどれを使うか迷い出すとけっこう面倒くさいけれど、とりあえずここから便宜的に「僕」)周囲の人と波長を合わせるのがどうも苦手なタイプの人間のようで、いや、よーだ、いやヨーダは「スター・ウォーズ」だった、ようで、というより、「ようで」どころか、実際にそういう人間だ。たぶん、ガキの頃からそう。周囲からも(わりと、もしくは、かなり)そう思われてきたのではないかと思う。とはいえ、子どもの頃を含め(さっき「ガキ」って書いたんだが)、友人、友だち、アミーゴというものがいなかったわけではなく、今もちゃんといる。「人並み」(って平均みたいな意味ね)と比べればかなり少ないと思うけれど。

で、こんなこと書き出すと、せっかくこの投稿を読んでくれた人がいても、この投稿に「いいね」(note では "Like" の直訳みたいな「スキ」という呼称なのはわかっているけれど、あの語感にはいまだ慣れない、以下、「いいね」と書くことにする)をしてくれない、という結果に終わる可能性があるような気がするが、つまり、書こうと思ったのは、note を見ていて、正直、(ゴーマンかましてよかですか? 小林よしのりは好きでも嫌いでもないけれど、彼の「戦争論」読んだよ、でもあれは嫌いな作品、「戦争」系の漫画ならば、なんと言っても山上たつひこ「光る風」と水木しげる「総員玉砕せよ!」が最高傑作ではなかろうか)とにかく、ゴーマンかましてよかですか? note を見ていると、しばしば、特に大したこと書いてるとは思えないような、あるいは特に面白いとも思えないような投稿に何十、時には三桁の「いいね」が付いていたり、その note アカウントに何十、時には三桁(もっとか?)の数のフォロワーが付いていたりするのを発見する。

ゴーマンかましてよかですか? いわゆる有名人の note アカウントによる投稿に多くの「いいね」が付いたり彼女もしくは彼に多くのフォロワーがいるのはある意味分かりやすいのだが、いわゆるセレブじゃない人の note アカウントの例となると、それで面白くもないのに沢山「いいね」が付いている例のことを言ってるわけだけれど、いや、なんでかね、と多少は思ったりする。

再び、ゴーマンかましてよかですか?  俺(ゴーマンかまし中なので一時的に「僕」を止めて「俺」にする)の投稿は多くの人がまだ知らないことだったりするけれども知ったら面白そうなもの、それから知ったらタメになりそうなもの(「タメになる」って随分と平たい言い方だな)、それから何だか真面目な意味はあんまりないかもしれないけれどナンセンスな面白さがあるな、的な、けっこう読めば面白いと思われる、いや俺はいまゴーマンかまし中なのだ、読めば面白いに違いない、面白いに決まっている投稿ばかりなのに、今のところ「いいね」は少ないし、フォロワーも少ない。

これはどうしてかなと真面目に考えたことはないけれど、一つには、俺はネット上の人脈がかなり貧弱だ。田舎の小中時代の同級生の友人はほぼネットやってないし、言えば、「剛、ネットなんてやり過ぎない方がいいぜ」と忠告してくれるタイプ(実際それはそうだと思う)。数年前、decades (とつぜん英語にしたのはこの表現の方が何となくボヤけた感じでここは便利なのだ)勤務した勤務先を辞めた後、そこで同僚だった人たちとはほぼ(というのは全てではないので)没交渉な生活を送ってきたから、俺ぐらいの世代にはありがちな「職場」系の人脈というのもほぼゼロに等しい。

そういうわけで、何か自分の投稿を宣伝する工夫というものをもっとしないとダメだなぁと思ってる。あ、そういや、上に書いた勤務先で俺は広報課長やったりしてたんだ。しかしその時代にいわゆる「過労死」街道まっしぐらしてしまって、以下、省略。まぁそんな人生だね、俺の少なくとも職業人生は。しかし人間が「生きる」ということは何も生業と共に「生きる」ということだけを意味しているのではないのであって、云々カンヌン。ま、いいか。

とりあえず、今日のこの投稿の「本題」とは関係ない内容の投稿なんだが(クロード・イーザリーについての投稿だけは多少は関係ある)、「もっと多くの人に読んでもらえたら嬉しいな」的投稿の最近のヤツのいくつかについて、本投稿の後段でリンク貼っておこうと思う。

とにかく、話を戻すと、僕は(ゴーマンかまし終わったので、ここから「俺」は止めて、とりあえず以下の和訳詩の中の一人称「僕」に変えることにする)周囲の人と波長を合わせるのがどうも苦手なタイプの人間であるのは間違いなく、かつ、当然といえば当然かもしれないが、周囲からも、わりと、もしくはかなり、そう見做されてきたタイプの人間ではないかと思っている。

で、そんな前振りのあとは、本当は、同じ John Lennon が作った歌でも、"Nowhere Man" よりも、"Strawberry Fields Forever" の歌とその歌詞を紹介した方が相応しいと思う。

"Strawberry Fields Forever" (拙訳、サワリのみね)

"Strawberry Fields Forever" も、かつて歌詞を日本語に訳したことがある。

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* 章見出しにある通りで「サワリ」のみなのだが, 一応は英語歌詞・原詞部分は削除し, 筆者による和訳(一部)のみ掲載する(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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僕の樹には誰もいないって思う
つまりそれが高いにしろ低いにしろ
誰も調子を合わせられるものじゃない
だけど大丈夫さ
それもそんなに悪くないって思うよ ...

いつも、いや時々、僕のことを思う
でもね、それも夢の世界だってわかってるよ
僕は思ってる、いや、つまりね、全て間違いなんだ
僕はどうにも調和してないみたいだな

いっしょに行かないかい?
ストロベリー・フィールズに行くところなんだ
リアルなものなんてない
思い悩むこともない
ストロベリー・フィールズ・フォエヴァー
ストロベリー・フィールズ・フォエヴァー
ストロベリー・フィールズ・フォエヴァー

クランベリーソース

そう、そうなんだけれども、今日は単に今日の気分で、"Strawberry Fields Forever" ではなくて、"Nowhere Man" の方にする。

"Strawberry Fields Forever" の歌と「拙訳」(ゴーマンかましてよかですか? いつも「拙訳」と書いているけれど、俺は実際のところは「拙訳」だとは思っていない、俺は「拙者」程度の人間で顔も「接写」されて鑑賞に値するほどの顔ではないが、俺が訳す英語の歌の和訳詩はいつもかなりいい出来だと思っている、ははは、笑、はははと書いたうえに笑と付けるとまるでトートロジー、違うか、笑)については、明日、あらためて投稿する、かもしれない。

本当に "Strawberry Fields Forever" の歌と「拙訳」ならぬ実は「良薬 口に苦し」というか「良訳」、要するに「素晴らしい訳」を明日投稿するかどうか、それは明日のこころだ、小沢昭一の小沢昭一的こころ、なんつって。これは特定のおっさん世代にしか通じない。

シジミチョウ、蜜を吸うの図(写真)

ようやく、"Nowhere Man" と「拙訳」を載せようと思うけれど、その前に、本投稿のタイトル上に掲載した写真の全体像(と言うと大袈裟だけど)と、もう 2枚、一緒に撮った、撮影時刻も同じく 2020年8月9日昼の 12時1分の写真、計 3枚、折角だから(つまり、上の方でゴーマンかまして角が立ったかもしれないので角を折って、なんだそりゃ)、以下に掲載しておきます。

その後で、"Nowhere Man" と「拙訳」。

画像1

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"Nowhere Man" (拙訳)

Nowhere Man ー The Beatles, from their sixth studio album "Rubber Soul," released on December 3, 1965, あ、俺、じゃなかった、僕が 5歳のときだね、written by John Lennon (born in Liverpool, England, as John Winston Lennon, on October 9, 1940 – killed in New York City, USA, as John Ono Lennon, on December 8, 1980)

*John Lennon は Winston というミドルネームが嫌いで(もしかして Winston Churchill が嫌いだったからかな)、Yoko Ono と知り合った後、申請して Ono というミドルネームを加え、自分では John Ono Lennon と名乗るようになったんだけど、公式には死ぬまで、いや死んでからも(アメリカ合州国で殺されてからも)、要するに「公式」には、John Winston Ono Lennon ということになっている。というのは、Fuckin' Kingdom の当局が法的に Winston というミドルネームを破棄することを認めていない為。

Nowhere Man 居場所のない男 

*以下、John Lennon が書いたオリジナルの歌詞と、今から17年前、2003年6月8日に僕が訳した和訳詩です。

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*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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彼には本当に居場所がない
どこにもない彼の土地に腰をおろして
誰のためでもない、どこにも有り得ない計画を練っているんだ

主義もないし見通しも立たない
自分がどこに向かっているのかだってわからない
だけど君や僕にちょっと似てる気もしないかい?

居場所のない男よ、聞いてくれ
わかってないんだよ、何を見失っているのかって
ノーウェアマンよ、世界は君の思いのままなんだぜ

彼は出来る限り何も見ないようにして
だけどただ見たいものには眼を開いて
ノーウェアマンよ、君には僕の姿は見えているのかい?

居場所のない男よ、心配はいらない
自分のペースでゆっくりやってくれ、焦ることはないんだ
他の誰かが手を貸してくれるまで放っておいたっていいんだ

主義もないし見通しも立たない
自分がどこに向かっているのかだってわからない
だけど君や僕にちょっと似てる気もしないかい?

居場所のない男よ、聞いてくれ
わかってないんだよ、何を見失っているのかって
ノーウェアマンよ、世界は君の思いのままなんだぜ

彼には本当に居場所がない
どこにもない彼の土地に腰をおろして
誰のためでもない、どこにも有り得ない計画を練っているんだ
誰のためでもない、どこにも有り得ない計画を練っているんだ
誰のためでもない、どこにもない計画をね

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ネット上ではここ。ただし、私が(突然ですが「私」にしておきましょうと思い、笑)2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第で文字化けします。

訳した時の日記

2003年 6月 8日(日)   NOWHERE MAN

風邪ひいてぼーっとしてる感じなのに、横になってる気もしない。だけど横になったりもする。まぁいいや。とにかくぼーっとするのにぼーっとしてる気になれない。ビートルズの NOWHERE MAN を訳しました。ジョンの曲です。居場所のない、行き場のみつからない男の話ですかね。

僕には家庭という素晴らしい居場所はあります。だけど正確に言えば、僕も妻も息子も、それぞれの人生を歩んでいて、その中で大きな場所を共有しているんだね。だから、それは本当に大事な場所だけど、それぞれの人生はそれだけで全てカバーできるものでないことも確か。まして息子はいつか巣立っていきます。人はそれぞれの居場所や行き場がほしい。それは 100パーセント自分以外の人と共有できる、というものじゃない、そういう種類のものだ。そりゃそうだよな。当り前か。人はみんな違うんだ。だから愛し合うこともできる。NOWHERE MAN, SOMETIME SOMEWHERE MAN .....

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ネット上ではここ。ただし、上にも書いたように(くどいな、別に口説いてるわけじゃない、笑)、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第で文字化けします。

もうちょっと多くの人に読んでほしいな投稿、最近の例

上の方で書いたように、いくつか、適当に見繕ってリンク貼っときます。

クロード・イーザリーは、少し "Nowhere Man", いや、というよりも、 "Strawberry Fields Forever" 的な人。だから、今日の投稿に多少、そしてたぶん明日の投稿にはそこそこ、関係がある。

その他、もうちょっと忍者ハットリくん、じゃなかった、リンク貼っとり、じゃなかった、リンク貼っときます。

他に色々あるんだけど、今日はあと一つだけにしようと。この投稿は、ゴーマンかましてよかですか?  とてもいい、もしくは面白い投稿ばかりなのに「いいね」(いわゆる「スキ」)数が少ない俺の投稿にしては「いいね」が 11 と多い方の、いまだ世間が礼讃しまくってるイスラエルの歴史家・哲学者ユヴァル・ノア・ハラリの「人類と新型コロナウイルスとの闘い」論考をガツンと批判した投稿。「いい」ところは認めつつ、「それ、おかしくね?」なところを指摘して、まぁ実際のところ、かな〜り真面目に、そして文体も真面目な文体だけにして、件の論考を批判した投稿です。


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