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パルテノン神殿で、靖国神社を釣る。

パルテノン神殿のこの 写真 を見てこの投稿に「スキ」する人には、昨日の靖国神社の写真を付けた投稿の 文章 も読んで、あの投稿に「スキ」してほしいなぁ。

まぁはっきり言って、当然ながら、この 2つに関係はないんだけれども。

3日前、8月11日の投稿で書いたけれど(今日の投稿の最後にリンクを貼っときます)、1983年4月から1984年2月にかけてバックパック担いで海外一人旅に出ていた。10ヶ月弱だから、さして長いわけではないけれど、海外放浪もどき。「もどき」というのは、いつ頃までに帰国するというイメージは持っていたから、それを放浪と言い切ることはできないだろうと。旅人の器は彼らと比ぶべくもないけれども、小「なんでも見てやろう」(小田実、読んだ)、小「全東洋街道」(藤原新也、読んだ)。自分の場合、ギリシャを発った後のトルコ以降が「東洋街道」一人旅。

アテナイ、アクロポリス、パルテノン神殿

イタリアをブリンディシの港からフェリーで発ってギリシャに入り、アテネに着いたのは 1983年7月11日。それまでの旅の疲れもあったし、またアテネの居心地の良さもあって、途中、地中海の島サントリーニでの 4泊5日を挟み、トルコのイスタンブールを目指してアテネを列車で発ったのは同年8月9日。細かい話だけれど、アテネには25日ほど滞在したことになる。

さて、このアテネ、紀元前の話だから奴隷制があったり、直接民主制といえども投票できたのは成人男性のアテナイ市民だけだったりと、現代の考え方からすれば当然のように限界があったわけだけれども、それでもアテナイ、現在のアテネは、人類史における民主主義の故郷みたいなところだと言えるのかもしれない。

パルテノン2

37年前に撮った写真はもうセピア色になっているというか何というか、流石にもうその時に自分がこの眼で見たアテナイ、アテネのアクロポリス、パルテノン神殿を再現できるようなものになっていないけれど、しかし兎に角、パルテノン神殿は雄大で、神殿の威厳と突き抜けるような青一色の空の眺めは、見事なものだった。荘厳で、迫力があった。

写真はわりとたくさん撮ったけれども、ケチなので(ただ面倒くさい)、今日のこの投稿では 2枚だけ。投稿のタイトル上に使った写真や上に載せた写真は、1983年7月13日に撮ったもの。アテネでは毎日そう感じていたように記憶しているものの、その日も暑かった。暑い熱い、夏の一日だった。

今日、2020年8月14日の我が街、北関東の地方都市も暑かったなぁ。暑い熱い、あづい一日。あんまり文章書く気が起こらないね。というわけで、これでもう終わりにする。

冒頭で書いた通り、言うまでもなく、紀元前5世紀に建設された古代ギリシャのパルテノン神殿と、「明治維新」後の1869年に東京招魂社として設立され、その10年後に現在の名前に改称された日本の靖国神社との間には、何の関係もない。全くない。当たり前田のクラッカー(特定世代にしか通じない)。

勿論そんなことは承知の上で言ってるんだけれども、上のパルテノン神殿の 写真 を見て、且つこの短文投稿を見て、この投稿に「スキ」する人には、昨日の靖国神社の写真を付けた投稿の 文章 も読んで(最低限、日本の排外主義者について書いた「付録」その 1 も読んで、ナンだったら、ってインドのパンのナンのことじゃないよ、なんだったらあの投稿のコメント欄にも目を通して)、それでもって、あの投稿にも「スキ」してほしいなぁ。まぁ無理強いはしないし、無理強いなどできないけれども。いやほんと、昨日の投稿、読んでほしいもんだなぁ。

な〜んて書くと、昨日の投稿にも今日の投稿にも、要するにそのどっちにも、「スキ」が入らなくなるのかもしれないね。ま、いいや。

靖国神社 (1869-1945-2001-2020) 〜 ネオナチまがいの排外主義者が首都で18万票を獲得する国 (2020)

付録:1983年から1984年にかけての「海外放浪」もどきの話、ちょっとだけよ(って加藤茶かよ、特定世代にしか通じない)


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