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映画

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映画のレヴュー的なものから、主題は別でも映画の話題が多少とも入っているものまで。
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1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

前説最初に念の為に書いておくと, この前文の下にある 本 note 目次つまり旅 note リンク に付いている, それぞれのタイトルには, 「(写真 .. 枚)」と書いてあったりなかったりするものがあるのだが, 後者であっても, すなわちそうした記載がなくとも, 殆どの note にそれぞれの土地で撮った写真は掲載してある。ではでは。 さて, 以下の前文は, 本 note を投稿する今日 2022年5月11日 から振り返ってのこと。本 note は随時更新していくので,

韓国 1984年1月の11日間 〜 1983年4月に日本を発ってから足掛け10ヶ月目, 全斗煥軍事独裁政権時代に旅した初めての韓国, 板門店も

1984年1月と言えば, 1980年5月の光州事件からまだ4年足らず。北はまだ金日成の時代。因みに日本のいわゆる「韓流」ブームの第一次の時期は2003年から翌年にかけて放映された「冬ソナ」が切っ掛けということになるが, 韓国ブームらしきものは実はそれ以前にもあった。1970年代後半には韓国の歌謡曲が流行った時期があったし, 1980年代に入ると, 歌謡の世界だけでなく文化全般から国情の広範囲にわたる関心が高まった時期があった。1984年には関川夏央の「ソウルの練習問題」がベス

タイ・バンコク 〜 1984年1月7-21日, 日本を発ってから約9ヶ月経過

タイトル写真は, 1984年1月19日のワット・プラケーオ(วัดพระแก้ว, Wat Phra Kaew; Temple of the Emerald Buddha, エメラルド寺院とも, しかし「ワット・プラケーオ」は本尊の名前が由来か; 寺院の正式名称は วัดพระศรีรัตนศาสดาราม, Wat Phra Sri Rattana Satsadaram, 日本語カタカナ表記としてはワット・プラシーラッタナサーサダーラーム)。カッコ長かったなぁ。 カッコマ

クリスマス 諸々 note 寄せ集め

おっと 失礼(笑)。タイトル写真の人は キリスト じゃなくて ブライアン さんでした! .. それはさておき, 自分のこれまでのクリスマス関連 note, 全部は無理だけど, ざくっと寄せ集め(わりと直接関連するものから単に「キリスト」繋がりのものまで)。 あ, 因みに煩いこと言うと, キリスト教的には今日 12月24日の日没から明日 12月25日の日没までが「クリスマス」ということになって, かつ「クリスマス・イヴ」とはクリスマスの前夜という意味ではなく「クリスマスの夜」

インドでは市井の人に「哲人」顔の人がいたりする 〜 デリー 1983年12月12日から25日

1983年4月26日に横浜港からのフェリーで当時のソ連を目指し日本を発ってから 7ヶ月半, インドでの 3箇所目の滞在地デリーには 2週間ほどいたことになるけれど, 38年前の「明日」, 1983年12月23日には デリーから日帰りの旅で タージ・マハル で有名な アグラ(アーグラ)にも行っている。タージ・マハル については, 明日(気分次第で明後日かも)別途 note 投稿するつもり。 1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン

Ol' '55 (Tom Waits) 〜 歌詞和訳

トム・ウェイツを初めて知ったのはわりと遅かった, ジム・ジャームッシュ監督映画「ダウン・バイ・ロー」(1986年)名前はそれ以前から耳にしていたけれど, 自分が初めてトム・ウェイツを意識したのは 1986年のたぶん12月。 以下の note 自体は 主として今世紀に入ってからの出来事を書いたものだけど, タイトル写真は, 1986年公開, 当時, 昔々の結婚前に妻と一緒に観た映画のワンシーンをキャプチャーしたもので, この映画のこともわりと紙幅ならぬ note 幅を割いて書

大学を訪ねたビルゼイト, ナブルス; 被占領地パレスチナ 〜 1983年10月12, 13日

1983年4月26日に日本を発って 9月28日からパレスチナ/イスラエル 〜 ここまでの振り返り 1983年4月26日に日本を発ってソ連・ヨーロッパ諸国, トルコ・シリア・ヨルダンを旅した後(そこまでの旅については以下 note *1 第3章にソ連・ヨーロッパ諸国旅リンク関連, 第2章にトルコ・シリア・ヨルダンそれぞれの旅 note リンク), 同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発ってヨルダン川を渡り, 1948年5月「建国」のイスラエルが 1967年6月の軍事侵

テルアヴィヴ/48イスラエル 〜 ディアスポラ博物館を訪ね, 街ではパレスチナ人達にも会い(1983年10月6日から翌7日)

ディアスポラディアスポラというのは民族離散を意味して, 語源を辿ると植物の種などが撒き散らされたものという意のギリシャ語に行き当たるらしい。そういえば我が家の小庭でも何処(いずこ)からか「風に吹かれて」(本 note 第6章)やってきた種のお陰で意外な花が咲くことがあって, ディアスポラの語源を想うと「うーむ, なるほど」という感あり。 ディアスポラが一番よく使われるのはユダヤ人に関するそれだが(今日の note の「ディアスポラ」博物館はテルアヴィヴ大学の構内にあるもので

ポール・サイモンの東京ドーム・ライヴを妻と観た 1991年10月12日 〜 というわけで 30周年

タイトルに使った写真は当日のステージを筆者が撮影した, ような類ではなくて, 当日会場で入手した当時のツアー Born at The Right Time Tour のパンフレットに掲載された写真からとったもの(多分ツアーのリハーサル時の写真)。あの日から18年後の2009年7月11日のサイモンとガーファンクルの東京ドームでのライヴには当時高校2年だった息子も一緒で, 妻子と3人で観に行ったけれど, 1991年10月12日のポール・サイモンの同じく東京ドームでのライヴの時は,

ハイファ(48イスラエル, 47イギリス委任統治領パレスチナ)への旅 〜 1983年10月4日

イスラエル国(1948年, 従前 約30年間「イギリス委任統治領パレスチナ」だったその域内に「建国」)の領内なのでその意味では単純に「イスラエル」と書いてもいいのだが, 1967年6月のイスラエルによる軍事侵攻以降 同年11月の国連安保理決議242号をはじめとする複数の安保理決議に逆らって既にこれまで半世紀以上の長きにわたりイスラエルが占領している土地(東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区, しかもイスラエルはその占領地内に国際法違反のイスラエル・ユダヤ人入植地を数多建設)や

ジェリコ, マサダ・死海; 1983年10月1,2日 〜 そして2021年のいま白昼堂々とパレスチナ人に対する民族浄化の行為を行なうイスラエル

1983年4月26日に日本を発って, 9月28日からパレスチナ/イスラエル 〜 ここまでの振り返り1983年4月26日に日本を発ってソ連・ヨーロッパ諸国, トルコ・シリア・ヨルダンを旅した後, 同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発ってヨルダン川を渡り, 1948年5月「建国」のイスラエルが 1967年6月の軍事侵攻以来, 同年11月の国連安保理決議の撤退要求に従わぬまま(2021年の現時点で既に54年間, 1983年当時は16年間)不当な軍事占領を続けているヨルダ

ペトラ遺跡(ヨルダン) - 1983年9月25,26日

タイトル写真は同年9月25日, 筆者撮影。両側の大きな岩の塊を抜けるとこれ。 この女性は筆者の知り合い ... だったような(笑)。 https://youtu.be/Dbm8ZxIy98I ♫ ではでは, 自分で撮った動画, じゃなくて 写真を。 ペトラ遺跡, 1983年9月25-26日(写真7枚 および 旅日記) 〜 流石に夜空の写真は撮れてないけれど, あの晩見た満天の星が, これまでの60年余の人生で見てきた星空のなかで正真正銘, 最も美しい星空だった! 以下の

シリア, ダマスカス 〜 括弧付きながら「平和」だった, 1983年9月12-19日

1983年4月26日に日本を発ち, ソ連・ヨーロッパ・トルコを旅した後, 9月5日からはシリア・アラブ共和国(アレッポ, パルミラ)ソ連・ヨーロッパ・トルコ 旅 notes に関しては, 以下リンク先 note *1 の最後から3番目の章 1983年4月26日に日本を発ってから, 初めてのアラブの国 シリア を訪れる前までの日々 (ソ連, ヨーロッパ, トルコ) にて。*1 はアレッポ 旅 note, *2, *3 はここでは脱線 notes(同年9月11日にシリアで23歳の

パルミラ(シリア, 古代ローマ帝国の都市遺跡) 〜 1983年9月11日(ISによる破壊の32年前)

写真は, 西暦紀元32年に建造され, 2000年近くこの姿を保ちながら, 今から6年前, 2015年に "宗教" 原理主義者 IS「イスラム国」がこの地域を制圧した際に破壊された, パルミラのベル神殿(1983年9月11日, 筆者撮影)。この写真を含む 1983年のパルミラの写真は 本 note 第2章にて。 謎の東洋人, パルミラに現わる1983年4月26日に「極東」日本を発った怪しげな東洋人(以下 note 1つ目タイトル写真の右から2番目!), 「現代」のシリア・