vol.1 yogaに出会ったきっかけ

24歳のとき初めてヨガのクラスに参加した。もし私の人生でどん底があるとしたら、まさに絶望の精神状態から少し回復した頃だった。

クラスの最後に行ったシャヴァーサナ(死体のポーズ)安心感に包まれて涙がツーっと流れたのを覚えている。

美容師とヘアメイクのアシスタントをしていた当時の私。美容学校を卒業して、念願の東京で働き、念願の一人暮らし。仕事に遊びにすべてが刺激的で、とにかく毎日むしゃらだった。初めての世界をみて、たくさん経験させてもらっていた。

でも月日を重ねるうちに、仕事の幅も変わり休みもなく、毎日を師匠と共にしていた日々に、どんどんと生活リズムが荒れていった。

夜遅く帰宅して、買ってきた2人前以上のご飯を食べていたことも、ストレスでお酒を飲み、タバコも吸っていた。毎月生理痛があるのが普通で、仕事中に痛くなったら困るからと薬を飲む。暗い夜に家へ帰り、明るくなる前の暗い時間にタクシーに乗る。

いつの間にか朝昼夜もわからなくて、記憶もないくらい。今ではとても考えられないような生活を送っていた。当時の部屋の荒れ方なんて、もう恐ろしいんじゃないかと笑えてくる。

師匠からは些細なことで怒られ、帰り道は何度何度も泣いて。今となっては、すべてが私に向けられた言葉でないと理解ができる。そして私がその状況を作っていたということも。

ただ当時の私にはそんな余裕など1mmもなく、どの言葉も凶器でしかなかった。プライドも切り裂かれた状態の私がどんなに生意気で反抗的な言葉を、自身も発していたのかと思うと想像しただけでこれまた大変恐ろしいものです。

環境や競争社会から自分を守るために、常に張り詰めていた。バリアを張らないとすぐに崩れてしまいそうで、どんどん壁を分厚くした。そのためにはとにかく頑張る。頑張るということを勘違いしていた私は、気がついた時には頑張りすぎていた。何のために仕事をしているのかもわからなくなっていた。それでも負けず嫌いな部分の私が毎日を必死にこなすことが精一杯だった。

周りの状況をよくみて行動しなさい。そう散々言われ、人の気持ちには敏感。それなのに、自分の気持ちは重い蓋をして、私の心と体から数々のサインにきづかないようにしていた。無視をして、押し込めた。

今思うと薄っぺらいプライド。まわりに公言してきた目標を見失うことへの恥ずかしさと、弱さがかっこ悪いと思っていたのだと思う。

そんな時、限界な体が高熱を出して休むように教えてくれた。この出来事がなかったら、私はどうなっていたのだろうとたまに思うことがある。

自分の身体に本当に感謝しています。だってね、高熱なのに一瞬どうにかして、仕事にいこうと頭によぎるくらい感覚がおかしかったから。

そこから1か月以上、親に助けを求め実家に帰り何もしていなかった記憶がある。家族やまわりの人たちからの優しい言葉、温かい手作りのご飯、安心する家。どれだけ救われたのだろう。

だんだん体調が落ち着いてきた後は、心の喪失感が残っていた。だからもう、笑ってしまうくらい気がすむまでとことん落ち込み続けた。

そんな暗い暗い自分に飽きた頃、体を動かしたくて始めたのがヨガ。

常に追い込み、自分に目を向けず厳しくしていた私。今まで自分の身体から感じたことのない安心感と、張り詰めていた私の心を少しずつ緩めてくれた。

その後もそんな自分のクセがすぐに取れた訳ではないけれど、この経験から自分に寄り添うことが始まった。

自分を大切にしていない時は、また教えられるかのように似たような体験もやってきた。

それでも今では、辛いとしていた過去の出来事も、私が人生で選択した経験の一つなのだということ。そう思えた瞬間、意味付けが変わっていった。

最大の変化は、今の私が当時の私を心から受け入れることができたこと。辛かったね、頑張ったね、と言ってあげられたこと。きっといつでもそんな自分からの言葉を私はずっと待っていたんだろうな。


Sari

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