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言語とは言葉だけのことじゃない

こんにちは、Pedroです。

本当にお久しぶりです。前回の投稿から半年以上経っているかと思います。
ということで新年あけましておめでとうございます。

一昨年の暮れは投稿をたくさんしていて、去年一年間はたくさんの投稿をしていこうと息巻いていましたが、結局投稿せず、、

じゃあ逆になぜ今頃になって戻ってきたのか。
それは今になって時間にすこし余裕ができたのと、考えたことをアウトプットしていく場がやはり欲しいと感じたからです。

現在午前4時で深夜というか早朝ですが、今日からまた最低でも2日に1本のペースくらいで書いていきたいと思います。内容が薄いものとか、日記スタイルのものが多くなるので、できれば毎日やりたいものです。

1月でやっていくスタイルを掴むことができたら、2月からはもう少しテーマを持ってやっていこうかなと思います。

それでは今日のテーマです。「言葉だけが言語じゃない」ということ。

以前から留学という背景もあって言語についての話はたくさんしてきました。

こんな感じで英語という言語について、外国語という言語について自分が感じたことをシェアしてきました。

さあ今回はその枠を英語というものに限定、一つの言語に限定せずに日常で感じたことのお話です。言語というかコミュニケーションのお話かもしれません。

言語とは

言語とは

音声や文字によって、人の意志・思想・感情などの情報を表現・伝達する、または受け入れ、理解するための約束・規則。また、その記号の体系。音声を媒介とするものを音声言語(話し言葉)、文字を媒介とするものを文字言語(書き言葉)、コンピューターなど機械を媒介とするものを機械言語・アセンブリ言語などという。

というものだとコトバンク先生がおっしゃってます。

要は他者との間で意思疎通を図るためのツールですよということです。

そこで正しく意思疎通が、正確に行われるために特定の言語を使って会話をするわけですね。日本人は母国語である日本語を使うことによって意思疎通を図っています。もちろんアメリカ人は英語、パソコンたちはプログラミング言語で会話をしています。

言葉だけが言語じゃない

このタイトルはどういうことでしょうか。

例えば手話みたいな動きで会話することを指すのでしょうか。
確かにそれも考え方の一つにはなるかと思いますが、今回私が言いたいのは、同じ言葉を使っていても言語として違うカテゴリーにいることがあるよ。ということです。

言語は意思疎通をするためのツールです。しかしそれが機能していないのことがあります。そんな言葉は言語と言えるのでしょうか。ただの発生音になってしまっています。

僕が言いたいことは、抽象語や指示語の捉え方が全く違う場合、会話が成立しないということ。

例えば、料理番組で、お塩を少々と言ったとします。料理界では親指と人差し指で掴んだ0.5gくらいのことを少々と言います。しかし素人の僕たちにはそれはわかりません。

あとでこれやっといてとお願いをした上司は、今日中にやることを想定しているし、会社にとってそれは常識かもしれませんが、新人にとってのあとでは1週間かもしれません。

こんなことが日常でも起きているし、様々なコミュニティで発生しています。

これが言葉だけが言語ではないということです。正確には言葉の種類のみが、言語の種類ではないということです。(また解釈の違いがここで生まれたかもしれませんね。)コミュニティの違いも尺度を変えるという意味では、意思疎通のツールとして別物になりますから、違う言語ということになります。

そんなことを日常の中でも思いながら、もっと正確に伝えたいなと思った僕です。。

英語は伝わることが大事と言いましたが、僕たちは日本語に関して言えばプロなので伝えるようにしていかないと、無駄な確認をしたり、認識の齟齬に驚いたり、イライラしたりしてしまうかもしれませんね。

その内容について書いた投稿はこちらです。是非読んでみてください。英語学習が少し楽になるかもしれません。

みなさんも伝えたいことが、他人との尺度の違いで伝わらなかった経験があるかと思います。コメントでシェアしてください。

それではまた、

電車賃に使わせていただきます。いろんな街を歩いてみたい。