人は見た目が100%

こんにちは、Pedroです。土曜日には読書の投稿を、と言っていたのですが、明日がTOEICの受験日ということもあり、まだ本を読めていません。。

来週は多分できると思うので、来週までお待ちください。。

ということで今日はBlogです。人は見た目が100%。こんな感じのドラマが1年くらい前にありましたよね?見てないので内容は知りませんが。

おそらくその内容は恋をする時の話だと思うのですが、今回はもっと広くその言葉を見ます。というか生活全てで。

我々の行動基準の90%くらいは見た目に左右されています。そんなことないと思うかもしれませんが、そうなんです。

だってスーツを着て、髪をセットして会社に行き、仕事中は姿勢をとか、だらしなくないようにとか。

就活のスーツもそうですよね。お洒落をする理由だって周りによく見て欲しいから。

僕たちは人にどう見られるかをすごく気にしながら生きています。そしてそれが息苦しいことを知っています。でもやっている。

だから人は見た目が100%なんです。

行動の本質はとても重要です。通勤であれば、どれだけストレスなく速く移動できるかが本質ですが、満員列車で、スーツを着て僕たちは移動をします。

それは、仕事は朝から始め、スーツを着てするものだと社会が求めているからです。確かにフレックス制で、出社が10時頃の方もいますし、それを画期的な方法として紹介される事はありますが、浸透はしない。

実務的な障害もありますが、仕事というのはそういうもんだと、社会が思っているからしょうがないですよね。

じゃあ変えるべきなのかという議論になりますが、僕のスタンスは、禁止的事項をなくすことがいいのかと思います。

人の脳というのは否定的な制限に対して敏感だと聞いたことがあります。

「〜しちゃダメ」ではなく「〜していこう」という方が脳にいいそうなんです。褒めて伸ばそうというのはここからかもしれませんが、規則もそうあるべきかと思います。

服装であれば、その時に適した格好をすること。ということでいいと思います。人と会うのなら相手に嫌な思いをさせない程度には気を付ける。オフィスだけの日は何を着てもいい。もちろんスーツでもいい。

多様化という流れ、自由にという流れがある中で、強制的にそちらに流そうとする動きがちらほらあるのではないかと思います。それでは多様化ではないですね。

見た目が100%が悪というようなスタンスに見えるかもしれませんが、よく見えた方がいいに決まってます。良い方が良い。僕のスタンスです。

ただそれが見た目というベクトル内でも本質的に良いのかという事は考えて見ると良いかもしれませんね。

どっちつかずのフワフワしたものになってしまいましたが今日はこの辺で。

それではまた、


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