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生成AIから考える芸術作品の鑑賞方法

はじめに

生成AIの普及に伴い、生成AIによる著作権侵害や生成AIによる創作物への否定が増えています。政府は著作権の改正に取り組んでいますが、対応が追いつかない状況が続いています。

この記事では、プリキュアのAI絵疑惑を例に取り上げ、生成AIによる創作物への否定について、実存主義の観点から考察します。そして、芸術作品の新たな鑑賞方法を提案します。

生成AIによる創作物への否定

まず、プリキュアのAI絵疑惑とは、プリキュアの公式が出したグッズの絵が生成AIにより作られたのではないかという疑惑です。この疑惑が生じた際、生成AIによる創作物への否定の意見が多く見られました。一般に、否定の理由としては次の2つが考えられます。

1つ目は、著作権侵害の疑いからです。類似性と依拠性のいずれでも侵害すると認められた場合、それは著作権侵害と判断されます(参考:文化庁の著作権セミナーの資料)。2つ目は、生成AIによる創作物を受け入れられないという理由です。今回のケースでは、プリキュア公式の企画だったため、後者が該当すると考えられます。

それでも、2つ目の理由について、自分個人としては怒りを感じるほどではありませんでした。しかし、クリエイターとして活動している友人と議論を交わす中で、感じ方には個々の違いがあることに気づきました。その違いとは、ビジネスと芸術の間での模倣に対する感覚の違いです。

ビジネスと芸術における模倣

ビジネスは、商品やサービスを顧客に提供し、その対価として利益を得る活動を指します。市場に受け入れられることが重要なため、既存のビジネスを模倣することはしばしば肯定的に捉えられます。例えば、フリマアプリにおいては、メルカリは先行するフリルを追い越すスピードで成長しました。このように、後発のサービスが市場を牽引する例は数多く存在します。

もちろん、特許権を侵害する場合は問題になりますが、特許法では「発明とは自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう」とされており、ビジネスモデルそのもので特許を取得するのは難しいとされています(参考:特許法)。したがって、ここでは特に考慮する必要はないと思われます。

一方で、芸術における模倣が受け入れられない理由は、芸術家のアイデンティティや作品のオリジナリティを損なう行為であるからと考えられます。プリキュアのAI絵疑惑の例では、プリキュアというキャラクターのオリジナリティが生成AIによる模倣により損なわれたとファンが感じた可能性があります。しかし、EDMのリミックス文化のように、模倣による付加価値があれば受け入れられる可能性もあります。

実存主義から再考するビジネスと芸術

実存と社会という対比は、ジャン=ポール・サルトルに代表される実存主義において見られます。実存主義では、個人の存在そのものに意味が宿るとされ、この存在を実存と呼びます。一方、社会は他者との関係性や多様な枠組みが存在し、これらが実存と関係することで形成されます。

ここで、実存主義からビジネスと芸術を再考します。ビジネスは、社会での存在意義が存在しなければ成り立たないため、社会により価値が定義されます。一方、芸術は実存を表現する手段として捉えられることが多いです。ただ、芸術家のアイデンティティが芸術作品の価値を形成する重要な要素であることから、実存と社会は切り離せないという点も特筆すべきです。

新たな芸術作品の鑑賞方法

芸術は社会と密接に関連しており、社会を強く反映した風刺画のような芸術が生まれています。このことから、芸術の実存の価値が社会と比較して弱まっているという危機感が生まれます。この芸術と社会との関連性により、鑑賞者は悩みを抱えるかもしれません。

そこで提案したい新しい鑑賞方法は、個人の実存ではなく芸術作品の実存に焦点を当てるものです。つまり、歌手ではなく歌、画家ではなく絵に焦点を当てて芸術作品を鑑賞するということです。背景が異なるものの、テクスト論の思想に近いとも言えます。

さらに、芸術作品の実存を価値と捉える鑑賞方法を採用することで、生成AIによる創作物も受け入れられる可能性があります。また、生成AIがこの鑑賞方法への転換の契機となる可能性があるとも言えます。

最後に

この記事を通して新たな芸術作品の鑑賞方法を会得できる方が一人でもいれば幸いです。また、自分の所属している会社では、生成AI領域でのビジネスを推進しています。そのため、趣味とビジネスの両方で今後も生成AIに注目しようと思います。最後に、議論を交わしてくれた友人に感謝の意を表します。

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