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生きづらくない人 第6回|遊亀山真照|この身体は、泡のようなものであり、永く存続することはない

 文殊は言いました。
「私の考えでは、すべての存在や現象において、言葉も思考も認識も問いも答えも、すべてから離れること、それが不二の法門に入ることだと思います」
 そして、文殊菩薩は維摩居士に尋ねました。
「私たちはそれぞれ自分の考えを述べました。あなたの番ですよ。維摩さん、あなたの不二の法門へはどのようにして入るとお考えでしょうか?」
 ところが……。
 維摩はただ黙ったままでひと言も発しませんでした。それを見た文殊菩薩は感嘆して言いました。
「すばらしい! ひと文字もひと言もないとは! これこそすべての境界が解体された世界です」
                        維摩経(ゆいまきょう)より

 維摩経は真照さんが、影響をもっとも受けている経典の一つ。維摩は家庭も持つ者で、いわゆる出家はしていない。維摩は俗世社会の歪みを吸って病気になった。
 釈迦は、維摩のお見舞いに行きなさいと、菩薩や有能な弟子たちに告げる。誰も、維摩に会いたがらない。菩薩や弟子たちは、かつて維摩に自分たちの信じる根本を否定されたことがあったからだ。どんなに完璧で正しい教えにも、角度を変えて見ると歪んだ世界が立ち現れる。
 ボランティアでゴミを拾うことは、尊い行為だと思う。ゴミを拾う内に、ゴミを捨てる人に腹が立ってきた。その怒りはやがて「ゴミを拾う人」と「ゴミを捨てる人」の対立に発展する。人と人が争うことが善行の目的ではない。無知の本性を具えていることにこそ、知があると維摩は説く。行動や考え方の違いで、人と人を分別や判別しないこと。誰も否定せずに、たった一人で黙々とゴミを拾うような人を維摩経は信じたのだろう。
 維摩は病気を演じていただけという説もある。維摩は別世界からやって来た人間ではない存在だった。別の層に生きるものは、たった一つに常識化されそうな現実にバグを入れる。この身体は、泡沫の塊のようなものであり、撫でさすることに耐えられない。この身体は、泡のようなものであり、永く存続することはない。と維摩は説く。

 真照さんは酎ハイ、ストロングZEROの缶をあけた。コップなみなみに氷を入れて、ストロングZEROの液体を注ぎ込んだ。ゴクリと喉に注ぎ込む。

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「仏教の教えに空病っていうのもあるんよ。空は〝あるけどない〟という実態が掴めないもので、そこに価値を見出すのが仏教の根本なんよ。だけど、仏教はそこも解体するんよ。仏教は究極の脱構築の教えやからね。根本にある、空すら否定する。空に囚われすぎたり、空による悟りばかりをひらこうとすると、結果は何も掴めないっていう話やね。何かになりきらない、どこかに属しきらない。おれ、この教えに気持ちがストンとしたんよ」

 彼の名前は遊亀山真照。真照さんは浄泉寺というお寺の住職。テンプル・プラネットという、超アバンギャルドな音楽ユニットをしている。通称テンプラは、尾道の香味喫茶ハライソのオーナー吉崎さんと真照さんの二人。吉崎さんはソリッドであり、泡のように境界が溶けそうなベースを奏でる。合わさるトラックは、躁気味だけど、透明な大地性もある奇妙な安定感がある。音に合わせて真照さんは踊る。倍音たっぷりで奇声を発する。ポータブルのCDプレイヤーをくり抜いて、頭にかぶる。

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 新婚さんの等身大の絵を段ボールで自作する。段ボールをくり抜き、そこから真照さんは顔を出す。ダンボールの花嫁花婿と踊る。ライブ中に次々と小道具が飛び出す。レーザービーム。出っ歯の入れ歯。鳥の着ぐるみ。ハリボテのような大仏。
 テンプラのパフォーマンスは、超不自然なガジェットと、原始的な大自然を分けることなく包み込む。

「おれコーラのイッキ飲み得意なんよ!」
 ぼくはテンプラとコラボしたことがある。その打ち合わせのときに、真照さんはやたらコーラのイッキ飲みを自慢した。本番でやったのだが、見事な大失敗だった。うふふ。
 真照さんがコーラのイッキ飲みを成功したら、ぼくのクラウドファンディングが成功するっていう、祈祷パフォーマンスだったと思う。玉汗をかいて踊り、奇声を発する。そのあと、コーラのペットボトルを口に含んだ瞬間に吹き出した。薄暗いオレンジ色の照明。逆光で宙に舞う、コーラの飛沫。ぼくはあの光景を忘れられない。テンプラはコアな音楽と笑いに満ちている。吉崎さんは内的な何かに向かって。真照さんは外的な世界に向かって放っている。それが音なのか、波動なのか、ぼくにはわからない。テンプラには意味を越えて、体に直撃する大きな感動がある。

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「袈裟を着ることに、子どものときからすごく葛藤があった。お坊さんの格好してバンド活動するのには抵抗があったんよ。一部の人だけど、仏教を利用して自己アピールの道具にしてるのが目についてしまって...…。純粋な気持ちで、やってる人がほとんどなんだろうけど。テンプラではお坊さんの要素を極力、排除してるんよね」
 確かにテンプラの活動はどこにも属さない。ぼくはテンプラのことを、一言で言葉にできない。安易な売りの言葉が見つからないからこそ、テンプラは魅力に溢れているのだと思う。

泥のなかから蓮が咲く。それをするのは蓮じゃない。卵のなかから鶏が出る。 それをするのは鶏じゃない。それに私は気がついた。それも私のせいじゃない。      金子みすゞ「蓮と鶏」より

「自分の意思でコントロールしているようで、じつは目に見えない大きなうねりのなかで生きているんだということ。アニミズム的なものがもつ力がいまの人間にも大事なんじゃないかと。
 自我をコントロールしようとしてできた歪み。目に見えないものを点と点で繋ぐ力。本来の人間が持ってる力を再認識して大事にしたい。という思いもじつはあるんよ」

 テンプラには真照さんの小、中学校時代のきらめくものも投影されている。
「なにに一番影響受けたって、ゲームだね! 80年代のゲーム音楽はプログレや現代音楽なんかの要素をチープな質感で再現してて最高なんよ。
 小、中学校時代は最高だった! わくわくしたし、世界がきらきらしてたね。希望しかなかった。スコーンと風景が抜けて見えた。もちろん社会的に暗い事件なんかもあったんだろうけど。子どものころのおれたちには、見えてなかった。それって不幸ではなく、幸せなことだと思うけどな」

 真照さんと夜の尾道の商店街を歩いた。商店街にはいつもハワイアンの音楽が流れている。ハワイアンを聴くと、80年代の商店街にタイムトリップしたような気分になるそうだ。いまは三分の一ほどがシャッターが閉まる商店街。音楽とともに、真照さんの体感に商店街の活気がもどる。
「むかしは人で溢れてたもんね」
 小洒落たバーはむかしは、キン消しが買える駄菓子屋さんだった。剃り込みやアイパーをしてくれる、おばちゃんがやってる理髪店。ゲームの発売日より前に買える問屋さん。海沿いの焼肉屋さんの場所は、むかしゲームセンターだった。防波堤にはフナムシは群れをなして、ゾロゾロとはう。ゲーセンでは、不良たちがたむろする。不良にも混ざりきれない、真照さんは小銭をゲーム機の片隅に積んで、プレイに集中する。潮風は街に跳ね返されて、海へともどっていった。ゲーセンは不良とオタクが交差する場所だった。

「不良って、ガンプラとか作るの得意なんよねぇ。仲良く出来る人もいたけど、『おれの作ったガンプラ買え!』とか脅してくる奴とかいたね。いま考えると信じられんけどね。でも子どものころに、目一杯悪さ出来るいい時代だったかも。不良たちいまは、みんな真面目だもん。ボンタンの太さが強さの証やったね。おれは、そんなに太くできんかった……。生徒指導のおばさんがゲーセンに入ってくるんじゃけど、おれみたいな中途半端な奴が、捕まってしまうんよ。強い奴は、短ランもめちゃ短かったなあ。ボンタン、短ランの変化も仏教ぽいね。長ランが主流になると、それに反発して短ランが現れたり。
 肉体や物質はただの淀みやからね。いまはこの形ってだけで、必ず新たな何かに変化する」

「広島の仏教系の高校に行ったんよ。それまではお寺を継ぐということにリアリティはなかったなぁ。子どものころ、お坊さんの衣装着さされて、檀家さんの前とかに出されるるのがすごく嫌だったし。おれ以外の兄弟はみんな女の子で、おれだけがお寺とか交わされる感じとか不満だったね。高校に行くと、同じような境遇の同年代がいた。みんな、バカでさ、ははは。おれ仏門に入る人は、尊い真面目な人ばかりだと思ってから、同級生には救われたね。
 自分がお寺に生まれた意味をよくよく考えたんよ。おれみたいなやつは仏さんの近くに置いとかないといけないダメだから、お寺に生まれたんだろうな。                   

 寮に入ってさ……。その寮はみんなが、合唱部に入っていて。おれも強制的にが合唱の世界に引きずり込まれたんよ。合唱の全国大会で優勝するような学校だったんよね。厳しかったよ……。部活が終わっても、寮で先輩たちと一緒じゃろ。一応、個室はあったけど、襖で隔てられてるだけなので、先輩たちは自分の都合で、ガラガラと開けるんよね。ほとんどプライベートとかなかったなあ。辛かった。まあ、合唱やってから、お経やライブでの発声で活きるから、よかったこともあるけど」

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 真照さんは高校の暗黒時代を経て、京都で大学生活に入る。
「大学は、バラ色じゃったね! みんなでダラダラとゲームしたり、NOVOiSというユニットを友だちと2人でやったり。テンプラの原型になるような音楽性だね。もっとふざけた感じだったけど。


 ちょっと理由は言いたくないじゃけど、NOVOiSの相方と仲違いしてしまったんよね。いまの奥さんとも当時付き合ってたんだけど、おれが尾道に帰ってくることになって。奥さんは関西で就職が決まってたから。別れることになったんよ。大学を卒業してから、10年ほど、ほとんど引きこもっていたね。お寺の仕事はしていたけど。お坊さんの集まりにも一切、顔を出さなかった。もちろん、いまみたいに夜飲み歩いたりも一切しなかった。その後、奥さんは尾道に来てくれて、子どもも出来たし、家族には恵まれていたけど、心をひらける友だちはいなくなってしまった」

「いまは住職をやってるけど、ビジネス的な部分が時代と共にどんどん大きくなってきてて。むかしの人が守ってた信仰の居場所がなくなってきてる。学校や専門学校では、リアルな感覚に近い生きてる仏教を知ることはできなかった。おれも若いときには、知る気がなかったのもあるんだろうけど。音楽やカルチャー、虫の鳴き声のほうが自分の中ではリアルだった。
 空に至らしめるために必要な六十二見というのがあるんよ。仏教以外の思想や信仰のこと、唯物論とか唯神論とか、元々は仏教が排除してきたものだけど、仏教以外の教えから学んだことはリアルで自分の根っこになってるね。
 そんなときに、90歳代のおばあちゃんと出会ったんよ。お経を唱えに、いろんな家を回るんじゃけど、Sさんっておばあちゃんは、『念仏を柱(壁のなか)に染み込ませたい』っていうんよ。柱、壁、箪笥、お箸、家の隅々までに仏心を本気で感じとるんよね。リアルな信仰のなかにいる人に出会った。お坊さんたちが忘れたことを感じていた。袈裟をきた自分が恥ずかしくなったことを覚えてる。おばあちゃんとの出会いがなかったら、いまのおれはないね。ちょっと写真見る?」
 真照さんはぼくに写真を見せてくれた。Sさんというおばあちゃんが写っている。部屋には紙が埋もれそうなほどある。言葉がびっしり刻まれている。

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「感動(感覚)が溢れたときに書くそうなんよ。無意識で言葉を拾っているのかな。すごいことが書かれてる。いくらでも書けるらしいんよ」
 ときおり、ぼくもまるで無限かのように言葉を書けるときがある。書きながら、自我も越えたような感覚になる。主体はなくなる。世界の一部になったような感覚。
「Sさんたちとの交流で、徐々にまた人に心をひらけるようになったんよ。同世代のお坊さんが集まりにも誘ってくれて。そこで酒を覚えたんよね。その頃に、NOVOiSの相方と偶然連絡が取れたんよ。仲直りも出来た。吉崎さんとも出会った。そこから、尾道に移住した人たちとの交流が始まったんよ。それがいまから、6、7年前かな。酒飲みの人生が始まったんです。がはは」

 真照さんへのインタビューをあらかた終えた。2人でご飯を食べに行くことに。馴染みのラーメン屋さん。真照さんはラーメン食べるでもなく、おつまみ片手に酒を飲む。真照さんと仲が良い○ちゃんもラーメン屋にいた。真照さんは語る。
「大樹くんが、おれのインタビューするっていったら、吉崎さんが『あいつはストロングZEROを飲ませときゃあ、なんでも喋るぞっ』って言われたんよ! それで持ってきてくれたんよね! ストロングZERO! なんでこの酒をこんなに好きなんだろうね、おれ?」
 ○ちゃんは間髪入れずに「シンナーみたいなもんだよ。すぐ酔える。化合物の即効性よね。うちに遊びに来たドイツの友だちに、ストロングZEROを飲ませたことあるんだけど『これはアシッドよりやばい!』って興奮してたよ。大樹くん、真照さんを記事にするなら『ストロングZEROジャンキー』ってフレーズは入れてください。くくくっ」
 真照さんはぼくのほうを向いて○ちゃんに聞こえないように、こっそりささやいた。
「ストロングZEROは、仏教の空を越えた、おれにとっての新しい空なんよ。はははは」

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 この住職は、お寺というガチガチの体系的な世界にいながらも、自分なりの自由をつくろうとしている。
「どんなに社会や世界が淀んでいようと、その中で、もう一つの現実を創ることはできると思うんよ」

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 確かにいまの社会は、生きづらいし、窮屈なことも多々ある。だけど、社会を変えようとせず、批判もせずに、自分なりの世界を深く掘ってみようと、真照さんの話を聴いてぼくはさらに強く思った。音楽や芸術、書くことや、踊ることはどんな社会でもできる。時流もお金も関係ない。それぞれの感性がもっともっと自由に拡張したとき。世界は確実に変わる。今日も真照さんはストロングZEROを飲みヘッドフォンをつけて部屋で踊っている。手はタコのようにうねる。倍音で意味のない言葉を発信する。
 真照さんのからだの動きや奇声には、維摩が体現した言葉が解体された世界が存在している。

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