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生きづらくない人 第10回 最終回 |村上ひろふみ | 楽しいことは、きっと上手くいくから

 ぼくはヒロさんを尾道のソクラテスだと思っている。ソクラテスは対話を好んだそうだ。文字を書き残すことをしなかった。大衆の前で演説することもほとんどなかった。街を歩いては、誰かを捕まえて一対一で話す。ヒロさんは大勢の前で演説するように話していることをあまり見たことがない。少人数での対話のときに、ヒロさんの哲学は炸裂する。

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 ソクラテスは一方的な発言を嫌った。聴衆は黙って聴くことしかできないからだ。ヒロさんがコミュニケーションの哲学者。尾道の珈琲屋さんで彼をインタビューしていたんだけど、その途中でもお構いなしに、お客さんに話かける。


「きみどこから来たん?」
 

 控え目で自分からはコミュニケーションを取れなさそうな子を見つけると、ヒロさんは自分から率先して話す。そういえば、因島に引っ越して来たばかりのぼくにも、話かけてくれて、当時改装中だったゲストハウス『ヤドカーリ』の内観を見せてくれた。彼らがわいわい話ながら、改装している姿が楽しそうだった。


「おれら休憩のが長いからね」
 

 その後は隣接しているカフェに作業着のまま立って、ドリンクも注文していないぼくたちと、深々と話をしてくれた。


「とにかくパーティをしようぜ!」
 

 楽しさの流れを伸ばしていくヒロさん。その行動に、ぼくも大いに感化された。
 
 

 この連載の第3回目でインタビューした宮原翔太郎くん。向島で今年『アナーキー・イン・ザ・ドーナツショップ』をオープンさせた思想家みくくん。彼らはヒロさんとの師弟関係を公言している。ヒロさんがソクラテスなら、彼らは弟子のプラトンということになる。プラトンは師匠になり変わって、ソクラテスの思想を本にした。学校もつくった。翔太郎くんはパーティースタイルの建築という、師匠の思想を伝承した。みくくんは自分のお店で、師匠のスタイルの密なる崇高なコミュニケーションを実践し続ける。


「彼から師匠って思ってくれるのは嬉しいけどね。だけど、おれは何も教えてない。わはは。これ、謙遜してる訳じゃないからね。むしろおれが教えてもらってる。若い子ってこんなアイデア持ってるんや! って。彼らの思いついたアイデアは、改装やお店の運営に取り入れる。アイデアを試せるから、勝手に学べる場所にはなってるかも。だから目的がある子にとったら天国よ。おれがみんなに利用されてるのかも。はっはっはっ」
 

 ソクラテスは、自分が無知であることを知っていた。だからわかろうとすることを続けた。ヒロさんとソクラテスとって、他者との蜜なコミットは、知を発見するって行為なんだと思う。
 


「上手くいかないときは、強引にやらんほうがええよ。それ楽しくないでしょ? 楽しいことは、争わなくても上手くいくから」
 

 5年ほど前のぼくは、反対者をねじ伏せて、計画を進めてやろうと息を巻いていた。ヒロさんのこの言葉にずいぶん救われた。ぼくは上手く行かない計画は捨てて、新たな楽しい道を見つけた。
 

 珈琲屋さんのマスターはヒロさんのことをこう呟く。


「なんか土くさいってえか、野生というか、上手く言えんのじゃが。あと、とにかく人の目や他者からの評価とか、一切気にせんな。とにかく自由じゃな」
 

 土にはあらゆる生命の死が詰まっている。土は水を吸って植物を生やす。土から植物が自由に伸びていく。気持ちよくなくなると植物は枯れる。枯れた葉はまた土に帰っていく。自分の楽しさに向かって生命を拡張させる。ヒロさんの営みは蒸せ返るような大自然だ。枯れるものを受け入れて、自然な場所へ返す。


『チャイサロンドラゴン』というカフェを尾道で10年以上も運営していた。ぼくと出会った頃に改装中だったゲストハウス『ヤドカーリ』は6年ほどの営みを続けている。


「コロナで社会が混乱しはじめたときに、速攻でカフェを閉じたんよ。密で濃厚なコミニュケーションが売りやったから。密な集まりを禁止されたら終わりでしょう。
 

 2年前に広島で豪雨があったときに、尾道に観光客が一気に来なくなった。それまで楽しかったはずの生活が、なんかおれ、自分の営みがダサいって思ってしまった。観光に生業を頼りきってるやろって。尾道ブームみたいになってたから、宿はだいたい満員で、お金には困らなくなったけど、やっぱりスタッフも抱えるし、忙しくて自分に余裕がなくなるよね。お客さん一人一人とじっくり向き合えないのも違和感あった。そうは思いつつも、豪雨から2年間は生活を変えることもできなかった。
 

 コロナでゲストハウスヤドカーリもいまは、ほとんど機能してない。いま10月現在、観光客は少し戻って来たけど、まだ入国できる外国人が少ないからね。まあ、売り上げが低いと補償も受け易いしね。わはは。
 いま時間は、めっちゃある。だから変化しないとって強く思えた。それで畑を始めたんよ」

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「もう最高やね。晩ご飯は自家製の野菜だけでパスタとサラダが並んだり。窯も手づくりした。なんでも消費するのではなく、自分の手で創り出したいね」

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「これから息子たちとゆる〜く漁業を始めようかと思ってる。あとハーブとか野草を森や山に摘みに行きたいね。
国や行政からの給付や借入など、もらえるもんは全部もらった。税金は富の再分配の装置であるべきなので、少しでも困っているときは堂々ともらったほうがいいよ。生活保護もセーフティーネットのはずなのに、もらいにくい雰囲気があるのはおかしい。
 

 今は『ヤドカーリ』と『チャイサロンドラゴン』の建物の改装を始めようとしている。感染対策の補助金があるからね。観光客に頼った宿業はやめようと思ってる。ヤドカーリには台所を作って長期滞在型に、ドラゴンはキッチンをしっかりつくって、ケータリング販売もできる許可を取る予定。今後、新たなウイルスとか、自粛ムードで困ったときに誰でも使える共同キッチン、提供する料理やモノのバックグラウンドにある文化や社会背景や思想もお互いに話せる『Social Kitchen』としてリニューアルする予定」
 

 尾道でヒロさんは通称『旅人ホイホイ』と呼ばれている。尾道に旅をしに来て、宿がないと露頭に迷っている人に出会うと、彼はすぐに自分の家に泊めてあげていた。


「よくタマちゃん(ヒロさんの奥さん)から怒られる。『何でいきなり連れてくるん! 事前に言ってよ』って。そりゃあそうよね。だから、おれヤドカーリをつくったんかも。家から離れた場所に空間があったら、いつでもそこに迷い人を泊めてあげられるから」

 ぼくの本を読んだと、Yくんという20歳くらいの関東に住む青年から電話がかかってきた。ヒッチハイクで日本中を旅しているらしい。ぼくと話がしたいというので、因島の高速の降り口まで迎えに行った。しばらく彼と話した。


「日本中どこへ行っても景色は同じです。同じ太陽。同じ海。同じ空。同じ人間。ヒッチハイクで乗せてくれる人、出会った人、全員、目が死んでました」
 とYくんは死んだような目をしながら言った。社会や人間に対する憎悪しか口からは出てこない。


「もう旅なんてしても同じです。そろそろどこかに住んで、バイトでもしたいです」
 ぼくはヒロさんの顔がパッと浮かんだので連絡した。
 

 ちょっと迷惑かけそうな子なんですけど、連れってっていいですか? と。ヒロさんはすぐに「ええよ」と連絡をくれた。Yくんとは夜が明けるまで、語りあってくれたそうだ。


「うちにしばらく居てもいいって伝えた。なんならゲストハウスで働いでもいい。次の日の朝には彼はいなかったね」
 

 Yくんは残念ながら止まらなかったものの、ヒロさんに流れ着いて、尾道に移り住んだ人はたくさんいる。
 


「おれも若い頃はほんまに何者でもなかったから、漠然とした不安はあったよ。でも人生でアクションを起こし続けた。その経験が自信というか、袋小路に感じる状況でも絶対に抜け道はあるって確信に変わった。あとは20代前半で、ドイツに2年ほど住んだ。ドイツで体験したことの影響はでかい」
 

 1999年のドイツ。89年にベルリンの壁が崩壊して、西と東に分裂していた国は一つになった。壁がなくなってちょうど10年目、ヒロさんがいたドイツは混沌としていた。


「まだ法やインフラの整備が、あんまりできてなかったんやと思う。無秩序な街はおれにとっては最高やった。あらゆる制度が一旦なくなると、全部ちゃらになるから。たとえば、空いてる家があって『あれはおれの家!』というと、その人のモノになってた。借金はチャラになったやろうし。電気代もどこに払うんやって、まだハッキリ決まってなかったぽかった。駅員もおらん駅が多かったから、電車もタダでも乗れたし。捕まっても、ドイツ語できませんって顔すれば逃してくれた。マイノリティや貧しい人に仕組みが優しかった。わざと隙間を残してくれてるというか。それにおれ3ヶ月の観光ビザで行ったんだけど、2年間も滞在できた。あのときのドイツはカオスやったけど、むちゃ自由で平和を感じたね。ガチガチなルールがあるから、平和って訳じゃない。もしかして、国家っていらんかも?
 

 ベルリンでは廃墟を、アートや音楽、コミニュケーションできるスペースに生まれ変わらせていた。音楽があり、芸術や哲学、政治などについて世代も人種も分け隔てなく対話する。めっちゃ楽しかった。おれDJほとんどやった事なかったけど、ドイツでDJを頼まれた時「できる!」て言ったら次の日から、DJになれた。ははは。この解放された出入り自由な感じを尾道でやりたいって思った」
 
 

 ヒロさんは尾道で空家を利用して、いろいろなスペースをつくった。アトリエ、カフェ、ゲストハウス。その他にもマルシェを企画したり、リヤカーゴという、リヤカーを改造した屋台。車輪がついているので移動式の出店ブースになる。細かく解体できるようになっていて、収納にも場所を取らない。ヒロさんはリヤカーゴを引いて物々交換しながら義理の弟としまなみ街道を渡り今治まで行ったこともある。
尾道にヒロさんがいなかったら、街の盛り上がりは全然違うものになっていただろう。
 

 さらには去年、尾道の市長選挙に立候補した。クラウドファンディングでさくさくと選挙資金を集めた。ポスター、選挙カーの看板も自分たちでDIYをする。お金があまりないから人に頼めないし、身近な友達は免許がない! ってなって、マイクスタンドを車の中に立てて運転しながら演説した。道で反応してくれた人を、車に引き込んで運転してもらったり。

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「偶然通りかかった友達が見兼ねて『やったげるよ!』って言ってくれたんだけど中国から来た元留学生やって、国籍が違うから手伝ってもらったら選挙法に引っかかるるんかなと思いながらも運転してもらったよ。

 実は最初から当選するとは全く思ってなかった。落ちても意味があるって思ったから立候補した。尾道はずっと年配や組織の人が市長を長年勤めてきた。これからのために若い人の中から、もっと気軽に誰かが出馬するってことが重要やと思った」


 結果は残念ながら落選だったけど、ヒロさんは8000票も取得した。投票者の13パーセントほどヒロさんに投票したことになる。


「今の体制がかかげるビジョンではダメだと思っている人が市民の一割もいるってわかったのは希望やね。この数をどんどん増やしたらいい。自分みたいに政治畑出身じゃなくて組織にも所属してない人間でも立候補できたんやから、誰でもできるよ!それを示したかった」

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 今年の5月から、ヒロさんは福山のラジオ局に誘われてパーソナリティーを始めた。


「ポストコロナ時代を豊かな社会にするアイデアを発信できるチャンスだと思って始めたけど、やっぱり企業って決まりごとが多くて、自由度が少ない。これはネットを使って自分で発信したほうが早いってなって思ったら、これ以上無理ってなって3ヶ月で辞めてしまった」


 ラジオの仕事もなくなり、宿業もそれほど忙しくなくなったヒロさんは、大きな時間を手に入れた。
 


「宿業も大変すぎたんやと思う。今までのライフスタイルも楽しかったけど、もう戻りたくはないね。一日中、やらないといけないことに追われてたから。いまの生活はほんまに豊か。朝起きてゆっくりご飯を食べる。昼過ぎになったら友だちが遊びにきて、ゆっくり話をする。夕方からは家に帰ってご飯食べたり、学校から帰ってきた子どもと遊んだり。自分達でつくった野菜が食卓に並ぶこともある。
 

 今のコロナでの給付や借入など制度は道具だから、上手く利用したほうがええよ。社会状況と真面目に向き合いすぎたら、奴隷になってしまう。ただその制度も来年には切られるだろう。そうなっても、おれは全然大丈夫!次のプランをすでに考えて実行に移し始めている。 


 プラトンの創作した『洞窟の比喩』という寓話がある。
 生まれたときから、洞窟の奥の深いところで住んでいる人々がいる。そこで首と手と足には、拘束具がはめられて座らされている。鎖は地面と繋がっていて身動きがとれない。立ち上がることも、動くこともできない。
 人間たちは洞窟の奥にある壁を見ている。壁には影がうつっている。影の動きを見て、人々はあれこれ考える。どんな意味があるのだろうと。
 人々の後ろには、塀が立っている。塀の上には操られた人形が踊っている。人形の後ろには火が焚かれ、めらめらと燃えている。炎の明かりが人形にあたる。影が生まれる。闇にうごめく光。人々は操り人形の影だけを見ている。彼らは後ろを振り向くこともできない。影が人形であることを知っている者はいない。
 ある日、1人の青年の拘束具が何故か突然に取れた。青年は後ろを振り返る。炎と操り人形を見た。青年には何が起こっているのか理解できなかった。初めて見る炎は眩しくて直視することすらできない。青年は恐ろしくなった。青年は何者かに引っ張られるように、洞窟の先に連れて行かれる。遠くに小さな光が見える。光はどんどん大きくなる。青年は洞窟の出口に辿りついた。真っ白な世界。強烈な光。青年の目は徐々に慣れてきた。視界は白から、じんわりと姿を現す。
 遠くに山々が見える。目の前には草原が広がっていた。黄色い蝶がひらひらと舞う。風が黄金の穂を揺らす。赤い花が咲いている。空は青く、細切れの雲が浮かんでいる。太陽が大地を照らす。青年は太陽を中心の大自然があることを知った。世界は影だけではなかった。そのことを人々に伝えるために、洞窟の奥へともどった。青年は洞窟の外の世界のことを必死で人々に伝える。誰も青年の話を聞き入れない。しまいに人々は青年を殺そうとしている。

 ヒロさんは影に惑わされることない。社会とは意識でつくられた影だ。それを人々は現実と思いこむ。プラトンが書いた『洞窟の比喩』に出てくる青年は、ソクラテスのことだろう。ソクラテスは神を冒涜したという罪を着せられて処刑された。弟子たちはソクラテスをどこかへ逃亡させようとしたが、何故か逃げなかった。しかしヒロさんの逃げ足は早い。ソクラテスのように止まったりはしないだろう。
「これまでの人生で、完璧に上手くいったことってないかも。ははは。だけど、やってればつぎの道が見えてくるんよ」
 ヒロさんが発見した新しい抜け道は、青年が洞窟の外で体感した太陽の中心とした世界だった。
 畑に太陽の光を降り注いだ。水と光と空気と土がなければ、植物に実はならない。現実とは、現れた実なのだ。自然のなかに現実は、だただた素直に存在している。

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