見出し画像

リアル HARD THINGS〜創業から上場、停滞から再成長、0からの立ち上げを2回経験したNo.3が見てきた景色〜

はじめに


2022年8月末を持ちまして、株式会社Branding Engineerを卒業しました。
まずは7年半、エンジニアの皆様、お客様、一緒に戦ってくれた仲間たち、
プライベートで関わった人たち、そして河端、高原両代表、
すべての皆様にこの場をお借りして改めて心から感謝を申し上げます。

最終出社の東京本社での1枚です

2015年4月に株式会社Branding Engineerに入社した当時の私は、
大した実績もなく、ごく普通の新卒2年目の営業マンでした。
会社も売上0、社員0でマンションオフィス、会社の看板もロゴを印刷した紙が入り口のドアにペタッと貼られて時々雨風で吹き飛んでっていました(笑)
5年3ヶ月後の2022年7月には上場企業の取締役をしていました。
退職する7年半後には売上68億円の結構な規模の会社になっていました。

人にも運にもいろいろなものに恵まれて、助けられまくって得られた結果なので再現してくれと言われましても全く自信がありませんしやり直ししたくないくらい大変でしたが(笑)
本当にたくさんの打席に立たせていただきました。
僕が経験してきたことをざっと箇条書きにするとこんな感じです。

7年半で主に携わってきた仕事

  •  営業組織の立ち上げ、マネジメント
      - P/L 予算の策定 管理
      - 営業戦略の策定〜実行
      - 役割、体制の定義
      - メンバーの採用、評価、育成 
      - 評価制度設計
      - 契約管理体制構築
      - 契約書レビュー、交渉
      - トラブル クレーム対応

  •  SESエンジニア組織構築
     - 採用戦略の策定〜実行
     - 人事評価制度、福利厚生の設計
     - サポート体制の構築
     - エンジニアチームの役割定義と体制構築

  •  新規サービスの企画、要件定義〜リリース、運用
     -  独立支援サービス「Midworks」の企画
     -  SESの商流を0にする「チョクトリ」の企画  (現在はクローズ)

  •  社内管理システムの企画、要件定義〜リリース、運用
     - 営業管理システム 
     - 契約管理システム

  •  上場準備
     - 証券会社、監査法人対応
     - コンプライアンス整備
     - ワークフロー整備

  •  大阪支社立ち上げ

どうでしょう?
改めて書き出してみると、営業マン出身からすると
初体験の仕事しかないですねwww

これは上司であった両代表、河端、高原も同じです。
だって私が入社したときは学生起業してまだ2年目ですから。笑

最初から結構上手く行ったものもあれば、
盛大に失敗したことも数え切れないほどあります。

これ全部書いていたら書籍1冊くらいになってしまいそうなので、

・組織の成長過程でどんなイベントが起こったか
・成功/失敗から何を学び、どのように次に生かしてきたか
・なんでBEに入社して今やめるのか、次は何をするのか
・何を大切に取り組んできたか

みたいなことに焦点を当てて、包み隠さずお伝えできたらな、と思います。

7年半の気づきと学び

1人じゃ何もできない


入社早々に、1人で営業をしていて感じたことです。
私が携わっていたSES営業は、スピードが命です。
せっかくエンジニアの方や協力会社の方から
お仕事探しをお任せいただいて、翌日お客様に訪問して
いい感じの求人をもらってきても、すでに別のお仕事での就業が決まってしまっていたり。
なんかもう物理的にも精神的にも限界を早々に感じました。笑
そんなときに手を差し伸べてくれてジョインしてくれたのが
同い年で三軒茶屋友達、同業のパートナー企業で営業をしていた及川と、
新卒時代の同期でNo.1営業マンだった田原です。
なんで何もないマンションベンチャーに来てくれたんですかね?
僕がかわいそうに見えたんですかね?笑
そこから3年で売上20億円という驚異的な成長を遂げるのですが、
2人の力は言うまでもなく、彼らについてくる仲間たちもとっても頼もしいメンバーでした。
2人とも今は独立してしっかり活躍しています。さすがです。
全てはここから始まりました。本当に助けてくれてありがとう。

そこから2~3年は目まぐるしく、
本社移転2回、新オフィスどんどん開設みたいな感じでした。
僕自身もなんだかよくわからないまま、執行役員→取締役に就任していました。
会社が絶好調なときの写真もついでに色々貼っておきます(笑)

マネジメントの失敗から確信していること

ほぼ全ての仕事を手探りしながらなんとかやってきましたが、その中でも僕自身の未熟さゆえに回らなくなってしまい失敗したお話をしたいと思います。
一番悩んだのはマネジメントです。
売上が3年半で20億円を突破した頃、事業部の人数も30名強の営業組織になっていました。
ずっと順調だったわけではなく、実はここから2年ほど足踏みをします。
止まらない退職者、のびない業績、膨らみ増え続けるいろいろな問題、正直周りに迷惑かけまくりの苦しい日々でした。
事業の成長に自分自身の成長が追いつかなくなってしまった状況から、特にマネジメントに焦点を当てて、もがいて学ぶ中で確信に変わったことだけをシェアします。
特に僕と同じタイプの「八方美人タイプ」のマネージャーの方は必読です(笑)

①責任者にとっての最優先事項とは?


責任者のやるべき唯一の仕事は、成果を出し続けることです。
何をもって成果と定義するかは会社によります。
またもちろん、出すべき成果と会社の成し遂げたい将来の姿が矛盾せず接続していることは大前提です。

その上で、これよりも重要なことは絶対にありません。
常にこれを大上段に置かないと、わけがわからなくなっちゃいます。
仲間との信頼関係の構築、ビジョンの浸透、適切な目標、役割の設定などは全てこの目的を達成するための手段です。
こういったことが成果を出し続けることよりも上の優先順位に来てしまうと、成果が出るわけがないので結局苦しくなりますし、
成果が出ない=会社の成し遂げたい姿にも近づいていないので、
仲間をはじめ多くの人を苦しめることになります。
僕は少しうまく行っていないときやメンバーとの1on1等を通して
会社や組織、メンバーに対しての不満を聞いて1つ1つ解決にあたっていた「つもり」でしたが、いつの間にかそれが目的化してしまい、結果を出すことよりも優先していたことが何度もありました。
個別問題を解決しても事業が伸びていないかつ成果を出す方向に目線を向けられていないので五月雨式に不満が湧いてきて、結局解決できなくなり負のループに陥ります。
こんな責任者、会社のもとで働いていても未来など見えるわけもなく、ネガティブな理由で去ってしまったメンバーもたくさんいました。
本当に申し訳ないことをしたと思いますが、過去は何も変えられないですし今のメンバーに応えていくことしかできないので前だけを向くようにしていました。
重要性を理解していることと、最上段に置くことには天地の差があります。
このマインドセットを徹底してからは事業はもちろん、組織コンディションもかなり持ち直しました。
責任者は確固たる信念を持って「成果を出し続けることが最優先事項、それ以外のことはしない」と無意識にできるまで念じなければいけません。


②目標設定、役割の定義に重きを置く


①ができたら、あとは目標設定と役割の定義です。
僕はこれめっちゃ下手くそで苦労しましたが、①を大上段に置くことでスッキリしました。
実務能力には自信があった(後述しますがなんでも自分でやろうとしてしまったため、プレイヤーとしてできない仕事はほぼなかった)ので、僕の中では肌感これで半分くらい責任者としての仕事は終わります。
もし自分でやることに自信がない業務があっても適切に任せることができれば大丈夫です。当たり前ですけどw
そのくらい①で決めた成果につながる目標設定と役割を定義することは重要です。
目標がふわっとした状態で行動計画を立ててはいけませんし、役割がふわっとした状態で採用することも絶対にだめです。
僕自身も結構やってしまいましたが、他の組織でもなかなか見かけるのであえて書きます。

役割定義で気をつけていたこと

「 矛盾する役割を与えたままにしてはいけない」

役割同士、目標同士が喧嘩したまま、矛盾したままに設定すると平和には絶対なりません。

 -新規決定数 VS 解約率
 -集客数   VS 新規成約数
のような状況は往々にして起こりえます。

矛盾する目標が存在することは仕方のないことで、
優劣をつけたり、線を引いたりしても現場間のバトルは一生終わりません(笑)
ここを調整するのが責任者の仕事で、腕の見せどころです。

適切に定義できないなら、「一方に両方を持ってもらう」、
または双方に「もう一段上の役割を担ってもらう」ほうが納得感が生まれシンプルです。
(例)
-新規決定数 VS 解約率 → 保有契約数 or契約増加数の増加
-集客数  VS    新規成約数→ 成約単価

これだけで解決しないときに初めて優劣をつけたり線引きをするべきで、
関係者には誠意を持って説明をしていくべきです。
まあこのあたりを主に調整してくれたのは僕ではなく、後任の事業責任者である澤田さんなんですけど(笑)
アニキ!ありがとうございました!!


「意見を聞くのは大事だが方針を固める前に当事者に相談してはいけない」

これも大きな失敗の一つだったのですが、体制や役割を決めるときに、自分の方針が固まる前に関係各所に意見を聞いたことで、確固たる信念もなく揺らいでしまい、自分がどうしたいのかわからなくなっていきました。
現場論が先行していき、結果的に中途半端な体制や役割が出来上がってしまいました。
全員が喜ぶ形なんてなかなかありません。

何を大事にするのか、決めと覚悟の問題っていうケースはざらにあります。
関係者の意見を聞くことや尊重すること自体はとても大切なことですが、それ自体を目的にしてはいけません。
あるべき姿、達成したい目的、その上での優先順位、関係者にどんなメリット・デメリットがあるか、対応策についてどう考えているか、等を固め、誠意を持って説明し、結果に責任を取る覚悟が必要です。
意見を取り入れているようで結果不幸せな状況(=事業がのびない、ポジションが増えないから新しい経験を積ませてあげられない、給与も上がりにくいetc)になれば本末転倒です。
覚悟が決まったら、正解にする(=結果を出す)しかありません。
全ては①「結果を出し続けること」を大上段におけるかどうかだと思います。
その前提を理解してもらった上で、尊重すべき意見を決めるのはその次です。
みんなにいい顔をしているとみんなに悪いことをしてしまいます。

③いつも元気で明るくポジティブな態度でいる

これは特に失敗体験からの学びというよりは、
失敗しまくって気持ちが落ち込んでいても
せめてこのくらいはやろうよ、と唯一継続していたことです(笑)
うん、できてないときも少々ありましたけどあの時はすみません(笑)

色々思い通りに行かないとついつい態度に出したくなったり
シンプルに体調悪くなったりするわけですが、
仕事なんて本気で取り組んでいればそんなものです。
それでも毎日一緒に働いてくれるメンバーに感謝し、
少しでもプラスになる存在であれるよう、どんなにコンディションが悪くてもポジティブで明るくいることを徹底していました。
大きな声で挨拶をし、元気がない子には気にかける。
重たい相談をされても(事実重い内容でも)「大したことないっしょ、こうやったら解決よ、わからんけど一緒に考えよう」っていう堂々とした態度で接すること。

あーだーこーだ文句言ったり嘆いたりするのは、絶対に関係者のいないところでやりましょう。
僕も本当にやばいときは家で1人で泣いたり奥さんに赤ちゃんのように甘えたりしていました笑

ポジティブでいるためには体調管理もすごく大事です。
食事、運動、ストレッチなどで基礎代謝を上げておくこと。
しっかりオンオフわけて休むときは休み遊ぶときは遊ぶこと。
これができていたから、かつ助けてくれる仲間がたくさんいたから
何があっても前を向いて(向くしかなかったというのは置いておいて笑)問題とも向き合いながら進めてこれたのかな、と思います。

上場準備期の悩み

大阪支社を2020年2月に立ち上げたころ、
会社は上場準備の真っ最中でした。
予算達成が義務の状況でちょうどコロナの大流行がきて、新規のアポイントほぼお断り(というか不在)状態が続き、大阪で自らも営業して数字を補填しようという目論見は速攻見直しを迫られます。
そんな中で2名の重要なメンバーが離脱してしまい(仕方のない理由です)、結局東京の仕事も掛け持つことに。
東京と大阪を始発で週の半分往復する日々が続きました。

日中は営業活動、夜間や土日で上場準備という自分の中ではスーパーハードワークモードに突入していました。
予定びっしり入っているのに「今日○時まで」っていうタスクがガンガンはいってきます。割り振る余裕も暇もありません。
とりあえず期日を調整したり予定を見直して無理やりあけたりと自転車操業オワコン状態でした。

上場準備期のぼくの仕事は○年分のデータ集計だったり
大学のレポートみたいな質問への回答のがいっぱいあって、
スプレッドシートはsumくらいしかできない子でしたが、
この機会にいろいろ関数を習得しながら100タブくらい作りました。

そしてついにGWの頃に物理的に限界がきてしまい、経営企画部長と喧嘩しちゃったりもしましたが(笑)
このときも仲間に助けられてなんとか終わらせることができました。
家庭もあるのに連休返上で助けてくれた藤原さんはじめ、大阪のみなさんもありがとうございました。

営業に関しては大阪のお客さんが会ってくれないので、大阪に入った業界未経験の2人に東京の企業にテレアポ手伝ってもらったり、
わからないことがあっても気を使って僕に質問できない状況が半年くらい続いていました。
僕じゃなくて仲のいいパートナーさんを自分たちで作って色々教わってましたえらい(笑)
「大阪の意味あるんか?」っていう不満も爆発していたと思いますが、2人とも我慢強く向き合ってやってくれて本当に助かりました。ありがとう。
今では立派な大阪責任者とリーダーをしています。

抜本的な改革が必要なのは誰の目にも明らかでしたが、崩れる寸前のジェンガに触れることへの恐怖心からめっちゃ保守的に立ち回っていて本当に苦しい時期でした。
今思えばあの状況でも色々動かせるものはありましたが、すみません余裕本当になかったっす(笑)

事業も組織もダメダメでした。
「東京こないならやめます」とある人から言われていたときは薄氷の上を歩いている気分でしたが、あのときは自分のことを後回しで今組織のためにできることに取り組んで、一緒に乗り越えてくれて本当にありがとう。

そんなこんなでわたわたしていた頃、ちょうど上場する直前、澤田さんという救世主が現れます。
やってくれたことが多すぎて書けないのですが(笑)

彼が全てを背負い、組織を根本から立て直し、事業を再度成長軌道に乗せてくれました。
役職は置いといて、初めて頼れる上司がついた気持ちでした。
アニキ!本当に救ってくださりありがとうございます!!

上場の鐘鳴らしも参加させていただきました
救世主澤田さんとの2ショット

大阪立ち上げという最後の仕事


大阪立ち上げ時
この3人から始まりました

こんな色々な失敗をしてきた中で、大阪立ち上げは自分にとって2回目の立ち上げ。
何もないからこそ、全てをリセットして取り組むチャンスを代表が与えてくれました。

2周目ならではの経験を生かして理想の組織を作りたい。
そんな思いでこれをBEでの最後の仕事として取り組みました。
半年間、理不尽な状況でも向き合ってくれた立ち上げメンバーの2人に報いたい、というのも大きな原動力でした。
意識していたのは前述のマネジメントに関すること以外だとこんな感じです。
・極力信じて任せたら何もしない、口を出したくなったり手伝いたくなってもこらえる
・でも事業はきちんと伸ばす
・誰かがいなくても回る状況にする
最終年は前年度比235%の成長となりましたが、
それよりも一人一人が自分でやるべきことを考えて先回りして動いている姿がとても頼もしく、本当に最後の半年は僕は何もしていなかったと言っても過言ではありません(笑)
ただの本当に困ったときだけのアドバイスおじさんをしてました(笑)
またこんな仲間と素敵な組織を作りたいな、と思います。ありがとう。


最後はオフィスも移転し最高にやばいメンバーに囲まれてさいなら!

なぜやめるのか

「金沢さん一生やめなさそう」とよく言われていたのですが(笑)
年に1回ペースで代表と話して自分の中でミッションを落とし込んで、
次はここまで行ったらこうしようとかを考えながら1年単位で更新している気持ちでした。

一番大きいのは「自分で決めてそれに責任を持ちたい」という気持ちです。

Branding Engineerは両代表が僕の扱いがうまく、
いい意味で丸投げでした。
半年〜1年に1回の「これくらい予算やりたい」以外は何も言われませんし、特に大阪行ってからはほぼ会話もありません(笑)
他の会社と比べてもめちゃくちゃ裁量を持ってやらせてもらっていたと思うのですが、最終意思決定者とそうでない者の差はどうしても埋まりませんでした。

会社のこともメンバーのことも自分のことのように考えるよう努めていましたが、それでも両代表とは天地の差がありました。
どこまで行っても「自分がオーナーの会社」ではありません。
だからこそビビらずにチャレンジすることもできたし、とてもいい環境だったのですが、「上手く行かなくても給与が下がったり降格するだけ」という失敗したときのデメリットの少ない状況で、最後の最後で無責任な感覚はどうしても拭えませんでした。
もしオーナーなら借金地獄で人生終わりますからね(笑)

ここからはもう、自分でやることが一番成長につながると実感しました。
この気持ちは5年前くらいから感じていて、立場が上がったり裁量が大きくなるほどにどんどん増していきました。
正直言うとBranding Engineerを退職後に独立して活躍する人が多く、その人たちを羨ましく思ったり内心焦ったりもしていたんですけど、残ってやったからこそ積めた経験や自信、とっても強靭なメンタルが身についたのでよしとしましょう(笑)
ちょうど前期が始まる1年前に今期いっぱいで独立する旨を代表に伝え、
ラスト1年取り組みました。
わがままばかりだったけど最後まで理解してくれてありがとう!

次は何するのか

SESエンジニアの高還元をあたりまえにするための会社を設立します。
その名も、株式会社KANGEN Holdings!!
そのまんまです!笑
最初は得意分野であるIT領域からスタートしますが、派遣や業務委託型で働く人の多い職種であれば領域展開できると考えています。
フリーランスの領域ではMidworksがNo.1を取ってくれると信じて、
社員の領域で再度勝負をします。
もちろん事業成長もしっかりさせたいですが、
自分の会社がなにかで一番になるというよりは、
はたらいている人が少しでも良い仕組みだな、と感じてもらえるような
仕掛けをどんどん積極的にしていって他社にも真似してもらえる、
業界にとって好影響を与えられる存在でありたいと思っています。

今Branding Engineerの社員のエンジニアの皆さんにも一応言っておくと、
色々調査をする中で気づいたのですが実はBranding EngineerのSESエンジニアはかなりの高還元で福利厚生も充実している会社です。
報酬は率もなかなかいいですけど額が良いと思っています。
給与ベース、案件選択の自由度、フォローアップ体制など揃っていて、
上場企業なので商流もかなりいい方。
他の事業が目立っておりそういう見せ方が対外的にまだできていないだけで、SESで働くなら全然良い会社だと思います。
なので僕には絶対に連絡してこないでくださいフリじゃないですよ(笑)
会社は変わりますが、同じ業界で仲良く切磋琢磨していけたら嬉しいです!
ともあれ、制度設計やエンジニアチーム組成のときなど、初めてのことだらけでしたが手を貸してくださったみなさん、本当にありがとうございました!

新会社のロゴ!カンゲン!



河端、高原両代表へ


河端、高原は出会った時から本当に目が戦っていて、
学生起業で売上も0社員も0なのに「上場させる、エンジニアの価値を向上させる」と当時から本気で言っていてとりあえずやばい人たちだったのを覚えています(笑)
でもすぐサボりたくなったり、つい現状に満足したくなってしまう自分にはとてもいい刺激で、同年代なのにこんなに意識高いやつらいるんだ、といつもびっくりしていました。
毎年200%成長!とどこまで伸ばしても一生言い続けてくるのでついていくのはとっても大変でしたが(笑)

経営者になってみてまだ間もないですが、リスクを取ることの重みやプレッシャーは想像の100倍くらいあるなあと感じています。うん怖い怖い笑
どこまで行ってもチャレンジを歓迎する組織であり続けていることは素直にすごいです。
あと特に上場直前の2人の執念には脱帽で、何が何でも言ったことをやり切る姿勢は本当に尊敬していますし、まだまだ高みを目指しているのでBranding Engineerはこれからも大きく飛躍することでしょう!

最後に

たくさんの仲間に支えられ、助けられながらなんとかやってきた7年半だったと思います。 Branding Engineerのずっと好きなところは常に向上心の高い前向きなメンバーが多く、ちょっとしんどいときも周りを見て「お!やったるか!」と思える環境なところです。一生懸命にならざるを得ないw
どこまで大きくなってもここだけは変わらないんだろうな、と思います。
それは前述の通り、代表2人が出会った頃からめちゃくちゃ意識が高いから。
だって旅行の飛行機の中とか旅先でも仕事の話してるんすよwかんべんしてやwww
働いているときも飲んだり遊んだりしているときも全て素敵な思い出です。僕のキャリアの大事な時期の大半を捧げて良かったと心の底から思っています。
BEに誘ってくれて本当にありがとう!!
僕自身が最前線で成長を経験してきたので、成長環境に身を置きたい人はぜひともオープンポジションの求人にでもご応募ください!


ではクソお世話になりました〜!!!
アディオス!!!✋


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?