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質問や疑問が全然浮かばなくて悩んでいた話

仕事でもプライベートでも、振り替えれば学生時代も、よく言われてきたことがある。

『本当に質問ない?』

そして、僕はこう答える。

『うん、大丈夫』
『はい、大丈夫です』

ただ、年を重ねるにつれその追求はしつこくなってきた。

『いや何かあるでしょ?』
『質問しないなら会議に出てないのと同じだ』

などのような追求は、僕にとって日常茶飯事。

話を聞いていないわけではないし考えてもいる。自分に関係することならば当然興味はある。なのになぜか、質問は浮かんでこない。

僕は地味にこの問題についてずっっと悩んできた。

そして昨年末、信頼できる方から焼肉の形をしたコーチングを受けた際に言われた言葉で、妙にスッキリした。

『大吉さんはね、なんでも受け入れちゃうんですよ。ああ、そんな感じなんですね、みたいな。良い悪いを判断せず、ありのまま受け入れてるんですよ。だから、質問が出ない。』

スッキリしたというか、麩に落ちた。

更にその方は続ける。

『でね、それを消極的だとか、悪いことだと言ってくる人が多いでしょ?それはね、全然間違った見方なんですよ。』

ほう。どちらかと言えば悪いことだと自分でも思っていたので、意外だった。

『自分に関係することを全て受け入れてしまえるっていうのはね、究極の主体性なんですよ。そんな人、中々いないよ。良いことも理不尽も同じように受け入れられる器を持ってる。だから、大吉さんはとても主体的で、優しい人なんです。』

心を鷲掴みにされて何度も揺さぶられたような感覚になった。

会社のこと、人生のこと、家族のこと、友達のことに、自分は関心を持てない冷たい人間なんだと思っていたからだ。

これからは究極の主体性を武器に、何でもかんでも受け入れながら周りに優しく歩み続けたい。

(もちろん、深掘り思考も欲しい笑)

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