筆者の自己紹介(②元不登校児の大学受験編)[記事NO.1]

こんにちは。不登校経験者の大吉neatです。この記事では私の不登校から社会復帰したのちに大学受験を志してから勉強に苦しみ、そして合格した話をできたらな、と思っています。

それ以前の自身が不登校をしていた時〜不登校から復帰した話は自己紹介①をご覧ください。

★大学受験を志す編

本気で進路を考える

文句を言っていた高校での生活も気付けば高2の終わりに差し掛かりました。
たまにアルバイトをして毎日ダラダラ過ごし続け、そこそこ楽しい学校生活を送っていました。
そんな私にも転機が訪れます。高校2年生の冬頃に1つ上の学年の先輩たちの進路が大方決まったのです。

(※補足)クラーク高校は在学者のほぼ全員(当時の感覚値としては9割)は自己推薦、AO入試、指定校推薦などの学力選抜を伴わない試験で進学先が決まります。大学であったり専門学校であったりと進学先は多様ですが、早いと秋頃、ほとんどの人は年末までに結果が出揃います。
先輩方の進路決定状況に直面し、私は高校2年生の12月ごろ始めて本気で自分の進路について考えました。


僕は小さい頃から生き物が大好きで小学校の卒業文書に「生き物博士になりたい」と書いたぐらいですから、「大学には行く」と言うことは幼い頃からどこか当たり前のように認識していました。そんな思いが心のどこかにはありましたが、それ以上のことは特に考えたことはありませんでした。

当時私が知っていた大学名は箱根駅伝に出てくる大学+東大京大ぐらいしか知らず、高校受験をしたことがない僕は「入試偏差値ってなんだ?」という恐ろしい疑問すら抱いていました。当然この程度の知識量の僕の中に答えがあるわけもなく、書店で分厚い大学受験案内を買ってきて、それを隅から隅まで読みました。また当時Twitterなどありませんから、「にちゃんねる」などのインターネットサイトで情報収集をしたことを覚えています。

さて、いろいろと調べてみたところ、大体以下のことがわかりました。

①クラーク高校の私が在籍していたキャンパスの進学先で、先生や先輩がいう「うまくいったね」と言われる桜美林大学・神奈川大学は偏差値で言うと45前後(=並以下)→並以下ってなんか嫌だから偏差値50ぐらいの大学には行きたいな・・・

②自分の親と同じぐらいのお金を稼ぐためには1ランクでも上の大学を目指した方が良い。ただし試験科目が多い国公立大学は厳しそうなので私大に絞る必要がありそう。

こうして目標進学先として「日本大学(当時偏差値50程度)」を志望校として決定しました。

ただしクラーク高校には日本大学の指定校推薦はなく、運要素が発生してしまう自己推薦入試(面接)の一本足打法より、上振れ期待&確実に進学するならば「学力選抜」を選んだ方が良いと考え、「推薦で引っ掛かればラッキー&一般学力選抜入試の準備もする」という作戦で大学受験に臨むことになりました。この決意が確か高校2年生の1月ぐらいの話だったと思います。


★大学受験勉強開始編

あれ?もしかして私、めちゃめちゃ勉強ができない・・・??

ということで僕の人生初の受験勉強、人生初の能動的な勉強が始まります。
実は私はクラーク高校の成績は超優良。テストは毎回ほぼ全科目80点以上。通知表はほぼ全て5(最高評価)でした。なので、根拠のない自信ではなく、「これだけ学校の勉強ができる私なら大丈夫!」という根拠のある自信がありました。

ということで「理系と言えばまずは数学!」と本屋で参考書を開きますが、何回見ても、どの参考書を開いても何を言っているのかさっぱりわかりません。授業でやったはずの数学IAの内容では最初の2〜3ページは「この記号は見たことがある」ぐらいでしたが、4ページ目以降はさっぱりわかりません。忘れているのではなく、そもそも学んだことがないのです。
さらにIIB ,IIICが乗っかってきます。
(補足:日大を含む理系の偏差値50以上ぐらいの大学の出題範囲はだいたいIA〜IIICまでの6科目。特にIIICの学習は内容的にかなり時間を要する。)

私はこの時初めて「自分と世間のギャップ」を認識しました。
「いかに自分が勉強ができないか」=”不登校をした1年間と勉強したつもりになっていた高校2年間”を正しく認識しました
「そうだ、そもそも私は中学3年生の数学も勉強したことがないんだった」

目標の高さがわからないほどに自分のレベルが低いことを自覚し、こうして大学受験の参考書を買いにきた僕はなぜか中学3年生の教科書ガイドを購入して帰りました。


2歳下の弟に中学3年生の数学を教えてもらう

なんとなく文面からわかっている人もいるかもしれませんが、当時の僕はプライドばかりが高い人間でした。偏差値50以上の大学に行きたいと志しつつ、自分にその実力が全くないことがわかった私はその日から狂ったように勉強を始めます。

ただ私の脳みその性能は「並」程度です。神童エピソードなんてありません。
不登校をする前もテストの点数は平均点前後でした。しかも約3年間ほとんど使っていなかったため脳みそは錆び付いてしまっています。
更には自発的に勉強した経験がないため勉強の仕方がわかりません。
そして当然ですが教科書ガイドの内容は理解できません。

すると2歳下の弟が高校受験を終え、家でゴロゴロしているではありませんか!
私はプライドを捨て弟に「なぁ、二次関数のグラフってなんでこういう形になるんだ?」と一歩を踏み出し質問し、弟に勉強を教えてもらうようになりました。

そして弟が家庭教師をお願いしていた方にも勉強を見てもらうことになりました。
後に個別指導塾にも通います。

この頃、「大学には推薦ではなく、ちゃんと勉強して入ろう」と思うようになりました。
それは中学2年生相当の学力もないやつが入れてしまう大学って、高等学校の先にある大学としてどうなの・・・?と考えたからです。



僕「理系大学に行きたいです」担任の先生「現実見ろ、無理に決まってんだろ」

高校3年生に上がる直前の進路面談(親同席)で担任の先生に言われました。
この頃私はアルバイトも辞め、毎日寝ている時間とお風呂・ご飯の時間以外は常に勉強していました。

そんな私は1ヶ月ほどで完璧ではないにしろ中学3年生範囲の英語と数学を学び終えました。そして高校範囲も勉強しながらもがいていた時、この進路面談となりました。

先でも少し触れましたが、数学は非常に範囲の広い科目です。そして内容もIA IIBまでの文系数学とIIICを含む理系数学でだいぶ難易度と学習範囲に違いが生じます。学校の先生からは「IAIIB IIIC全てをこの一年で独習することは無理」「理科科目も一定の数学を習得した前提の問題が出題されるためかなり厳しい」「そもそも今から一般入試って間に合わない。一般入試組を目指すうちの高校の生徒は高1からずっと勉強しているんだぞ」と現実を突きつける正論(アドバイス)を頂戴いたしました。

薄々広範囲の数学学習は大変困難であることに勘付いていたこと、理科にも着手できていないことから僕の心は折れてしまい、「国語、英語、文系数学IAIIB」で私立文系大学を受験する方針に切り替えました。これは今でも後悔しています。

ちなみに推薦入試で理科系の学部に転がり込むことも可否で言えば可能でしたが、理科系の大学は大学入学後に数学も理科も高校科目の延長線上の学問として学びます。よってクラーク高校のOBOGには理科系大学に進む人がいないわけではないのですが、かなりの高確率で中退してしまうそうです。
理由はあまりにも当たり前の高校数学ができないからです。ちなみに文系の大学でも英語が全く読めなくて一年生で留年&中退する人も少数ですがいるようです。


高校3年生になる直前の3月、初めての模試

「国語、英語、文系数学IIB」で受験することとなり、約1ヶ月間春休みがありました。もちろん僕は毎日何時間勉強したかもわからないぐらい勉強しました。しかし春休み末頃にあった東進模試を受けたところ、結果は惨敗。偏差値は全科目30代でした。数学IIBは学習すらしていなかったので、0点です。

数学は解けなさすぎて時間があまり、英語は何言っているのかさっぱりわからず感でマーク、日本語で書かれた現代文ですら何を言っているのかわからないという状態でした。

不登校をしていた中学3年生の1年間+広域通信制という底辺レベルの学校で何も努力しなかった2年間=併せて3年間全く勉強をしなかった「ツケ」をたった数ヶ月でチャラにできるほど人生そんなに甘くない現実に直面しました。

仕方ないんです。こういう現実をちゃんと乗り越えなければ先に進めない、ここは逃げてはいけないところだ、と自分を奮い立たせました。
今思えば、この時逃げたら一生逃げ続けるのではないか、と思い、自分を奮い立たせていたのかもしません。


★その後の高校生活と勉強の進め方

惨敗した模試後も腐らずに勉強を続けました。諦めの悪さは超一級です(笑)
また勉強を始めてからも高校にはちゃんと通い続けました。授業中はいわゆる内職(受験勉強)ができないため、何も役に立たない授業を聞くしかないのですが、学校にいる間が休憩時間と思えるような生活を送っていました。通学中は電車内で英単語をぶつぶつ言い、学校が終われば個別指導塾か家庭教師、または自習室に直行しカロリーメイトを食べながら勉強。そして帰って寝るだけ。

修学旅行中も遊ぶ同級生の傍ら、ずっと勉強していました(笑)当時「●●(私)が頭を打ったみたいで、急に狂ったように勉強し始めた」と同級生からは笑われました。
ただこの苦難の先の人生が明るいのは私だと確信していました。

この1年間は英語の家庭教師に週1見てもらいながら、東京個別学院という個別指導の学習塾にへ週2コマ通っていました。どちらも基本的に予習したところを質問する時間とさせてもらいました。
東京個別指導学院のバイト講師にめんどくさい生徒だな・・・と思われていたと思います(笑)※ちなみに東京個別指導学院は近所にたまたまあっただけです。


話は飛んで合格発表

話が飛びます。以後は勉強しかしていないので書くことがないんです(笑)

年度末、僕は偏差値がだいたい55ぐらいの私立文系大学へ合格することができました。底辺レベルから並程度への大躍進でした。(難関大学と言われる大学にはことごとく落ちたのですが・・・)

漫画の主人公や天才たちの伝記ですとここで東大や早慶といわれる名門私立大へ合格できるのですが・・・私は凡人なので・・・この一年でいかに自分が平凡な存在なのかを痛感しました。

これが当時の私の「本気で努力した結果の初の成功体験&挫折(失敗)体験」となります。

★大学受験(理系受験1年目)編

やっぱり理科系の大学に行きたい。

いざ合格し、大学生活が見えてくると「本当にこの大学に進学して良いのか?」という疑問が生じます。先の通り、もともと僕は理科系の大学への進学を希望していました。

ところが高校の担任の先生に現実を突きつけられ、理系への道は諦めてしまいました。
でも「どうせ高い学費を払って大学に進学するならば好きなことを学びたい。」と思い、思い切って浪人して理科系の大学へチャレンジすることにしました。

実は受験勉強中もずっと心残りで理科系への夢や憧れが捨てきれずにいました。
最終的には入口(入試)は文系だけど、理系の勉強もできる大学を目指していました。

約1年、学習範囲のほぼ全てを独学で学んできた私には独学で勉強をやりぬける自信がありました。こうして私の自宅浪人+家庭教師 理科系転向編がはじまりました。自宅浪人した理由は自信があったことと、予備校費用を親に捻出してもらうことが大変申し訳なかった為です。


★大学受験3年目(理系受験2年目)編

自宅浪人失敗

結果から言うと、大学受験2年目の自宅浪人は大失敗でした。大学へ合格するために自分のモチベーションを保つことができず、昼夜逆転、ほとんどニートのような生活に陥ってしまいました。
当然志望校にも合格できず「浪人してこの大学かよ」というレベルの大学にしか合格できませんでした。これほど自己嫌悪に陥った時期はなかったと思います。

最後のチャンス。

ということで本来はあるべきでない3年目が始まってしまいました。この3年目は「とにかく勉強するルールを明確化」して徹底的にルール通りに動きました。(親にお願いして駿台予備校にも通いました。ちなみにこの駿台予備校では中学時代の部活動の後輩2名と同じクラスになり、落ちて馬鹿にされたくない・・・という焦りもあり、とても良い環境でした笑)

そんなこんなで、自分で決めたスケジュール通りに勉強し続けるというルールを厳格に守ったことが功を奏し、「3度目の正直」という言葉の通り、私大最高峰 早稲田大学へ合格することができました。(合格したのは教育学部理学という早稲田理系の序列では中下位なんですけどね。)

最後に

ここまでつらつらと自分の人生のうち、”不登校”に関連した話を書いてきました。
読んでいるみなさまに何かしら感じ取ってもらえると嬉しいです。

なお私は大学進学後は不登校児や通信制高校の生徒の家庭教師をしたり、不登校関連NPOで働いたり、武田塾という人に全然お勧めできない”逆転合格”を謳う塾や河合塾系列の塾でアルバイトしたりしていました。今では自己紹介①の通りどこにでもいるサラリーマンをしています。

この文章を書いている時点ではいったいどんな人が、どういう目的で読んでいるのかはあまりわかりません。
もし不登校にかかわる親御さん、先生、または本人の目に留まり、何か参考になればうれしい限りです。

もし気に入っていただけたら人にお薦めいただいたり、またスキ、コメントいただけますととっても嬉しいです。ぜひよろしくお願いいたします。

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