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なんでだよ!

感情を入れておく器のようなものがある。
それは感情に対して理性による抑制を効かせておくためのバッファーであり、感情の総量がその器の容量を超えない限り、多少の動揺はあれど、人は冷静でいられる。

その器の大きさは日々変化し、体調などにも敏感に影響を受ける。疲れていたり、気にかかることがあったり、肩や首が凝ってたりすると、器は如実に小さくなって、感情はすぐに溢れ出してしまう。
さらに悪いことに、器が小さい時には理性の効きも悪い。体調が悪ければ悪いほど、ストレスが強ければ強いほど、感情は横溢し、理性は後退する。そして人間は感情の動物になる。

その日あたしはいつものように深夜3時30に起きた。本当は2時30分に起きたい。そして実際布団の中で覚醒はしている。しかし、現在娘の絶賛おねしょトレーニング中であり、2時〜3時はホットゾーン。ここを無傷で乗り切れば、大抵起床時までパジャマとシーツは乾いたままだ。逆にこの時間帯は最も娘の膀胱に負担がかかる時間帯でもある。今日は大丈夫だろうか?あえなく娘の膀胱が戦いに敗れた場合には、パジャマとシーツの取り替え作業が発生するため娘の膀胱の戦績を見届けるまで、布団を出るわけにはいかないのである。

したがって、深夜2時〜3時はあたしにとって最も緊張を強いられる場面である。一方で、つい最近まで2時半に起きて活動(家事と仕事)をしていた生活習慣があり、その習慣は容易には変わらないので、2時も過ぎれば布団で覚醒はするし、とっとと布団から出て家事を片付けないと落ち着かない。そんな「我慢の時間」でもある。

そんなわけで、最近は起床時に感じるストレスレベルがおそらくちと高い。そのせいか肩も凝っている。

故に感情の器は少し小さくなっている。理性の働きも弱い。こんな時には数学の問題など解くべきではない。解くべきではないのだが、毎日の日課なので、解かずにはいられない。あたしの体はすでにチャートに冒されており、ストレスレベルが高いからとチャートを解かぬ朝を過ごしたなら、休むことよりチャートを解かなかったことの方が気になって尚更ストレスを溜め込んでしまう。解くしかないのだ。
参考↓↓

さて、そうでなくても元来そそっかしいというか注意力散漫(診断は受けてないが軽度のADHDを疑っている。あたしを知る古い友人たちはきっと納得するはずだ。)なので、数学の問題を解くにあたっては後で見返すと全く理解できないミスをすることが多々ある。三角形の内角の和を200°だと(その時だけ)思い込んでいたり、11の2乗がなぜか思い出せなかったり、途中の計算に手間取りすぎて何を答える問題だったのか忘れてしまったりする。小学生の時から全く治らない、悪いクセである。受験もこれで随分苦労した。治すことは何度か試みたが全く無駄だったので諦めている。

そんなもんだと思っているので、こういうことがあっても普段はあまり気にしない。でも、この日は感情の器が小さくなっていたこともあり、感情が溢れ出し、

思わず声が出た。

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