ドイツで分断について考える①
■包摂の対にあるもの
これまでベルリンの難民支援の現場で多様性の理解を試みてきた。
ただ、それはドイツ、しかも首都の持つ一面的な顔にすぎない。
物事を考える時には複合的な視点が必要だ。
一面的に何かを決めつけたり紋切り型の表現を使ったりすることはできれば避けたい。単純化ほど危ういものはないのだが、対になる「二項」でさえ説明できないことがほとんどではないだろうか。
とはいえ、ドイツの多様性を描く中で、やはり避けられないテーマがある。排外主義だ。
どの国や社会でも同じではあるが、多様性を尊ぶ人々がいる反面、真逆のことを考える人々も当然いる。真逆もあれば、中立だってある。人々の温度感にはいつだってグラデーションが存在する。
だからこそ、先入観なく大衆の中に飛び込んでいくことは社会の相場感を知る上で非常に重要になる。
私はドイツの排外主義に迫るためには、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」をさらに深く知る必要があると考えた。
過去の記事では、報道や公式データを元に政党をめぐる情勢をなぞった。
しかし、机の上だけでは何もわからないに等しい。多少はわかるのかもしれないけれど、常に「わからない」と信じなければいけないと思っている。わかったつもりでいることが何よりも怖いのだ。
■AfDの高い支持率
そこで、私は2023年11月上旬、首都ベルリンを飛び出して中部テューリンゲン州へと向かうことにした。
同年5月に同州ゾンネベルグ郡で行われた郡長選で、AfDのロベルト・ゼッセルマン氏が僅差で選ばれたことはすでにふれた通り。私はここをAfD躍進の「震源地」と捉えている。
さらに、今年9月にはザクセン、ブランデンブルクとともに、テューリンゲンでも州議会選が開かれる。移民をめぐり党を揺るがす大きな事件が発覚したにもかかわらず、実は3州ともにAfDが支持率首位の構図は変わっていない。
構図をひもとくヒントが現場にあると考え、ゾンネベルグ行きのドイツ鉄道(DB)の切符を買った。
■首都から南西へ
ベルリンからDBで南西に向かうこと約3時間。特急列車でバーバリア州コーブルクを経由し、ゾンネベルグの中心駅に辿り着いた。
実は、ゾンネベルグは「おもちゃの町」としても知られるユニークな町だ。
11月上旬でありながら、中心部にある商店街では早くも店の窓からクリスマスの装飾がのぞいていた。その一方、歩行者はまばらで、どこか寂しさを感じた。
これが私にとってベルリン以外では初めてとなる旧東ドイツ訪問。予期せず厳しい洗礼を浴びることになった。
■選挙の余波
8市町から成るゾンネベルグ郡の人口は約5万5000人と決して大きくはない。だが、郡長選でAfDのゼッセルマン氏が選ばれたことは、国内外にそれなりの衝撃を与えた。ドイツでAfDの首長が誕生したのはこれが初めてのことだったからだ。
当然、AfD幹部や支持者は歓喜し、全国での躍進への足掛かりと位置付けていた。
しかし、ネオナチとの関係が表沙汰になるような極右政党となれば、国際社会も黙っていない。
国際アウシュビッツ委員会が「有権者は民主主義に別れを告げた」とコメントを出したことにも、危機感の表れは見てとれる。
私が訪れた時には、郡長選からはおよそ5ヶ月が経っていた。
いま、町の人は何を思うのか。それを知るために、まずは町ゆく人に声をかけ始めることにした。
しかし、徐々にただならぬ空気を感じずにはいられなくなっていく。
■異様な雰囲気
商店街に立つ眼鏡店に入った。
出迎えてくれた男性店主に選挙やAfDのことを聞こうとすると、何かに怯えるような反応を見せる。明らかに声をひそめていた。
「選挙で反AfDの活動をしただけでネオナチから脅しを受けた。店を閉めないといけない時期もあったほどだ。だからもう政治の話はしたくない」
その言葉と表情から、よほどのことがあったのだろうと推察はできた。しかし、5ヶ月を経てもなお男性を苦しめるような脅しとは何なのか。疑問が次々と浮かぶ。身体的な暴力なのか、言葉による脅迫なのか。私は続けざまに聞いた。
「これ以上は話したくない。お願いだ」
終始うつむき加減の男性はそう言って、会話を打ち切った。
ただごとではない。
一体、何が起きているのかーー。
もはや、それだけでも知りたい一心で、さらに人々に声をかけまくった。
だが次々と断られていく。「英語ができない」「選挙の話はだめだ」というのが理由だった。
ドイツ語もろくにできないのに通訳すら伴わず、こんなところまで1人で何をしに来たのだろう。このままでは何も得られずにベルリンへと戻ることになるのではないか…。
そんな不安と自己嫌悪に駆られつつ、目についた別の旅行代理店に入った。
そこにいたのは女性のスタッフだった。
英語は話せるかと尋ねると、女性は「少しなら」。多少ながら笑顔が浮かぶ。チャンスがあるかもしれない。
私はジャーナリストであると名乗った。
すると、女性は血相を変えて「ノー」と5回も繰り返し、私を追い払うような仕草を見せた。やはり、だめだった。でも、なぜなのだろうか。
■メディア嫌い?
私は途方に暮れかけていた。心も折れそうだ。
とにかく、ここで起きていることを知るための足掛かりがほしい。
藁にもすがる思いで、ベルリンを拠点とするオンラインメディアで働くジャーナリストに連絡を取った。彼女はAfDを専門に取材し、ゼッセルマン氏の初当選時にはゾンネベルグも訪れていたからだ。
「ゾンネベルグで話を聞けそうな人は知らないか。英語が通じなくて困っている」
と言うと、返ってきたのは当たり前の答えだった。
「田舎は英語できる人が少ないからね。ははは」
そして続けた。
「しかもAfDと支持者はメディアが大っ嫌いだから。私が行った時にはまだ話してくれた人もいたけど。今はわからない」
前評判として聞いてはいたものの、自分が難しい状況にあることを改めて実感した。
■出会い
午後6時を過ぎると、辺りはすでに真っ暗になっていた。日が落ちただけでなく、中心街ですらほとんどの店が早々に閉まっていたから、明かりは街灯ぐらいだったのだ。
その中で唯一、商店街のメイン道路を曲がったところに、赤と青のエキゾチックな灯りを煌々と放つバーがあった。中はよく見えなかったが、とにかく入ってみることにした。
だだっ広い店内には従業員3人がいた。客はまだいない。私が見かけない顔だからか、どう接していいのか少し戸惑っている様子だった。
とりあえず、ビールを注文する。対応してくれたのは、唯一英語ができる男性店員だった。
もはや、やけ酒でもしたい勢いだったが、やはりこのまま終わるわけにはいかない。
ちょうど、その男性店員も「お前は何者なのか」と尋ねてきたところだった。とっさに「選挙のことを取材しに来た」と伝えると、ありがたいことに興味を持ってくれたようだった。
「俺がわかることなら話してもいい。ここはみんなAfD支持だよ」
■極右
店は4ヶ月前にオープンしたばかりだった。この男性店員こそが、オーナーだった。アディ、25歳。アルバニア系移民の2世だという。
なんと言っても、街の暗さが気になっていたので、なぜ夜の店が空いていないのかと尋ねた。
「経済が最悪だからだ。誰も飲みになんか行かない」
想像通りの答えだった。
しかし、失業率だけでみれば、この地域は国の平均値とそれほど変わらない。
アディが紡ぐ言葉の節々にも、ドイツメディアへの不信感がにじんだ。
「俺が話してもいいと言ってるのは、お前が日本人だからだ。俺もAfDを支持だが、ドイツのメディアには話さない」。そうして会話は始まった。
「選挙結果を見てドイツ中がゾンネベルグに注目しただろう。みんなが政治に目覚めたってことだ。それだけでもゼッセルマンが勝ったのは良いことだったと思う」
ゼッセルマン氏が勝ったことについて尋ねると、アディは誇らしげに言った。
「俺たちが求めるのは『ドイツ第一』。それだけなのに、メディアは俺たちのことを『ネオナチ』と言う。何が悪いのか。アメリカで『アメリカ第一』と言ってるやつらに『ネオナチ』なんて言わないだろう。偏ってるよ」
さらに付け加えて言った。
「店の客も9割以上がAfDの支持者だ。みんなゼッセルマンに投票した。町だけで見ても8割ぐらいがAfDを支持している」
これには説明を加える必要がある。
件の郡長選には4人が出馬し、第1回投票でゼッセルマン氏が首位の46.7%を獲得。各党の支援を受けたCDU候補との決選投票で得たのは52.8%だった。投票率を元にすると、実際にゼッセルマン氏に投票した住民は3割程度という計算になる。つまり、アディの言う8割は誇張だ。
実は、この点を思い出させてくれたのは、ゾンネベルグの女性書店員だ。3日間の滞在最終日に立ち寄り、多少の立ち話を交わしたのだった。
「あなたは投票に行きましたか」
私が尋ねると、女性は言った。
「私は行きました。どちらに入れたかは言わない。でも、投票率を見てほしい。ドイツのメディアは『AfDの町』と言いますが、この町の何人がAfDに投票したのでしょうか。そこを正確に伝えないから、メディアは信用されないのです」
なるほど、と私は思わずにはいられなかった。彼女の冷静さに感心すると同時に、一言で何かを語る危うさを認識したのだった。
話を元に戻そう。
アディは10歳の時、母親とともに隣接するコーブルクから移り住んだ。実は、14歳から20歳までは極左集団「アンティファ」にシンパシーを抱き、デモにも通うほどの「左翼」だったという。しかし、いまの自身は「右翼」であるとはっきり主張する。
なぜなのか。転機はコロナ禍にあった。
ロックダウンやワクチン接種、マスク着用…。連邦政府が打ち出す政策に嫌気が差した時、自分に合った主張をしているのは「AfDしかなかった」。それが高じて、支持へと転じたというわけだ。
「俺はこの町が好きなんだ。なんだろう…文化とか友達とか、今は守るべきものが増えた。それで保守的になったのかもしれない」
さらに口を突いたのは、やはり難民や移民への嫌悪感だった。
「外国人が嫌いなわけではない。でも、町の人口を超えるような移民や難民が毎年来て、見た目も宗教も違う連中の生活のために国民の税金が使われる。ドイツの文化を失うのも怖い。もううんざりだ」
ドイツは2015~2016年、シリア内戦の激化をきっかけに120万人以上の難民を受け入れた。その後も流入は続き、2022年は24万4000人。ここ数年の増加傾向と比例するように、AfDへの支持は広がってきた。
アディは平均的なAfD支持者だったのだろうか。
■「ハイル・ヒットラー」
気づくと1時間ぐらいは話していた。その間に、カウンター席は他の客でいっぱいになっていた。
多くの客が私の姿を見ると「こいつは誰だ」というようなリアクションを見せた。アディが「こいつは日本から来た」と紹介すれば、「そんな遠くから何しに来たんだ」と言わんばかりにまじまじと見つめてくる。
日本と言えばたいてい漫画やアニメの話になるが、今回も例外ではない。
そのうち、シリア系という1人の男性が私とアディの会話に入ってきた。彼も英語が少しできた。
バーに来た理由を伝えると、さも大事なことを教えてやると言わんばかりに声を張り上げ、左手を掲げた。
「普通あいさつする時は『ハロー』というだろう。でもここではそれが『ハイル・ヒットラー』なんだ」
冗談なのか、本気なのかー。
彼に真意を尋ねるのはやめた。そんな気分にもなれなかった。
冗談だったのかもしれないが、ドイツ国内では公の場でナチを賛美することは犯罪に当たる。ポーズも言葉も、である。
すでにタガが外れているのではないかと思った。
つまり、戦後ドイツでタブー視されてきたことが、再び堂々と顔を出しているのではないか。AfDの存在が拍車を掛けたのか、タブーが失われ始めたところにAfDが生まれたのか、私にはわからない。
ドイツ人の知人の言葉を思い出した。
「ベルリンは東ドイツのバブルなんだよ」
ベルリンはリベラルな価値観を持つ人々が集まる首都だが、一歩出ればそこは「東ドイツ」。ベルリンとは大きくかけ離れた世界が広がっているということなのか…。
少し暗い気分になり、私はバーを後にした。
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