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〜自分の成長と目標〜


2003年7月17日生まれ広島県広島市出身。

生まれてからは幼稚園の時はなんとなく幼稚園に行ってお友達と遊んで疲れて寝るといったごく普通の生活を送っていました。

小学生に上がると3年生まではスポーツと縁も無くスポーツテストは毎回Dで周りの女の子より脚も遅くあまり運動は好きではありませんでした。4年生になると近所の野球チームの体験に行きそこで初めてスポーツと出会いました。そこは新チームになって8人しかおらず入団するといきなりレギュラーと試合に出していただける場面が多かったです(笑)そこからひたすら土日は野球に向き合い最高学年である6年生になる時にキャプテンを任せていただきました。背番号は10番で自分の器に合わない番号でしたが今思えば大切な経験だったと感じてます(笑)

キャプテン時のタイトル

そして、中学生に上がって新しい生活がスタートし、他の小学校から来てるお友達も徐々に増えていきました、野球も小学生の時とは違って強豪のクラブチームに入団して、そこは本当に厳しくて3年間やっていけるか不安な時もありました。
自分はスポーツはまだしも野球もそんなに上手では無く試合に出れるのは数えれるくらいでした。ですが、厳しい環境で育つ物もあるので今ではとてもプラスになったと感じてます。

高校に入る前の中学3年生の夏にスポーツタイプの自転車に見惚れて色々調べているとロードバイクに出会い、夏の終わりに両親に初めてロードバイクをご購入していただきました。(お金が…)
そこから野球は自主練など全然してなかった自分が、自転車になると学校が終わり放課後はほぼ毎日のようにどこかに練習しに行ってました。その時はパワーなど全く知らずただヘトヘトになるまで乗ってました(笑)
 
高校に入学すると部活は自転車競技部に入部する気満々でした。(多分それ目的笑)
中学生の時オープンスクールでお邪魔した時に自転車競技の見学に行ってそこでもまた惹かれてしまいまして、競技としてやってみたいと改めて思いました。そこでは、顧問の先生は不在で挨拶はできなかったです。中学生の時自転車競技部の一個上の先輩と練習に行った事があったので顧問の先生の名前も把握済みでした。
 そして、いざ入部すると約1ヶ月間?腹筋腕立て懸垂ラントレばっかりで一年生の最初は自転車にまたがる練習ではなかったです。しばらく経つと自分と中学からの知り合い(めっちゃ強)は他の部員より一足先に先輩と同じロード練習に参加させてもらえるようになりました。当時はとてつもない速度域に感じて先頭を引ける余裕は全くありませんでした(笑)初めて出たロードレースも完走はできずに7週中3周でリタイアしました。そこから、なんだかんだで顧問の先生の練習メニューをこなしながら2年生の秋の時に広島県新人戦で準優勝し広島県の選抜選手の枠に入れてポイント・レースで生まれて初めて全国大会に出場しました。その勢いで3年生の夏でも中国大会で3位入賞しポイントでインターハイにも出場できました。

初ロードレース
全国選抜大会


インターハイ



今までスポーツで結果を出した事すらあまりなかった自分が、こうして自転車競技で全国大会に行けれたのは顧問の先生や同期の8人含め家族のおかげだととても思います。とてもいい思い出をくれて感謝でしかなかったです。しかし、楽しいのも一瞬でインターハイが終わってからは進路決断で大変でした。自分は全国大会に出場したものの、ずば抜けて良い結果を出した訳では無く、ごく普通の成績でした。なので、大学からの推薦は無く続けるのは困難かもしれないと思った時もあり、どーするか顧問の先生とも話し合いました。ある日顧問の先生から朝日大学の資料とパンフレットをもらいました。そこはとても強豪な大学で有名でした。正直ついていけるか分からなかったですが、自分は一度も全国大会で結果を残した事は無く、あと残りばっかりでした。


今は無事入学し、日々自転車競技に前向きに取り組んでいます。親元を離れて暮らすのも初めてですが、だいぶ慣れてきました。生まれつき強豪の所に行きがちなのかも知れません(笑)
自分を含め13人の同期と共に頑張っています。今の自分は目標があり、学連優勝ジャージを着る事が今の最大の目標です。無理かと思うかもしれないですが、ここまで連れてきてくれた自転車競技。そして支えてくださる家族、友人、顧問の先生。あとは大学の強い先輩方、同期と練習していければ可能だと考えています。振り返って考えると様々な出会いのおかげでここに立ててると思ってます。

朝日での試合


目標値


素晴らしい環境と出会いに感謝です。


                  濱田大輝

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