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明日天気になーれ

最近、どんどん電波化しています。一般人から冷ややかな目で見られるだろういつもどおりのウーゴです。

友人とこの前会った時の話をもとに、うまく題名に結び付けていこうと思います。

さて、ここ最近で友人に会ったんですよ。彼が一言、「死んでもいいんだよね」と。昨日に引き続き重いなぁと思ったかたはブラウザバックをお勧めします。別に結論はここではないので、フックですので、お許しいただきたく。話を戻して、彼の一言で結構はっとしたんですよ。そんな風に思う人がいるのかと。そして彼に対してコーチングスキル(最近勉強中です。ちなみにこれをマスターすると、日常生活でも人の深層心理に触れに行けることができるようになるし、何かと便利ですので是非!)を使って、たくさんのオープンクエスチョンとともに色々聞いてみると、やはり面白く。「今生きているのは惰性なところがあるし、今後惰性にもなりうる」みたいな話でしたね。まぁこれ以上書いても文章じゃ伝わらないだろうし、彼のプライバシーもあるのでここらへんで。

で、なにがいいたいかというと、死んでもいいなと思いながらも死ぬの怖いって話です。昨日、あの記事を書いた後に、自分のおなかが痛かったんですよ。おなかの痛さが結構痛くて、ふとケータイの画面上に「がん検診」の広告。がんの可能性を考えた瞬間に怖くて寝れなくなってしまった自分がいて。。。この症状がただの酒による胃もたれが原因と気付いた時にはただただ恥ずかしかった限りではあるんですが。

昨日の文体だと、「構造から出られないならもう無理、ぴえん」みたいな感じだったと思うのですが、こんなに憶病者かと自分を恥じました。いや、かといってここで勇気を持ったところで、ただの無謀というかなんというか。結局、世の中に不満はあるし、嫌いなことばっかりだけど、自分が健康体である限りは明日はくるんだなぁと思って。ここに追加で、その友人と会えなくなるのは嫌ですね、はい。彼と会えなくなるなら普通に無理やわ、明日来んわ思うていうてますけども。


さてもうそろそろ薄っぺらい結論に参ります!結論、「明日天気になーれ」ですよ、いやほんとに。子供のころ靴を飛ばしながら「明日天気になーれ」っていってましたよね。あれは靴に多分の衝撃を与えるので買い替え必至なのですが、それはそうと、あの童心を思い出したってことです。楽しみにしてようとしていまいと、幸せに感じようと感じまいと、それが惰性であろうとなかろうと、そして望む望まずにかかわらず、ほとんど多くの健康に生きている人には「明日」がくるんですね。そこを少しでも良くなってほしいと他力(神)本願になることの何が悪いってことですね。今書きながら明日天気になることを望んでますよ。降水確率90%ですが。雨嫌いなんですよって話はまた今度するとします。

では、みなさんの明日の心が天気になるよう祈ってますっていう薄っぺらいメッセージでも本当に伝えたいことを書いて終わりにしましょうか。さぁ「明日天気になーれ」!

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